2019年12月のご挨拶

今年の漢字は「想」か? (創造力を想像する)

目次

(1)令和と亀卜
(2)漢字から想像する
 想うと思う
 甲骨文字から現代の漢字へ
 国字
 和製漢語
(3)物語から想像する
 封神演義
 西遊記
(4)物語を創造する
 過去へ行く
 他所へ行く
 役者を変える
 未来に行く
 アイテムを作る
 特性を変える
(5)想像力で創造する
 想像力とは
 空想・予想・推測力
 連想力
 応用力
(6)終わりにあたって

(1)令和と亀卜

「今年(2019年)は、令和(れいわ)元年じゃが、11月に『大嘗祭』(だいじょうさい:天皇が即位後、初めて行う新嘗(にいなめ)祭。その年の新穀を献じて自ら天照大神(あまてらすおおみかみ)および天神地祇(てんじんちぎ)を祀る、一代一度の大祭。祭場を2カ所に設け、東(左)を悠紀(ゆき)、西(右)を主基(すき)といい、神に供える新穀はあらかじめ卜定(ぼくじょう)した国郡から奉らせ、当日、天皇はまず悠紀殿、次に主基殿で、神事を行う。おおなめまつり。おおにえまつり。おおんべのまつり。)(広辞苑第7版)が行われた。

大嘗祭で使用するお米の産地を決めるために、亀の甲羅を焼いて、そのひび割れで産地を決めるという占い(『亀卜』(きぼく)という)が、今年の春に行われ、悠紀地方(東日本)から栃木、主基地方(西日本)からは、京都の産地が決められたことも思い出される。亀の甲羅を焼く儀式は、正確には、『斉田点定(さいでんてんてい)の儀』と呼ばれるそうだ」

「亀さんも、なに亀でも良いというわけでは、なくって、アオウミガメ(海産のカメ。大形で、甲長1メートルに達し、暗緑色で、暗黄色の斑点がある。アカウミガメとは甲羅の模様が異なる。四肢は鰭(ひれ)状。甲は鼈甲(べっこう)に代用。熱帯・亜熱帯の海域に分布。日本では小笠原・石垣島・西表(いりおもて)島などで繁殖。正覚坊(しょうがくぼう)。)(広辞苑第7版)限定なのよ。※『鼈甲』は、『タイマイ』という別のウミガメの甲羅を加工した物。

ワシントン条約で保護されているため、海外からの輸入が難しい。なお、ウィキペディアによれば、『2018年には、翌年の皇位継承に伴い行われる大嘗祭で亀卜に使用するため、小笠原村の協力を得て2018年春に捕獲されたアオウミガメ8頭分の甲羅を確保したことが話題になった』と書かれていたわ」

「おお、ともちゃんかい。今年も、お疲れ様じゃった。令和を迎えて、春は、浮かれていたんじゃが、夏以降、台風15号や17号の大きな被害を含めて、昨年に続いて、風水害の多い年となってしまった。

天気予報の発達した現代日本でも、こうなのだから、古代において、国家の運命を決めるような決断は、神意を占って決めたというのも分かる気がするのう。そこで、新しい年に思いを馳せるとともに各種災害に遭われた方の身を想い、今年の漢字を『』としてみたのじゃ」
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(2)漢字から想像する

想うと思う

ね。いいんじゃない。じゃ、いきなりだけど、国語のクイズよ。『想う』と『思う』は、何が違うの?」

「『いきなり団子』(熊本のお菓子:さつまいもと小豆あんを重ねて小麦粉の皮で挟んで蒸す)ならぬ『いきなり国語』かいな。

ま、漢字が違うことは、確かだな。いずれの『漢字』も『常用漢字表』に含まれているんじゃが、『想』を『おもう』と読ませる訓読みは、表外になるのだそうだ。これは、『「思う」と「想う」の意味の違いと使い分け、類語、英語も紹介』(https://eigobu.jp/magazine/omou)、などで指摘されていた。

なので、教科書、新聞、雑誌、テレビ、官公庁の文書等では、原則として、『思う』を使い、強いて『想う』を使う場合は、ふりがなを振って、『想(おも)う』などと書くことが求められるようだ。もちろん、小説や詩などでは、使われる例も多いので、日本人の大人ならば、訓読みも読めるじゃろうがな。

なお、『常用漢字チェッカー』なるHPもあった。文章を入れると常用漢字とそれ以外の漢字をマーキングして教えてくれるものじゃ。公文書作成や学校の先生に役立ちそうなページだ。
URLは、https://joyokanji.info/、だ。(ただし、音訓の別ではなく、漢字そのものに関してのチェック)
 実際の例(『私の朋友なんぞは教育の有ると言ふ程有りゃアしませんがネ』)では、下図の通りじゃった。

「えーと、『違いが分かる事典』さんのページでは、『頭で考えたり感じるのが『思う』で、心で深く考えたり感じたりするのが『想う』だ』とも書かれていたわ。(https://chigai-allguide.com/思うと想う/)」

「なるほどな。ちなみに、そのサイトの運営会社は、株式会社ルックバイス、という会社で、それ以外では、『意味類語辞典』、『語源由来辞典』、『故事ことわざ辞典』、『なぜなに大事典』、『日本語俗語辞書』、『平明四字熟語辞典』、『地名由来辞典』、『食品食材栄養事典』などのサイトも管理運営されているとのことだ。このうち、語源由来辞典は、以前から、当方の『情報検索リンク集』の『本 DB』の中に掲載しておったのう。今回、他のサイトも追加させてもらった」
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甲骨文字から現代の漢字へ

