パソコンの発展=8ビット時代


1974年、アメリカのMITS社から「アルテア」という名前の8ビットCPU搭載のパソコン組立キットが発売されました。
しかし、当初は、機械語を直接入力しないと動作しなかったため、一部のマニアが購入するにすぎませんでした。

そこで、後にマイクロソフト社を興すことになる、ビル・ゲイツとポール・アレンは、アルテア用にBASICシステムを作成した結果、多くの人たちがアルテアに殺到しました。
右は、ビル・ゲイツマイクロソフト社社長。

その後、アップル社(アップルU)、タンディ社(TSR80)、コモドール社(PET)等から様々な機種が発売され、日本にも輸入されました。



一方、日本でもNECから1976年にTK80(組立キット)、PC8001(1979年)、同8801と矢継ぎ早にパソコンが発売されました。





また、同時期に日立のベーシックマスター(1980)、シャープのMZ80K(1978)、東芝のパソピア(左端写真:1981年)、富士通のFM7(1982)、ソード、サンヨー、IBM、沖電気、エプソン等のメーカーの8ビットパソコンが競りあう混戦状態が続くました。
これらは、CPUとしてアメリカのザイログ社のZ80又はその互換製品を使用していました。






これらの機種は、OSをほとんど搭載しておらず独自に開発したBasicシステム又はマイクロソフト社からライセンス供与を受けたBasicシステムで稼働していました。
Basicシステムは、ROM(リードオンリーメモリー)の形で保持しており、電源をONすると自動的にBasicシステムが立ち上がる仕様になっていました。
また、当時は、今日のように市販のソフトが販売されておらずユーザーが自分でBasic語でプログラムを開発することが当然とされる時代でした。

後半にいたって、各社から自社用マシン用のCP/Mが発売され、ターボパスカル等によるプログラミングが可能となりました。
しかし、続いて16ビットパソコンの時代になりCP/M上でのソフト開発は、少なくともユーザーレベルでは、普及するまでには至りませんでした。

なお、ハードウェアの面では、当初は、記憶媒体としてハードディスクやフロッピーディスクは、ほとんどなくカセットタイプの磁気テープにプログラムやデータを保存していました。
しかし、8ビット時代の後半から、外付けのフロッピーディスク装置が販売されるようになりました。1枚320KBのフォーマット利用のドライブを2台搭載した装置で30万円近くしました。
けれどもその信頼性は高くユーザーからは大歓迎され、フロッピーディスク装置内蔵の波に乗り遅れたメーカーの機種は次第に売れなくなりました。

このような8ビットパソコンの混戦状態からNECのPC8801が市販ソフトが豊富な点、漢字が使用できる点で一歩抜け出しました。
パソコンにとって大切なことは、ハードウェアの性能もさることながら使用できるソフトが多い点であることを如実に示す結果となりました。
この後、日本では、WINDOWSの登場までNECのシェアが極めて大きくなり市場を圧する時代が続きました。




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