2000年9月のご挨拶

更新日:2000/9/1

 封神演義

  国の三大怪奇小説といえば、「三国志演義」、「水滸伝」、「西遊記」、といわれていますが、これに対して、「封神演義」を「水滸伝」のかわりに推す人もいます。
  「封神(ほうしん)演義」といってもご存じない方も多いと思いますが、最近、「少年ジャンプ」にコミックが連載されて急に有名になりました。
  手元に講談社文庫版、上中下3巻(1990年5月第6刷)があります。訳者の安能務氏によれば、原作者は、明確ではないとのこと。
 同書は、「陸西星」編の「封神榜演義」を底本として、民間の伝承を交えて潤色をして翻訳したとされています。
  物語の骨子は、中国の歴史上の国である「商(殷)」が滅び「周」がそれにとってかわった史実を踏まえて、天界、仙界、人界に加えて新規に「神界」の生成を行うという天命(天帝の命令)を実行する過程を濃厚な道教思想で脚色したものです。
  史実では、商王朝の最後の王である、「紂(ちゅう)王」 とは、記録では、受王と記され、紂というのはその悪行から人びとがつけた呼名とされています。
 才力すぐれた君主で東方に大領土を開いたと伝えられていますが、史記等では、妲己(だっき)を愛し、悪政のために民心離反し、周の武王に討たれて滅んだとする(前1050年ごろ)。
 夏の桀(けつ)と並称される暴君の代表者とされています。
  まあ、敵役としては、うってつけです。
  これに対しする周の王朝を開くもととなった「文王」は、前12世紀ごろの君主。姓は姫(き)、名は昌。
  賢者を敬い、太公望などの名臣を集め、周囲の諸族を征服し、陝西に力を振るった。
  商(殷)の紂王が東夷討伐に意を用いているすきに、黄河に沿って東進し、殷に大きな圧力をかけ、子の武王のとき、商を滅ぼし周王朝が始まります。
  さて、「封神」では、仙界には仙人に向かない仙人が、人界には、人間離れした人間が住んでおり、それらをまとめて新規に創設される「神界」に送り込んで世界の整理をしようというのが天帝の指示であるわけです。
  史実の「周商易姓革命」(商から周に姓が変わるだけの革命)が進行し、多くの人間が殺戮されます。
  そこで、それに乗り合わせで仙界でも多くのダメ仙人を整理しようという、計画です。
  神界には、356人の神に封じられる者が送り込まれる予定で、それらの予定者は、「封神榜(ぼう)」という高札に名前が記載されており、それをもってこの小説は、「封神榜」とも呼ばれています。
  講談社本の安能氏は、この小説が海外に知られていないことを嘆かれ、中国では、広く民衆の間に流布していながら日本を含めて海外にほとんど知られなかったことを、孔子一派の陰謀とされています。
  確かに手元の辞書等に「封神」と名のつくものは、見あたりません。
  しからば、インターネット上では、どうでしょうか。
  驚くべきことに「封神」の2文字について、「goo」で6千件あまりがヒットします。
  これらは、ほとんどが、コミック版の「封神演義」に関するページなのです。
  1988年の講談社本の出版時には、ほとんど知名度がなかったと思われますので、この数字は、驚異の一言です。
 コミック版を私が見ていないので、インターネット上で得た感触で、お伝えすると、コミック版では、活躍する仙人達がかなりの美形キャラクタとして、描かれているようで、どうも、講談社本の世界と違和感を感じます。
 ところで、神界創設前の仙界は、闡教(せんきょう)派(正統派)と截教(せつきょう)(異端派)とに分かれており、封神で多くの截教派の仙人が殺されて神界に送り込まれます。
  一面から見れば、これは、闡教派の陰謀とも受け取れます。
  コミック版でも正統派の仙人達が「かっこよく」描かれているようで、私としては、「截教」、がんばれ!、とエールを送りたい気持ちですね。
  仙人や人間達も黙って殺されてくれるわけではないので、「封神」では、様々な殺戮手段が登場します。
  それらの多くは、「宝貝(ぱおぺえ)」と呼ばれる秘密兵器で、仙人達が長い時間をかけて作り上げたものです。
  「西遊記」にも孫悟空の如意棒をはじめとして多くの不思議な兵器が登場しますが、どちらかというと西遊記の方は、長年の修行を経て会得した「術」としての面が大きいような気がします。
  まあ、西遊記は、物語のあらすじから明らかなように仏教の立場から書かれていて、道教の方は、仏教よりも、ある程度下に見られていることが関係あるかも知れません。
  たしか、孫悟空が天界(道教の総本山)に暴れ込んで、天帝も困り果てたところに登場するのが仏教のホープ、お釈迦様ですからね。
  それは、ともかく、封神の「宝貝」は、優れた開発者である仙人に作られれば、使い手が異なっても効力は、優れているという、現代の兵器に通じる恐ろしさがあります。
  コミック版「封神」がどの程度のヒットなのかは、よく分かりませんが、「光栄」でもゲームソフトを出しているなど、かなりのヒットのようです。
 その背景には、これらの「宝貝」をポケモンのカードのようにとらえる現代の若者の風潮があるように思います。
  長い時間をかけて「術」を習得するような苦労は、したくないが、手っ取り早く使える「力」があれば、欲しいという、そんな時代感覚が「封神」をブームにしているのかなあ、という年寄りめいた感慨も感じます。
  興味がある方は、「封神」で検索をしてみてください。
  ここでは、1つだけ関係サイトを掲げるにとどめます。
  「封神演義情報局」 http://www.nurs.or.jp/~hazuki/index1.html

  では、皆様、お元気でお過ごし下さい。また、来月、お会いしましょう。
 


前回のご挨拶に戻る今月のご挨拶に戻る次回のご挨拶に進む