「そのほか、漢字の成り立ちから調べてくれるサイトは、『漢字/漢和/語源辞典』というものがあったわ。漢和辞典と思えばいいのかしら。そこでは、『想』について、象形文字であり、木(大地を覆う木の形)+目(目の形)+心(心臓の形)として、『会意兼形声文字』の一つであると説明されているの。

難しい用語が使われているけど、『会意兼形声文字』とは、『会意文字』(2文字以上の漢字の形・意味を組み合わせて作られた漢字)と『形声文字』(意味を表す字と音を表す字を組み合わせた漢字)のことだということよ。

会意文字の例では、『森』(木が3つ組み合わされている)は、木が多く茂っている様子を表している。一方、形声文字の例では、『居』は、『厂』(腰掛ける人)と『古』(コと同じ読みを持ち固と同じ意味を持つ)から、固いものにしっかりと座る『居』という漢字が生まれたという。
以上、『漢字/漢和/語源辞典』(https://okjiten.jp/index.html)による。」

「ともちゃんが調べてくれたそのサイトには、『ホー』と思えるものがたくさんあるのう。例えば、『思』は、『田』(人の頭)+『心』(心臓の形)の組み合わせからできているとか、『列』(れつ)は、毛髪のある頭骨の形+刀の形からできた、いずれも、『甲骨文字』に起源があるということじゃった。『本当はこわい漢字の話』にビックリじゃな」

「甲骨文字は、殷(いん:中国の古代王朝の一つ。「商」と自称。前11世紀まで続く。史記の殷本紀によれば、湯王が夏(か)を滅ぼして建てた。30代、紂(ちゅう)王に至って周の武王に滅ぼされた。高度の青銅器と文字(甲骨文字)を持つ。)(広辞苑第7版)の時代に作られた文字で、亀や牛の骨に焼けた青銅の棒を当てて、生じたひびの形で吉凶を占ったことに起源を持つという。当時は、文字を使う者は、王のみとされていたということね。

その後、漢字の字体は、書いたり読んだりする都合で、次第に簡略化され、甲骨⇒金文(きんぶん)⇒篆書(てんしょ)⇒隷書(れいしょ)⇒楷書(かいしょ)と変化している。現代中国では、さらに簡略化した『簡字体』が使われている。一方、台湾などでは、楷書の『繁字体』(日本でもかつて使われていた旧字体)が使用されている。つまり、日本の漢字を含めて、大きく3種類に分かれてしまっているのね」

「漢字の成り立ちなど、昔、学校で習ったが、すっかり忘れてしまっていたので、勉強になったのう。『殷』では、従わない異民族の首をはねて、生け贄とする習慣があったようで、甲骨文字の字形に潜む怖い影がその習慣にあったという説明は、納得するのう」

「そんな暴虐をほしいままにしていたんで、周などの周辺の民族に滅ぼされたんでしょうね。その『周』は、漢字を王など一部が用いるという殷の習慣をあらため、中国全土の多数の民族を束ねる目的で形に意味のある象形文字を使い始めたとのこと。

これは、民族毎に自ずから、発音が異なっていたので、音を表す文字よりも形を表す文字の方が理解しやすく、普及させやすかったという当時の理由があるという。これが漢字が広まるきっかけになったということよ」

「なるほどのう。そうして、中国の周辺のベトナムや朝鮮、日本などにも伝わったということだな。漢字が日本に最初に伝わったのは、3~4世紀頃とされている。

ちなみに、漢字の音読みは、本来、中国の読みと一致するはずであるが、一致しないものもある。これは、伝来当時の中国を治めていた民族によるのは、当然だが、伝わった経路にもよる。およそ、5種類に分けられている。(広辞苑第7版による)
 『古音』:呉音以前に日本に伝わったとされる漢字音。「意」をオ、「巷」をソとする類。
 『呉音』:漢音到来以前の漢字音の総称。朝鮮半島を経由して伝わった音が中心。
  中国南方系の音を含むとも言われる。
  「行」をギャウ、「日」をニチとする類。仏教用語などとして後世まで用いられる。
 『漢音』:唐代、長安(今の西安)地方で用いた標準的な発音を写したもの。
  遣唐使・留学生・音博士などによって奈良時代・平安初期に伝来した。
  「行」をカウ、「日」をジツとする類。官府・学者が多く用いた。
 『宋音』:従来、唐音として一括されていた音の一部分。
  唐末から元初のころまでの音で、鎌倉時代までに渡航した禅僧・商人から民間に流布した音とされる。
  「行」をアンと発音する類。
 『唐音』:宋・元・明・清の中国音を伝えたものの総称。
  禅僧や商人などの往来に伴って主に中国江南地方の発音が伝えられた。
  「行灯」をアンドン、「蒲団」をフトンという類

こうして、日本の漢字の音読みは、1つの漢字に複数あったり、現在の中国語の読みと一致しなかったりするようになったという」
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国字

「国字については、以前にも、『新コンピューター事始め(日本語ワープロ)』(2017年5月)で触れている。そこでは『『畑』(はたけ)は、日本で作った漢字(国字)だそうだ。わしが昔、台湾に行ったとき、あなたの名前の『畑』は、中国には、ありません、と言われて、ビックリした。日本に帰って、調べると、たしかに、中国のはたけは、『畠』だった。ま、火に田で、はたけとしたかったご先祖の考えは、分かるが、『畠』も特に画数の多い文字ではなく、なぜ、新規に作ってしまったのか、疑問が残った。』と記している。つまり、国字とは、和製漢字のことじゃ」

