カタツムリ(マイマイ)
貝の巻く向き 決める遺伝子(2019/5/18 追記)
左利き
利き手の判定
利き手・利き足の起源
左利きの剣客
自然界における左と右
利き眼と視野
犯罪捜査と利き手
終わりにあたって
カタツムリは、約10年ほど前から、我が家の庭では、まったく、見られなくなってしまいました。
それまでは、木の根元など、やや薄ぐらい場所で普通にいて、どちらかというと、植物の葉を食べる害虫として駆除していたのですが、こうもいなくなると、寂しいです。ナメクジも同様にいなくなってしまいました。
Web上の知識を基にすると、カタツムリという名称は、上図のような形態を持つ生物の一般的な名前です。
陸上に住む陸貝の仲間の中で、殻を持つものをこのように呼びます。従いまして、陸貝の仲間でも、ナメクジのように殻を持たないものは、普通、カタツムリとは呼ばないです。一方、分類学上、異なった種類でも「カタツムリ」という名で呼ぶこともあるようです。
日本語のカタツムリの語源については、諸説あるようです。
「ツムリ」は、「ツブリ」とも言い、「ツブ」は、丸くて小さいもの「粒」から転じたという説には説得力があります。たとえば、「おつむ(り)」は、頭のことを指します。では、「カタ」はというと、「笠(カサ)」から転じたという説があるようです。すなわち、カタツムリは、「笠をかぶった粒のようだ」というところから付いた名前のようです。
なお、「ツブ」は、巻き貝を指す古語である「螺(ツビ)」から、また、カタは、「潟」から、転じたという説もあります。
日本に住むカタツムリの大半の殻は、右巻きのようです。
ウィキによれば、右巻きと左巻きの区別は、上から見たとき、殻が時計回りに成長するものを「右巻き」、逆を「左巻き」というそうですが、下図のように殻頂を上から見て殻口を自分側に向けたときに、殻口が右側にあるものを「右巻き」、左側にあるものを「左巻き」と区別するのがわかりやすいそうです。
ちなみに英語では、「snail」、食用のものは、「edible snail」(フランス語では、escargot :エスカルゴ)といいます。
ここで、英語一口知識。
英語には日本語の「食べられる」に相当する形容詞に2つがあり、「eatable」は、新鮮で食用になることを指し、反対語は「uneatable」です。
一方、食用カタツムリの「食用」は強いて言えば「可食」ですが、英語では「edible」で「毒がなくて食用可能なもの」を指すということです。この「edible」の反対語は、「inedible」となります。
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巻き貝の一種である『ヨーロッパモノアラガイ』は、大半が、右巻きで、左巻きは、数が少ない。
2019/5/15 付けの読売新聞記事によると、
『中部大学の黒田玲子特任教授らが、この貝の巻く向きを決めるのが、たった一つの遺伝子であることを突き止めた』という。
左巻きのモノアラガイと右巻きのものと比較すると、ある1つの遺伝子が欠けていることが分かったという。
『実際、右巻きに育つはずの受精卵に対して、ゲノム編集技術を用いて、「Lsdia1」という遺伝子を壊すと、左巻きに成長した』という。
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麻岡めぐみさんのヒット曲に「わたしの彼は左きき」という歌がありました。(1973年(昭和48年)7月 ビクターより発売、作詞:千家和也、作曲:筒美京平)。
左利きの人の割合が少ないから、わざわざ「左きき」と言っているので、「わたしの彼は右きき」では、歌にはならなかったでしょう。
そういえば、ピンクレディーの大ヒット曲「サウスポー」がありましたな。(1978年(昭和53年)3月 ビクターより発売、作詞:阿久 悠、作曲:都倉俊一)。
ウィキによれば、10%内外の人が左利きであるということですが、そして、Webで別途、検索しようとしても、ウィキを引用したと思われる記事ばかりを発見する始末です。
ウィキは、役立ちますが、そのまま、引用するだけでは、と自戒を込めて思います。
いったい、ウィキで引用されている1977年の統計( Hardyck, C., & Petrovich. (1977) "
Left-handedness")以外には、統計数字がないのかどうか?
一首できましたな。
ウェブにて 検索すれば 恨めしや 幾たび出会う 君のクローン
さて、日本国内に限りますと、本当に、10%近くも左利きの人がいるとは思えないでしょう?
