2000年5月のご挨拶

更新日:2000/5/1

 デジタルとアナログ

 ジタルテレビ放送が今年末から開始されるなど、「デジタル」という言葉が世間にあふれています。
 デジタルは、英語のdigit(数字:ラテン語の「指」という言葉から)という言葉に由来し、さらには「離散的な、とびとびの」という意味でアナログ(計量的、連続した)と対比的に使用されているようです。
 確かに感覚的には、分かる気がしますが、ちゃんと説明しようとすると大変です。
  先の言葉からすれば、離散的な数値を利用したもの、あるいは数値的に表現できるものは、みなデジタルだということになります。
  良く言われるたとえでは、ゼンマイ式時計は、アナログ式だと言われます。
 ゼンマイ時計は、確かに数値的な計算を直接、利用してはいませんが、内部的には、機械的な振動を利用して軸の回転速度が一定になるように制御しているのです。
  ですから、その部分だけを取り上げて考えれば、デジタルといえないこともありません。
 もう少し、広げて言えば、人間の作った機械は、どこかにデジタルなものを持っているものが多いのではないでしょうか?
  近年のコンピュータ化は、デジタル的な構造やものの見方を急速に普及させています。
 では、なぜ、デジタルの方が得なのでしょうか?
 これには、いろいろな理由があると思いますが、
  ・ 現在のコンピュータがデジタル情報をうまく処理できること、
  ・ デジタル情報は、精度を上げやすく、ノイズに強くすることができること、
  ・ 情報の量を上手に圧縮できること、
 などが挙げられるのではないかと思います。
  では、自然はどうでしょうか?
 自然は、一見、アナログであるように思えます。海に沈む夕日、草原を吹き渡る風の音、静かに降る雨など
 まさに自然は、アナログの世界です。
  しかし、自然をもう少し微細に観察するとその奥底には、デジタルなものが潜んでいることに気がつきます。
  古代ギリシャで考え出された、アトム(原子)という観念が19世紀になり、「原子」という「物」として科学的に確立されたことは、周知の事柄です。
  原子やそれを形成する素粒子の存在は、物質をどこまでも一様、連続に分割していくことは、不可能であることを示してくれました。
  このことは、本当に驚くべきことです。我々に普段、見えている「物」は、その一面が見えているのであってその深層には、幾重にも「離散的」な構造を持っていることを教えてくれたのでした。
 この方面の探求は、電子や陽子のもととなるクォークやさらにその奥底にあると考えられる構造を求めて超弦理論などへと発展しています。
  一方、生命科学の分野でも人間の遺伝子であるDNAの暗号がわずか4つのアミノ酸(アデニン、グアニン、チミン、シトシン)から作られており、その並び順により様々なタンパク質が合成され、人間を作る元になっていることが分かったことも、アナログの固まりのような生命の奥にあるデジタルなものの存在を教えてくれました。
  このように考えてくると、デジタルとは、機械的で、不自然なものではなく、むしろ、自然の持つ一面でもあることに気づかされます。
 自然は、一面では、優しい母の慈顔を持ち、奥底には、厳しい父の顔を持つと言ってもいいでしょう。
 また、デンマークが生んだ世界的な物理学者、ニールスボーア博士であれば、「アナログとデジタルは、相補的である」と表現するかも知れません。
  デジタルとアナログという異なった側面を同時に理解できる人間のすばらしさを良くかみしめたいと思います。
 
 では、皆様、お元気でお過ごし下さい。また、来月、お会いしましょう。
 


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