「国字については、『ORIGAMI-日本の伝統・伝承・和の心』というサイトの中に『日本の国字一覧 150種|日本で作られた漢字』というページがあったわ。その中に『畑』もあった。でも、もっと、驚いたのは、『畠』も国字だったことよ。
https://origamijapan.net/origami/2018/05/28/kokuji/

「や、これは、本当に驚いた。

 白に田の『畠』も国字じゃったのかい。なるほど、『漢字事典』にも『人名用漢字 国字』と書いてあるのう。すると、『はたけ』を意味する本家中国の漢字は、何なのかな?」

「それが、中国では、作物の種類に限らず、みんな『田』(耕作地を表す形から作られた文字)なんだって。

日本の奈良朝廷は、稲を作る水田を田と書き、水を張らない田、すなわち、はたけを『白田』(はくでん)と書いた。後に、これを元に『畠』の文字ができた。ついでながら、焼き畑を連想させる『畑』も国字である』(司馬さん一日一語 『畠』)より。
http://sibasan.yuukiwada.com/category/words/

もっとも、『畠』は、必ずしも、国字とは断定できないという記事もウィキペディアにあったけど、『畑』が国字なのは、間違いないみたい」

「なるほどな。台湾の方は、中国の漢字は、『畠』だと言っておられたからな。その点には、すこし疑問が残るがの。それは、ともかく、国字を作った目的というか動機が一つ分かったのう」
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和製漢語

「次は、国字からのつながりで、主として、幕末以降に日本で作った和製漢語の話じゃ。(幕末以前に作られた和製漢語もある。『世話』、『無茶』など)

実は、『想像』もその一つなのだ。ともちゃんも知っているように明治になると、西洋の学問、技術、法律、文化、習慣などの膨大な情報が書籍やお雇い教師などを通じて日本にもたらされた。当時の日本の学者達がそれを漢字の単語に訳していこうとしたが、なかなか当てはまらない言葉や概念が多かった。

そこで、当てはまらない場合に、中国の文献や語法を参考に日本で作った漢語が『和製漢語』と言われるものだ。先ほどの『想像』も、おそらく、『Imagination』などの訳として考えられたのではなかろうか?

一方、以前からあった漢語を新しく解釈し直して使う場合もあった。例えば、『Music』の訳として、『音楽』を当てた例などは、そうではないかな。

音楽:日本では、現在のように『音楽』がいわゆる音楽の全般を意味するのは、文部省の訓令によって音楽取調掛が創設された明治10年(1877年)以降である。それ以前は、『音』は(人の)歌声、「楽」は楽器の発する音、を意味していた。(古代の)『音楽』は『楽』よりさらに狭義で、仏教の聖衆が謡い奏でる天上の楽、あるいは天上の楽を地上に模して荘厳しようとする法会の舞楽の意で用いられ、『音声楽(おんじょうがく)』が和文脈にみえるのに対して主に漢文脈にみえる。『今昔物語集』などの説話では天上の楽や法会の楽をいう『音楽』に対して世俗のそれを『管絃』といって区別している。(日本国語大辞典 精選版より)

「和製漢語について調べてくれていたサイトが、『中国が日本から輸入した和製漢語』、とあった。
http://www.catv296.ne.jp/~t-homma/dd120404.htm

また、別のサイトでは、『ある漢語が和製であるか否かを定めるには日本語および中国語の双方における文献学的な考証が必要となり,たやすい問題ではないが,現代中国の専門家によれば,次の漢語は和製英語である可能性が高いという(以下の例はすべて『日本語百科大事典』 pp. 1029--30 より).』として、http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2013-10-12-1.html、と書かれている」

「なるほどな。一つ目の『中国が日本から輸入した和製漢語』には、『何故、日本人は和製漢語を作ったか』と題した文章があった。中国の学者の書かれた文献を元に解説されている。分かりやすいので、以下にそれが作られた理由を引用した。

和製漢語は多くが西洋の言葉を訳すために作ったもので、それまでに日本には無い概念や社会・人文・科学についての言葉を翻訳したものである。明治時代に西洋の書物を翻訳する際に、日本で漢語を作ったのである。カタカナによる音訳ではない。日本人は何とかして西洋に追いつこうとして、西洋の書物を翻訳して知識を吸収した。その際に西洋の概念を英語やドイツ語フランス語などを音訳せず、漢語を造語したのである。もしこの時、日本人が外来語をカタカナ語で音訳していたらそれらの言葉は中国に入らなかったに違いない。

また、明治以降に作られた和製漢語が、その後、中国に逆輸入された理由についても説明されている。中国から日本に来日したの留学生が、1896年(明治29年)から、はじまり、1905年(明治38年)には、最大の8000名となっていたとのこと。この方々により、和製漢語が母国にもたらされ、広まっていったと考えられるということじゃ」

「明治以降の和製漢語が中国に逆輸入されて広まった重要なポイントとして、和製漢語が中国語の文法に沿って、作られていた点についても、触れているわね。一部を引用しますよ。

当時の日本では、 西洋の新語を訳すとき、 少数の音訳をのぞいて大部分は意訳をしていた。 しかも音訳であろうと、 意訳であろうと、 みな漢字を使っていた。 特に意訳の場合は、 ちゃんと中国語の造語法のルールを守ってつくられた。

一、 修飾語+被修飾語
  (1)形容詞+名詞、例=人権 金庫、 (2)副詞+動詞 例=互恵 独占、

二、 同義語の複合 例=解放 供給

三、 動詞+客語 例=断交 脱党、(この造語法は日本語にはもともとないばかりか、 日本語の文法とは正反対である。)