しかし、明らかに「左利き」ではなく、言わば、「隠れ左利き」という方は、結構、いらっしゃるとは思います。
「隠れ左利き」というのは、本当は、左手の方が力が入ったり、器用に使えるたりするのですが、習慣上、あるいは、やむを得ず、右利きであるようにふるまっている人のことです。
今では、日本でも、親がうるさく言わなくなりましたが、今から十年以上前は、左利きの子供は、右利きに「矯正」されるのが普通でした。しかし、なかなか、完全に右利きには変われないケースもあり、大人になったとき、箸は右手で持つが、鉛筆は、左手だったり、パソコンで言えば、マウスは、右手で、キーボードは、左手が中心だったりなどと中途半端な状態になることもあります。このような人も「左利き」として勘定するのであれば、左利きが10%内外という数字もあながち誤りとは言えないかもしれません。
利き手を見分ける一つの方法としては、握力の測定があります。右利きの人は、通常、握力も右の方が強いものです。
また、器用さの判定は、お箸で、たとえば、大豆などを一つのお皿から、別のお皿に一定時間内にいくつ移動できるかということで見極められます。お箸の代わりにスプーンを使うとすると、小さなスプーンでないとたくさんの豆が入ってしまうので、この判定が難しいでしょう。
でも、お箸を使う方法は、お箸を使う国に限られた方法ですので、アメリカでは、使えない方法ですな。ピンセットなら有りかも。
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前述のように考えると、利き手や利き足は、どう定義するのか?、という問題に突き当たります。
また、定義そのものはできても、どのように判定(検査)するのかという問題もあります。
前述の方法で、利き手を検査した場合、人々を必ずしも、2つの群にのみ分類することは、できないでしょう。
最大で、9つのグループに分類される可能性があります。(9=3の2乗)
仮想的に今、このことを実行すると下表のようにAからIまでの9グループとなります。
下表で「右手」と書いてあるのは、右手の方が左手より、握力が強い、あるいは、器用さが優れていることを示します。
「両手」と書いてあるのは、その検査項目では、同等と判定される場合です。
グループ | 握力 | 器用さ | 判定 |
A | 右手 | 右手 | 右利き |
B | 右手 | 左手 | ? |
C | 左手 | 右手 | ? |
D | 左手 | 左手 | 左利き |
E | 両手 | 両手 | ? |
F | 両手 | 右手 | (右利き) |
G | 両手 | 左手 | (左利き) |
H | 右手 | 両手 | (右利き) |
I | 左手 | 両手 | (左利き) |
グループAとDは、文句なく、右利き、左利きと呼んでよいでしょう。
どちらか片方の検査項目で「両手」と判定されても、片方の検査で右手とされれば、括弧付きの右利きとするようにすれば、F、G、H、Iは、一応、判定できます。
一方、BとCは、どちらの検査項目を重点に考えるかで右利きと左ききが変わってしまいますので、そもそも「利き手」の定義や意味をどのように考えるかで異なります。
また、Eは、この方法では、違いが現れなかったので、別の方法で違いを見る必要があります。まあ、このEも定義次第となることもあり得るでしょう。
そもそも、どうして、「両利き」と判定してはいけないのか、という問題も含んでいます。
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人間の体は、ほぼ、左右対称にできていますので、利き手、利き足は、進化の段階で獲得したものと思われます。
人間が二足歩行になったとき、当然、どちらかの足を先に踏み出す必要があります。最初は、なんとなくかも知れませんが、そのうち、慣れるに従い、どちらかの足が利き足になっていくのでしょう。
利き手と違い、利き足は、ふだんは、あまり意識しませんが、オートマチック車のブレーキとアクセルの踏み間違え事故に関係しているかも知れません。
また、利き手については、これは、誰でも思いつくことですが、道具の使用に深く関係していると思われます。
原始時代に石器をこしらえたとき、どちらかの手でそれを握り、片方の手でたたく物体を固定する動作を要求されます。
最初は、まったく、偶然であるとしても、ひとたび、どちらかの手で石器を握るとそちらの筋肉が発達することで、利き手が固定されるでしょう。
石器のような道具であれば、左右対称ですので、一人での作業を考えると、右利きと左利きの割合は、ほぼ、等しくなるでしょう。
しかし、共同で作業や食事にあたる場合、たとえば、対面して行う場面を想像すると、一人が右手で食べ物を取るとき、対面している者が左手で物を取ろうとすると手がぶつかります。対面する者が右手で物を取れば、ぶつかりません。このように共同作業の際に利き手が揃うことが重要になると思われます。
現代では、無数の道具や施設があります。それらは、たいていは、右利きに有利というか、便利にできています。
