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笑い話

更新日:2016/2/2

中野の自慢

これまでに「今月のご挨拶」に掲載してきました「笑い話」を独立させたものです。
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 先日(2011/11/10)のNHKの「ブラタモリ」で、我が中野の「名所」が紹介されました。
(http://www.nhk.or.jp/buratamori/broadcast/vol001.html)

 「江戸時代に中野に犬小屋があったんだってね」
 「よくぞ聞いてくれましたな。
 犬公方とも後世呼ばれた徳川綱吉の時代だ。
 一部は、囲桃園(かこいももぞの)公園というものになっているよ」
 「カッコイイ」
 これで終わりじゃあんまりですな。では、続きを。
 「桃園て、いい名前ね」
 「番組でも紹介されているけど、徳川吉宗が命じて、桃を植えさせたそうだ」
 「それで、桃園ね」
 「吉宗は、武蔵野に鷹狩りに来て、中野と新宿の間にある川に架かる橋の名を尋ねたそうだ。
 役人が『姿見ずの橋』と伝えたところ、
 『不吉な名じゃ。以後、淀橋とせよ』と命じたそうな」
 「それがヨドバシカメラの淀橋ね。でも、なんで淀橋なの」
 「吉宗が橋の下を見たところ、水がよどんで見えたそうだ」
 「ドヨーンなんて」
 これでも、あんまりですな。続きをどうぞ。
 「ブラタモリでは、象も取り上げられていたわね」
 「享保13年(1728年)にはるばる、ベトナムから連れてこられたそうだ」
 「一頭だけだったの」
 「Webで調べると、明治以前に日本に象が来たのは、8回ということだな。
 (http://tabinaga.jp/column/008.php)
 吉宗の時代に来たのは、2頭だったということだが、1頭は、長崎で死んでしまい、残ったオスの1頭だけが江戸まではるばると歩いてきた」
 「で、最後は、ぞうなったのかしら」
 「もしかして、『どうなった』というしゃれかいな。
 よくぞ聞いてくれました」
 「またですかい」
 「10年近く、生きていたそうだ。
 最後は、中野村の『源助』さんという百姓に預けられて、死後、頭骨などが中野の『宝仙寺』に納められたことだ」
 「今もあるのかしら」
 「宝仙寺のHP(http://www.housen.org/)を見ると、第2次大戦の空襲で寺が焼けたときに失われたそうだ」
 「象は、平和の象徴なのに。哀しい事ね」
 「残念だぞう」 

       

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