「中国語には、とんと無知ではあるが、『想像』は、前掲の三、動詞+客語の例となるのかのう。対象の像(イメージ)を想い浮かべる、という意味じゃからな」
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(3)物語から想像する

封神演義

「前節の『殷』からの連想じゃが、『封神演義』(2000年9月のご挨拶)が思い出されるのう。中国の三大怪奇小説の一つとも言われる。(『封神演義』(講談社文庫:安能 務 訳:1989年を参考にしました)

物語の『封神演義』は、殷の『紂(ちゅう)王』の代で『周』の武王に討たれて、『殷』の時代が終わったという歴史を踏まえて、天界、仙界、人界の3つの世界に神界を新しく作り出すという天界の命令(天命)を執行する物語を濃厚な道教思想で修飾したものじゃ。

わしが講談社文庫で『封神演義』を読んだ1989年(平成元年)頃は、日本では、知名度が低かったと思う。その後、日本でも、コミックやアニメに取り上げられて、現在では、Google検索で多数のサイトがヒットする結果になっている。

なお、日本国語大事典によれば、『封神演義』は、『中国明代の神怪小説。周の武王が殷の紂王を征伐する殷周革命を舞台に、それぞれに味方する神仙妖怪たちの戦いを描く。作者は許仲琳・陸西星・李雲翔など諸説ある。別名「武王伐紂外史」。』とあり、中国では、民衆の間で人気が高かったらしい。

物語上の執行役は、実在した人間の『太公望』(氏=呂、姓=姜、名=尚。太公望は通称。『封神演義』では、姜子牙と呼ばれる)となっている。太公望は、武王の父である文王に見いだされた軍師であるが、物語では、崑崙山に上り、40年間、仙術の修行を積んだという想定になっていて、ただ人ではない。

もっとも、主人公の太公望やその仲間が窮地に陥ると、仙界から闡教(せんきょう)派(正統派)の仙人達が応援に駆けつけることが多いので、最終的には、歴史どおりに、周が殷(物語では、商)を滅ぼすことに落着する。その過程で、なんと、365名の出来過ぎた人間や異端派の仙人達が殺されて、神界に送り込まれ、神にされる。これを『封神』と称するのじゃ。

ちなみに『太公望』は、日本では、釣りの名人の異名とされているが、それは、日本で作られた伝説である。その伝説が中国に逆輸入されて、中国でも太公望を釣りの名人と錯覚する人も出ている。江戸時代の川柳にも、『釣れますかなどと文王そばにより』とある。しかし、太公望は、釣りには、まったく興味がなかった。釣り針も三寸も水面から浮いていた。ただ、釣りにかこつけて、わらじばきで、文王と会おうとしたのである。中国では、伝統的に、軍師の方が主君よりも気位が高い。(青字部分は、安能務 氏のまえがき、から引用)」

「まったく物騒な、お語よね。真面目に考えると、仙界や人界における民族浄化ともとらえかねないわよ。

ま、そんな話は、野暮として、物語では、闡教派の根城は、崑崙山(こんろんさん)という伝説上の高山で、異端派の截教(せつきょう)派は、これも伝説の金鰲島(きんごうとう)などに依拠する海洋派とも言えるわ。そして、人間以外に妖怪や截教派の仙人が殺されるんだけど、殺される多くの仙人の出自が人間では、ないのよ。たとえば、亀や獅子などの動物由来の仙人。

そんな動物が出自の仙人も、普段は、仙術で人間の姿をしているの。けれど、思いがけずに危機に遭ったり、西方の仏弟子の払子(ほっす)ではたかれたりすると、原形を顕して、元の姿になる。それは、私たちが人前で裸になるような、とても恥ずかしいことみたいね」

「ははは、たしかに。そんな感じなのかな。『金鰲島』のむずかしい漢字『』は、『おおがめ』と訓読みするとのこと。亀卜からのまさかの亀つながりだな。封神演義は、明の時代(1368年~1644年)にできた物語というが、仙人になっても、動物や植物よりも人間の出の方が偉いという考えだろう。あからさまな差別じゃがのう。

神界に送り込まれる犠牲者は、ほとんど、個人戦または少数同士の戦いで決まる。ま、物語の演出上、こうするのが効果的だった。これは、昔の物語だけではなく、映画でも、そうではないかな。大勢の兵士や強力な爆弾により、一時に多数が殺されたりすれば、迫力はあるかも知れないが、映画がすぐに終わってしまうではないか。西部劇映画『幌馬車』でインディアンがなぜ、馬を射ないのか?、と同じ類いの質問じゃな。

ところで、話を戻すと、封神演義では、人間の兵隊も多数出てきて、中には、そういった兵士に殺される者もおり、後に神界入りしたり、大勢の兵士が犠牲になったりする場面もある。また、敵役の『殷』の『紂(ちゅう)王』も物語では、『妲己』(だっき)という狐の妖怪にたぶらかされて、暴虐を働いているという設定であり、ただの悪役ではない。

とは言え、封神演技を楽しんだ人達は、物語の中に現れる『宝貝』(パオペエ)と呼ばれる秘密兵器が飛び交う様に興奮したんじゃろうな。その結果、人界や仙界が整理されて、今の平和な(人の)世になって、めでたし、めでたしということかのう」