パソコンで言うと、テンキーの位置などは、右側にあります。左側にあるキーボードもわずかには売られてはいるようですが、限られています。
マウスのボタンは、コントロールパネルのマウスのプロパティから主ボタンを切り替えられますが。
このように現代の人間の場合は、広い意味で社会的な制約により左利きが抑制されていると思われます。
こういった社会的制約以外では、心臓が左側にあるかとか、脳の構造から説明するという説もあるようですが、決定打はないようです。
では、人間以外の動物には、利き手があるのかどうかですが、サルなどの手を使う動物には、利き手があるようです。
ただ、人間の場合のように右利きが多いとはならないようです。このあたりも、曖昧です。
こう考えると、利き手が遺伝するのか、という問題にも突き当たりますね。
カタツムリの殻の巻き方は、遺伝すると考えられます。前述のように、右巻きが圧倒的に多い。
ウィキによれば、これは、交尾の都合上の問題があるようです。カタツムリは、雌雄同体ではありますが、可能であれば、他の個体と交尾して子孫を残します。
このように個体同士の相性という問題が絡んでくると、特定の巻き方の有利・不利から、集団としては、どちらか一方に偏ってくると思われます。
一方、人間の場合は、親の動作を見習ったり、しつけによってきまると思われますので、仮に生まれたときは、右利きと左利きが同等の割合としても、右利きに偏ってくるのではないでしょうか。そうであれば、表面上は、遺伝的にも見えるでしょう。
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スポーツ選手や芸術家には、左利きの人が有利とも言われていますね。
昔の剣客・剣豪という者の中にも、左利きの人がいました。
どなたですか、「待ってました! 丹下左膳!」という方は?
江戸時代の剣客に「
「なっている」などと曖昧なのは、本当に実在した人なのか、実在しても「剣豪」と称されるほどの達人であったか、などという肝心な点がハッキリしないからです。
そもそも、私がこの名前を知ったのは、「日本剣客伝」の10人の剣客の一人として、週刊朝日に連載され、後に朝日新聞社から刊行された後のことです。(1968年(昭和43年)4月19日号~6月7日号) 作者は、有馬頼義氏です。
シリーズで取り上げられた10人の剣客と執筆者は、次のとおり。
塚原卜伝-----南條範夫
上泉伊勢守----池波正太郎
宮本武蔵-----司馬遼太郎
小野次郎右衛門--柴田錬三郎
柳生十兵衛----山岡荘八
堀部安兵衛----吉行淳之介
針谷夕雲-----有馬頼義
高柳又四郎----村上元三
千葉周作-----海音寺潮五郎
沖田総司-----永井龍男
いや、針谷夕雲以外の名前は、知っている人ばかり(会ったことはありませんけど。正直、剣豪などと会って楽しいということは、「想定」できませんが)です。
執筆陣は、これ以上望めないほどのスーパースター揃いです。
剣客としては、一人、「針谷夕雲」のみが知られていません。作者である、有馬氏自ら、小説の冒頭で、針谷夕雲を知らなかった、と正直に述べています。
知らないのは、自分だけかと思い、いろいろと調べると、いよいよ、皆目分からず、そもそも、実在した人物かどうかさえ怪しいと思うほどであったと書かれています。
また、友人の吉行淳之介氏に「何でおまえさんは変なのを引き受けたんだ」と言われたとも書かれています。
それほど、針谷夕雲の名前は、知られていなかったようです。
有馬氏の述懐は、作品の中ですので、作品の構成上とも考えられますが、公平に見て、他の9人ほど知られていないことは、間違いありません。
おそらく、この「日本剣客伝」をプロデュースした方が、10人すべて、誰もが知っている剣客では面白くない。
一人ぐらい、誰も知らない人を入れてみたいと思いついたのでしょう。有馬氏は、大変、ご苦労をされた訳ですが、そのおかげで、針谷夕雲の名前が世に出たのです。
そもそも、江戸時代まで、刀は、左に差すことになっていたので、左利きの人は、それだけでかなりの不利があります。
今であれば、右に差しても良いとは思いますが。そこで、抜くときは、いったん、左手で大刀を鞘ごと持ち上げ、右手に鞘を持ち替え、さらに左手で、太刀を抜く必要があります。
これでは、時間がかかりすぎます。道場での稽古試合であれば、問題はないでしょうが、とっさの場合には、そのわずかの時間が生死に係わります。
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もはや、古典となっていますが、「自然界における左と右」(マルティン・ガードナー著:坪井忠二・小島弘 訳:紀伊國屋書店刊:1971年2月第1刷。1974年6月第11刷)は、今読んでも興味深いものがあります。その第10節に「少数派の左利き」と題する節が出てきます。
そう、ここで、ガードナー氏が書かれているように、文字の書き方には方向がありますね。
横書きは、普通は、左から右に向けて書きます。左利きの人にとっては、苦痛でしょう。
