真空管式電子計算機=エニアックの発明


第2次大戦中、アメリカでは大砲の弾道計算は、陸軍弾道研究所において主としてアナログ型の微分解析機によって遂行されていましたが、1本の弾道の計算に10〜20分ほどかかり、1つの射撃表を完成するのに300から1500時間かかったといわれます。
このために多くの婦人が動員され、専門の訓練を経て弾道の計算を遂行しました限られた時間内に完成させることは非常に困難でした。
この際、電気リレー式計算機を使用しなかったのは、デジタル式計算機では、アナログ型の微分解析機よりも更に計算時間がかかったためです。


このような背景から、1946年、弾道研究所の要請によりペンシルバニア大学においてエッカートとモークリーが中心となって真空管を電気リレーの代わりに使用した世界最初の電子計算機が開発され、納入されました。

これは、ENIAC(Electronic Numerical Integrated and Calculator)と呼ばれました。


ENIACは、約18000本の真空管と30トンの重量を持ち、大きさは、幅100フィート、高さ10フィート、奥行き3フィートという巨大なものでした。
これにより文字通り電子の早さで計算を実行することに成功しました。
しかし、ENIACは、メモリーがほとんど無いため命令を実行する際のプログラムを内部メモリーに保持することはできず電気配線と多くのスイッチで実現していたため多種の計算を実行することは困難でした。
この後、イギリスのEDSAC等のプログラム内蔵型の計算機が次々に開発されるようになりました。
これらは、最初にプログラム内蔵型という概念を明確に提唱した数学者のフォン・ノイマンの名を取りノイマン型といわれるようになりました。






前へ戻る