「神仙や妖怪の戦いなんていうと、子供だましのようにも聞こえるけど、私たちが考えないといけないのは、封神演義に出てくる宝貝(パオペエ)と呼ばれる秘密兵器の存在ね。それが、この物語の笑えないところだと思う。今世紀にすでに存在しているか、あるいは、今後登場するであろう兵器(または、その原型)が大半だからね」

「宝貝(パオペエ)は、仙人に作られるんじゃが、使い手が作った仙人でなくても、そこそこの効果を発揮し、まして、使う前の口訣(こうけつ=呪文)を知っていれば、たとえ、弟子や敵対する者が使っても、十分な効果を出すことが特徴だな。

アメリカでの拳銃などによる多数の発砲事件を考えれば、このような兵器の恐ろしさが分かると思う。ピストルを使えば、幼児でも屈強な男を殺せてしまう。刀や槍では、こうはいかない。

『封神演義』に登場する宝貝(パオペエ)は、まさに『殺人システム』なので、使い手によらず、同じ効力を持つという近代兵器の特性をとらえている。必要となる『呪文』は、安全装置の解除方法なり、必要なパスワードに置き換えて考えるとまさに合致する部分が生じてしまう」
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西遊記

「『封神演義』と並ぶ中国の怪奇小説と言えば、『西遊記』よね。(『新西遊記』:陳舜臣 著:講談社文庫)を参考)

西遊記の前段、主人公の『孫悟空』が石から生まれて、猿たちの王となるも、生き物には、寿命があることを知り、長老の猿に聞くと、『この世に閻魔大王も手出しができねぇもんが三つごぜえます。それが、仏と仙と聖だす』と言うので、悟空は、仙人になろうと師を求めて旅に出る。

そして、たどり着いた場所が『南贍(なんせん)部州』、そこで、仙人の弟子入りをする訳ね。なんとか、仙術を修行して、故郷に帰ってから、周辺の妖怪達を懲らしめて、仲間にしたり、武器が欲しくなって、竜王に武器(これが『如意棒』)や甲冑をねだったりという無茶を働き出す。

天界では、竜王らの訴えを受けて、悟空を手なづけようと、『ひつばおん』という役を与えて、天馬の世話係を命じ、悟空も熱心に働く。しかし、あるとき、その地位の低さを知らされて、かんかんに怒って故郷に帰ってしまう。成敗すべしと言う武官達をなだめて、『太白金星』なる大臣が天帝に進言したのが、悟空の要求した『斉天大聖』に就けてやる、すなわち、地位は高いけれど名ばかりの官職を授けるという方策だったという訳ね。今もこういうことは、ありそうじゃないの。

その『斉天大聖』(天に等しい大いなる聖、からして、まったくの誇大妄想であります)となった悟空も最初は、神妙に勤めているものの、暇なのです。そこで、天帝は、仙桃園の管理を命じる。ここで、仙桃を盗み食いして、休んでいる際、仙女の話を盗み聞きし、天界の宴会があるが自分が招かれてないことに腹を立て、宴会場に先回りして、料理を食ったり、酒を飲んだり、さらには、太上老君の仙薬を盗み食いしたりと、まさにやりたい放題の狼藉ぶり。正気づいて、こりゃ大変とばかりに、また故郷に帰ってしまう。

これには、さすがの天帝も堪忍袋の緒が切れたと、いよいよ、天界の兵士達を悟空の元に差し向けるも、悟空とその取り巻きの妖怪連(ここに悟空と義兄弟の契りを交わした牛魔王も入っている)の強さに圧倒され、いよいよ、華々しい戦いが幕開きとなるわけ。

『封神演義』では、東方の支配者『天帝』や道教では、ほぼ最強の『太上老君』も、『西遊記』では、あんまり精彩がないのよ。天帝は、ただおろおろするばかりだし、老君も、折角、捕まえた悟空を『八卦炉』に入れて灰にするつもりが炉を開くと、再び現れた悟空に炉を踏み倒されたあげくに、再び、天界で暴れられる。

あわや、天界もこれまでかと、思ったその時早く、かの時遅く、現れたのが西方浄土の主『釈迦如来』、いわゆる、お釈迦様だったのね。お釈迦様と天界の主の座を賭けて、勝負するも、あえなく負けて、哀れ、悟空も五行山へと封印されてしまうのでした。トトントントン。どうだい、という感じ。ここまでは、波瀾万丈、テンポ良く進んでわくわくするわ。

それに、悟空が踏み倒した八卦炉のかけらが地上に落ちて、『火炎山』となって、後の牛魔王との勝負の舞台になったり、五行山で閉じ込められていた悟空を助けるのが三蔵法師だったりと、自然に後段に話をつなぐ伏線がうまく敷かれていて感心するわ。

だけど、三蔵法師のお供をして、天竺を目指して、取経の旅に出る後段は、火炎山を舞台にした牛魔王との戦いのあたりがクライマックスで、その後は、どうしても、ワンパターンになってしまう。三蔵や悟空達が困っていると観音様などが助けてくれるというお決まりのパターンが何回も繰り返されると、さすがにマンネリを感じるわ」

「なんとなく、ともちゃんの話を聞いていて、映画『男はつらいよ』の寅さんと悟空をダブらせてしまったのう。

西遊記では、仏教が主役となっているので、道教は、後ろに下がっているのだな。それはさておき、西遊記の前段では、悟空、すなわち、物語を束縛する条件が少なく、舞台も自由に設定できたので悟空も十分に活躍した。