でも、アラビア語は、横書きですが、右から左に書くという「右横書き」です。
ということは、アラビア語の書法を作った人は、左利きであったのかも知れません。
なお、「私撰ページ」に「みひろじ」というページへのリンクを追加しました。
このページの中に作者の独特の右下がりの手書き文字のポエムがあります。この右下がりの文字を見て、ひょっとして、作者のみひろ氏は、左利きなのかな、とも思った次第です。
そういえば、日本語も縦書きだけでなく、横書きも、戦前は、右から左でしたね!、と思ったら、必ずしもそうはいえないようです。
技術書などでは、「左横書き」が戦前にも存在したようです。
縦書きをそのまま横書きに組み替えるときに、そのまま並べると右横書きになります。
右横書きというものはなくて、1行1文字の縦書きなのだ、という説もあるようですが、ウィキによれば(ここで引用するのも何ですが)、その説は、容易に反論できると言うことですな。
なお、同書の眼目は、こういった事ではなくて、後半は、物理や化学の世界での左と右についてす。
実に不思議なことですが、対称性という点から、見ると、素粒子の世界では、左と右との違いが対等ではない力が働くことがあるということです。
このあたりは、2011年現在では、同書が書かれた時点よりもずっと知見が広がっていますが、今回は、そこまでは、とても触れられません。
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右利きの私は、左側をどうしても、無意識に注意して見てしまいます。パソコンのディスプレイもメインは、左側に置いてあります。
ところが、先日、教室の生徒さんで、どうやら「隠れ左利き」の方が、Wordの罫線表の右側から1列目、2列目というように数えていることを発見してしまいました。
利き手や利き足と同様に利き眼はあるでしょう。普通は、利き手と同じ場合が多いとは思います。
右利きの人が左側を注意してみるのは、前述のように左手で何かを支えるという習慣から左側に、より注意を払うためであると思われます。
すると、自動車のハンドルは、右側にある方がよいということになります。左利きの方は、左ハンドルの車ということになるのでしょうか。
このあたりは、自動車の構造も関係してくるので、そうはいかないようです。左利きの方も通常は、右ハンドルの方がしっくりと来るようです。
一方、日本と英国では、道路の左側を自動車が走ります。これは、右利きの運転者にとっては、少し苦痛ではないのでしょうか。
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犯罪において、犯人の利き手は、重要なポイントになります。
特に犯人が左利きであると推定される場合は、それだけで、ずいぶんと容疑者が絞り込めるのですから、重要な事柄です。
推理小説でも、たとえば、山村美紗氏の「京都殺人地図」の「偽装の殺人現場」において、左利きと思われる犯人(作中では「荒木」)を推定するために、「江夏冬子」検視官が次のように述べています。
「・・まず、拇指の爪ですが、これは、利き手の方が、大きく、厚いし、手首のサイズも、太いわけです。
荒木は、左手の方が、郷は、右手がそれぞれ、大きく、太くなっていました。
次に、腕時計ですが、郷は、左手に巻いていましたが、荒木は右に巻いていました。
これは、利き手でない方に巻くのが、普通なので、それからみても、荒木は左利きです。
次に、煙草ですが、荒木は、本当に吸わないらしくわかりませんでしたが、郷は、右手の人さし指と中指との間が黄色くなっていたので、右利きは、本当だと思いました。
それから、荒木は、胸ポケットに、私鉄の定期券を入れていましたが、それが、右ポケットに入っておりました。出すときに、左手で出すから右ポケットに入れておくわけです。
これで、荒木は、いくら右手でお茶を飲んでも、左利きに間違いないと思いました」
最後に、念のため、犯罪と左利きとの関係について書いておきましょう。左利きだから犯罪者になりやすいということは、特にないと思われます。
ただ、前述の「自然界における左と右」でガードナー氏も書かれていますが、欧米においても、比較的最近まで、左利きを矯正することが行われていたので、この矯正をめぐって、両親と諍いを起こしたり、精神的に葛藤状態を経験したりすることが犯罪を犯す可能性を高めることは、当然ながら考えられるとしています。
しかし、現在のところ、批判に耐えられるほどの統計的精度を保った調査は、行われていないのでしょう。
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今回もご覧いただき、ありがとうございました。
また、来月も、本欄で元気にお会いできますよう願っています。
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作成 2011/7/1、目次を追加 2019/5/7、「カタツムリ」の節に『貝の巻く向き 決める遺伝子』を追記 2019/5/18