しかし、後段は、悟空が三蔵法師のお供をして天竺にお経を取りに行く、というレールが敷かれているため、なかなか前段のようには、融通無碍に活躍はできない。基本的な時間や場所が限定されている。また、悟空は、三蔵法師の仏弟子となったので、やたらと殺人や暴力を振るうこともできない。

自由に戦っていた前段と比較すると、悟空の力を弱めて描かれたと思うのじゃ。ともちゃんがクライマックスと言ってくれた牛魔王の段は、牛魔王が強いので、悟空も久しぶりに存分に腕を振るえた。また、前段で、悟空が敵として戦った天兵や西方の仏弟子達も悟空に加勢したので、物語が大いに盛り上がったのだと思う」

「それで思い出したけど、封神演義に出てくる『哪吁』(なたく)は、太乙真人という仙人が作り上げた人造人間で、西遊記にも出てきて、悟空と戦うのね」

「安能務 氏によれば、西遊記では、『哪吁太子』と呼ばれていて、前段で悟空と戦ったり、後段では、牛魔王を降伏させるなど活躍する。

西遊記に登場する人物は、前段では、天界から地上、海中まで、多彩なんじゃが、後段では、三蔵法師、孫悟空、猪八戒、沙悟浄と観音様以外は、その章ごとに敵役として、新らしいメンバーが出てくるものの、その多くが次に引き継がれない。いわば、ドラマの『ゲスト出演者』のような感じなんだな。後段で、ワンパターンに陥りがちなのは、常時出演するメンバーの少なさに一因があると思うな。

さて、最終話では、お経をお釈迦様から頂戴し、すでに仏になる約束をされた四人と白馬一匹が八大金剛に送られて天空を長安に戻る途中、直前で、空から川に落とされてしまう。ようやく川から岸に上がるが、川に落ちた瞬間、三蔵が被るべき災厄の数が八十一回に達して、めでたく満願となり、三蔵は、人間から仏になることができたという話だ。

なぜ八十一回と聞かれるかも知れんが、9×9=81なんだそうだ。なんという員数あわせでありましょうと、陳先生ならずともがっかりじゃが、次のような、悟空のちょっといい話も載っている。

『濡れてしまったお経を川岸の石に広げて乾かしたところが、いくつかは、石に貼り付いてしまって、はがすときに破けてしまった。これを三蔵が嘆いていると、悟空が『天地にも欠けたところがあるのに、経文だけが完全無欠ですが、これは、理に合いません。今こうして、すこし破けたので、やっと、妙理に応ずることができたのですよ』と笑いながら言った。』

この西遊記の最終節のエピソードは、実は実話じゃ。『新西遊記』によれば、歴史上の玄奘三蔵がインドから経典を得て、帰路、インダス川を船で渡る際、船が大きく揺れて、転覆は免れたものの、積んであった経典の一部が川に落ちて失われたことから、最終話のモチーフが生まれたということだ」
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(4)物語を創造する

過去へ行く

「昔話の多くが、『むかしむかしあるところに・・』というはじまりで、昔の話に仮託して、想像力を広げる。前節までに取り上げた、『封神演義』や『西遊記』がそうじゃった。漢字の話から連想したので、たまたま、中国の伝奇小説になった。これらでは、視点を過去に移動している。

そういえば、わしが小学生の頃に日本で最初の長編アニメ映画『白蛇伝』を学校の先生に連れられて、近所の公会堂に見に行ったことを思いだした。この『白蛇伝』も中国の伝説だった。今、思うと、ちょっと、小学生向けではなかったような気もするのう」




『白蛇伝』というタイトル。パンダが出ていたのは覚えていない。


 京都府にあった『伏見桃山城』で開催されていた『劇場アニメの歴史』という展示会(1992年)の一コマだ」

「たしかに。今の話ではないところが重要よね。読者を自然に過去の世界に連れ出せるかどうかが、作者の腕の見せ所だわ」

「しかし、そのためには、読者が過去の時代背景を知らないと、伝わりにくいこともある。日本の『時代劇』とて、そうじゃろう。十二月になるので、『忠臣蔵』が舞台やテレビでも取り上げられる。わしら年寄りは、なんとなく、分かるんじゃが、若い方や海外の方は、どの程度、伝わるのかとも思う。

一方、過去に時間を移動させると、現代では、失われた習慣、風俗、動植物、空想上の生き物などを自在に出すことができるという利点がある。幽霊や妖怪にしても、なかなか、現代を舞台にしては、難しいじゃろう」
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他所へ行く

「これは、分かるわね。今の場所を舞台にしていなくて、別の場所という点も大切ね」

「視点を他に移せば、自由度が増す。当然、実在の場所でなくても良い。藤沢周平氏の時代小説にしても、架空の北国の藩がしばしば登場する。その方が自由に筆を運ぶことができたのじゃろう」

「一方で、架空の場所にしてしまうと、現実味が失われるデメリットはあるわね。実在の場所の方が、リアリティがあるもの。『シン・ゴジラ』も現代の東京でないとね」

「ま、それは、分かるのう。『君の名は。』などのアニメでもファンの間で『聖地巡礼』が流行るように現実の世界のどこかに舞台を設定すれば、リアリティが増すことはたしかだ」

「でも、『ハリー・ポッター』シリーズのように『魔法学校』という架空の世界を現実世界と並行して存在する『パラレルワールド』的に作り出してしまうのもありなのよね」

「究極は、地球以外の惑星などに場所を変えてしまうことだな。『スターウォーズ』の第1作目の設定もそうじゃろう」

「場所が極端に変わると、服装とか髪型にも苦労するわね。小説では、具体的に書かなくてもいいかもしれないけど、映像では、なにがしらかの設定が不可欠だものね」
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役者を変える

「三つ目の方法は、役者を人間以外に変えることだ。西遊記の猿や豚や河童などが良い例だ」

「たしかに。ハリーポッターにしても、『魔法族』という、ほぼ、人間なんだけど先天的に魔法が使える種族があるという設定で、それまでになかった想像が広がった。途中から登場した『屋敷しもべ』は、日本人的には、なじめない感(可愛くないしね)があったけど、一連の物語では、重要な役割を担ったわ」

「『吸血鬼』物や『トイ・ストーリー』など、吸血鬼やおもちゃが活躍する。考えれば、役者の自由度は、とてつもなく、広い。だが、見た目は、差し支えないが、動作が、あまりに人間離れしてしまうと、親しめなくなるじゃろう」
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未来に行く

「SF(science fiction の略)『科学の発想をもとにした空想的小説。ヴェルヌの「海底二万里」やH.G.ウェルズの「タイムマシン」「宇宙戦争」などに始まる。空想科学小説。科学小説。』(広辞苑第7版)に代表される想像の広げ方ね」

「SFは、文字通り、未来に行った想定で、物語が展開するのが定番。だが、逆に、はるかに遠い未来から過去のある時点(現在、過去、未来)を見るという視点を持って登場したのが光瀬龍氏の一連のSFだった。『たそがれに還る』(1973年(昭和48年):早川書房)などじゃな」

「未来から見て、向いてる方向がどっちか、ということね」

「主人公達が活躍する時間とは別に、もう一つの時間があって、そこから振り返って、述べられている感じなのかな」

「小松左京氏の『日本沈没』なども、SFなのよね。近未来を舞台にしている点は、空想小説というより想定(シミュレーション)小説と考えた方がピッタリだと思うわ」

「一方、石川英輔氏は、西遊記や三国志演義をSFに置き換えて、『SF西遊記』、『SF三国志』を発表されている」
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アイテムを作る

「アイテムというと、ゲームの世界の定番商品だ。ハリーポッターでは、『杖』が登場している。このように、新しいアイテムを登場させるというのもアイデアが広がるきっかけとなる」

「まさにね。『封神演義』では、『宝貝(パオペエ)』というアイテムがこれでもかと言わんばかりに登場した。あれがなかったら、ああも、お話しが続かなかったと思うわ」
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特性を変える

「一連の『ゴジラ』映画を振り返ると、ゴジラがキングコングみたいに、ただ、大きくて、力が強いだけでは、ここまで、いろいろな作品が生まれなかったと思う。

口から火炎放射器のように原子の炎を吹き出すという設定があったことが、後々、生きた。前節のアイテムとは違った特性を役者(この場合は、ゴジラじゃが)に追加した効果だな」

「これは、ものすごく、バリエーションがありそうね。役者の職業を変えるだけでも、ずいぶんと変わりそうだもの。

こうやって挙げてきた様々なものを変えることにより、新しい世界観を創り出して読者や視聴者の共感が得られれば、ヒットする可能性が高くなるでしょうね」
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(5)想像力で創造する

想像力とは

「前節までの内容を踏まえると、『想像力』とは、
0. 現在/過去/未来の他の個体や集団の視点に立って考える力、
1. 現在から未来のイメージを空想/予想/推測する力、
2. 現在から過去のイメージを空想/予想/推測する力、
3. 未来から過去のイメージを空想/予想/推測する力、
4. 現在/過去/未来のイメージから性格の異なるイメージを空想/予想/推測する力、
5. 現在/過去/未来の複数のイメージから新しいイメージを空想/予想/推測する力、
6. 現在/過去/未来のイメージの一部を他のものに置き換える力、
7. 現在/過去/未来のイメージの一部の性質を違ったものにする力、
などを指すと考えられるじゃろう」

「0番の『現在/過去/未来の他の個体や集団の視点に立って考える力』が、まさに、当時の『相手の気持ちを想いやる力』ね」

「これが、みな、多少なりともできれば、世の中もずっと平和になると思うがの。これは、なんでも相手の主張を受け入れろという意味ではない。相手がなぜ、その主張をするかという背景を理解する努力を行うことだ。そうすれば、互いに妥協の余地も出てくるじゃろう」
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空想・予想・推測力

「空想も入っているわね。空想とは、必ずしも、合理的でない予想や推測を指すのかしら?」

「空想は、予想よりもずっと弱いが、何かの新発見なり、技術革新(ブレークスルー)が起これば、強い予想に変わる可能性もあるだろう。例えば、真空管式のコンピューターの性能限界は、真空管から発生する熱を冷却する力で決まると信じられた時代もあった。しかし、トランジスタの発明があっさりとその予想を打ち砕いた。その後、同様に、トランジスタの小ささで決まるとも考えられた。これも、集積回路の発明や発展によって、乗り越えられることになった。

現在の知識や経験が豊富であれば、あるほど、一般には、かけ離れた空想がしにくくなるだろう。むしろ、そのような束縛を離れて、想いをめぐらせると意外なものを見いだせることもあるじゃろう。ある作家さんが、作品は、『妄想(空想)』⇒『構想』⇒『実作』と進めるのだと書かれているのを読んだ記憶がある」

「たしかにね。数学の様々な『予想』だって、肯定的に解決(つまり『定理』となる)か否定的に解決(これも重要な成果)されるかでしょうからね。予想がないと研究が始まらない、あるいは、研究が盛んにならない、という面は、あるかも知れないわね」

「生物学の分野では、日々、新しい発見があるようではないか。2019年5月のNHKスペシャル『シリーズ人体Ⅱ「遺伝子」第2集 "DNAスイッチ"が運命を変える』では、これまで常識とされていた『獲得形質は、子孫に受け継がれない』が一部否定され、子孫に受け継がれる、すなわち、遺伝する形質があるらしいと分かった。これなぞ、驚倒する結果だ。生物のこれまで神秘ととらえられてきた観察結果の一部を説明できるきっかけとなるかも知れない」

「一方、幽霊や妖怪は、空想だけど、さまざまな、物語を生む源泉となっている。SFやファンタジーを創り出すヒントになっていると思うわ」

「宗教も、似たような物だ。21世紀になっても、多くの人々の心を束縛し、戦争や紛争の火種になっている。物ではないだけに、やっかいだ」

「でも、宗教だって、新しいものも生み出す力にはなっているでしょう。少なくとも、科学の生みの親とも言えるわ」

「たしかにな。ま、少なくとも、他人の信ずる宗教を否定はしないが、相手からも強制されたくはないのう」

「想像する力=想像力は、人間だけの能力かしら?」

「現在から未来を予想する力と狭くとらえれば、生物やAIなども、未来を予想できる場合がある。ハチやツバメが、その年の天候を予測して巣を作る場所を変えているらしい。

Googleの開発した囲碁ソフト、というか専用コンピューターとソフト『AlfaGo』(アルファ碁)が『2016年に囲碁の世界一位、韓国のイ・セドル氏に4勝1敗、翌2017年には、中国の河潔氏に対して3戦全勝と人間の棋士を圧倒した。』(ウィキペディアのAlfaGoによる)

囲碁は、将棋やチェスに比べて、盤面が広く、一方では、駒の種類が将棋やチェスと比較すると、ほぼない(黒と白のみ)ので、コンピューターをもってしても、人間に勝つのは、相当先と信じられていた。それだけに、この結果に世界が驚いた。人間の脳のニューロンを模倣したコンピューターは、以前から構想されてきたが、盤面を白黒の画像パターンと見なして、膨大な過去の盤面を反復学習させて、さらに、PC同士を対戦させて、学習させることにより、人間の能力を凌駕できるということを目に見える形で示した。

それ以来、対象を画像パターンに置き換えることができて、学習材料を与えられれば、AIの能力を引き出すことが可能になりつつある。最近でも、日本語の古文の『くずし字』をAIで読む実験などが行われ、人間に比べて、高速に普通の文字に分解できる(意味のつながりは不明でも)ことが分かってきたという。

こういうことから考えると、少なくとも、過去の経験がある問題については、AIが、近い将来、判断するまでの速さや正確さで人間の能力を引き離すと予想できる。となれば、想像力の一部を構成する『予想力』の多くは、AIが先行する時代が来るじゃろう。

また、火山噴火のような個別の火山に関する予知を地震波を材料にAIで行うことは、火山によっては、可能になるかも知れない」
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連想力

「連想力を検索語を含むサイトを検索する能力と考えると、コンピューターにすでに追い越されているわね」

「そうだな。しかし、検索語が一切含まれないサイトを見つけることはできないじゃろう。たとえば、『ミカン』から『こたつ』のページとかな。これは、『シソーラス』(類語辞典)のような連想データベースを作れば、部分的には、解決すると考えられる。さまざまな文書等から、言葉と言葉の結びつきを学習させれば、原理的には、可能だ。ただ、学習させる材料と学習方法に大きく依存するじゃろう。AlfaGoのような効果的な例を提示できれば、面白いと思う。

これもNHKスペシャルからの引用じゃが、『NHKスペシャル シリーズ ダビンチ 万能の男が見た世界』(2019/11/23 BS4K)では、膨大なダビンチの手稿(手書きメモ)に書かれている単語や動詞のつながりをデータベース化して、解析し、天才の発想の秘密に迫った」
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応用力

「イメージを置き換えたり、変化させたりというのは、応用力とでも言うのかしら。製品開発では、必須の力ね」

「薬品などの構成材料を変更したときにどのような性質を持つかをコンピューターでシミュレーションして、開発を進めるというようなことがすでに実際に行われつつあるそうだ。コンピューターの処理能力を大きく向上させる『量子コンピューター』が広く実用化されるようになれば、大きく発展する分野じゃろう」
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(6)終わりにあたって

今回もご覧いただきありがとうございました。次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。

Windows 7(SP1)は、2020年1月14日に、また、Office 2010は、2020年10月13日に、それぞれ、マイクロソフト社のサポートが終了します。インターネットに接続してお使いの皆さまは、早めの更新をご検討ください。

なお、過去の「今年の漢字は「○」か?」シリーズは、次の通りです。よろしければ、ご笑覧ください。
   2017年12月--「今年の漢字は「忘」か?」
   2016年12月--「今年の漢字は「怖」か?」
   2015年12月--「今年の漢字は「不」か?」
   2013年11月--「今年の漢字は「謝」か?」
   2005年12月--「今年の漢字は「偽」か?」

※旧ドメインは、2017/6/1で閉鎖いたしました。お気に入り、スタートページ等の変更をお願い申し上げます。
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 作成日 2019/12/3
過去の「今年の漢字は○か?」へのリンクを追加 22019/12/4
画像を追加 2019/12/4、
『(5)想像力で創造する』を追記 2019/12/5
副題を「物語を創造する力を想像する」とした:2021/9/8
副題を「創造力を想像する」とした:2021/12/27

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