会員の皆様へ(2009年10月のご挨拶)

ラウル・フォレローとハンセン病、砂の器

目次

 ラウル・フォレロー(ラウル・フォレロ)
 砂の器
 ハンセン病とは
 ハンセン病に感染する人以外の動物
 らい予防法とその廃止
 感染症予防法
 テレビドラマ版「砂の器」、差別する心と差別を憎む心(2009/10/6 一部加筆訂正)
 奉仕と慈善活動
 寄付に対する日本人の心理的な抵抗感(2009/10/6追記)
 終わりにあたって

ラウル・フォレロー(ラウル・フォレロ)

皆様、「ラウル・フォレロー」氏をご存じでしょうか?
 正確なつづりは、「Raoul Follereau」。1903年8月17日(明治36年)生まれのフランス人です。
 私は、つい先日まで、この名をまったく知りませんでした。知るきっかけは、「切手」でした。

 当教室の古くからの生徒さんにライオンズクラブの会員の方がいらっしゃいます。
 そうですね、ここでは、U氏ということにしておきましょう。
 このU氏は、切手を趣味として、長年にわたり、収集を行っています。
 収集の対象は、世界のライオンズクラブやロータリークラブ、赤十字などの慈善団体やそれに関係する人たち、たとえば、ナイチンゲール、ガンジーなどにまつわる記念切手です。
 そのようなことで、U氏は、今秋の切手の展示会にハンセン病(らい病)に関する記念切手の出展を行うことになりました。
 この切手の中には、らい菌の発見者のハンセンや救らい事業に尽くしたデミアン神父と並んで、「ラウル・フォレロー」氏が頻繁に登場します。

 中年で、小太りのちょっと、チャーチルに似た人物です。ラウル・フォレロー? それは一体、誰だ? ということで調べました。
 日本語のWebページは少ないです。グーグルで10数件しかヒットしません。
 いまや、グーグルでヒットしない文字を探すのが難しいのに、この件数とは!
 原語で検索すると日本語のページで約300件(全体では28万件程度)がヒットしますが、日本語では肝心のハンセン病(またはらい病)に関するものは少なく、残りのほとんどは、同名のバラの品種(これは偶然ではなくて同氏にちなんで付けられた名前のようですが)に関するページなのです。

 「どこの誰かは知らないけれど誰もがみんな知っている」という月光仮面の主題歌の一節が頭の中で鳴り出しました。
 検索した結果、ハンセン病に関するものは、日本財団(http://www.nippon-foundation.or.jp/inter/leprosy/index.html)、
 茂木新聞社のページ(モグネット:http://www.mognet.org/hansen/people/deai15.html)が詳しいようです。
 というより、ほとんど、この2つでした。
 アフリカの国々の切手に何度も取り上げられ、「ハンセン」と同じくらいに頻出する、私の知らないこの方。
 余談ですが、「フォレロー」とは、発音しにくいですね。「フォロアー」とか「フォルロー」の方が発音しやすいです。

 なお、「らい病」という言い方は、現在では、らい菌の発見者であるノルウェーの医学者「ハンセン」(G.A.Hansen:1841-1912)の名前から「ハンセン病」と呼ばれるようになっています。
 この言い換えは、もちろん、発見者である、ハンセンに敬意を表してのものではありますが、古くからの「らい病」という名前が、時として、差別を生む元になった(あるいは現在も「なっている」、または、将来も「なる」)という懸念からでしょう。

 広辞苑第6版によれば、ハンセン病は、
 「(癩(らい)菌の発見者、ノルウェーのハンセン(G. A. Hansen1841~1912)に因む)癩菌によって起こる慢性の感染症。癩腫型と類結核型の2病型がある。癩腫型は結節癩ともいい、顔面や四肢に褐色の結節(癩腫)を生じ、眉毛が抜けて頭毛も少なくなり、結節が崩れて特異な顔貌を呈する。皮膚のほか粘膜・神経をもおかす。類結核型は斑紋癩・神経癩ともいい、皮膚に赤色斑を生じ知覚麻痺を伴う。癩病。レプラ。」とあります。
 最後の「レプラ」というのは、「Lepra」(ラテン語で同病の名称)に由来します。
 英語では、「Leprosy」または「Hansen's disease」となります。

 ここで取り上げた、フォレロー氏は、この病気の啓蒙や患者の医療施設の建設などに多くの貢献をしました。
 ウィキペディアのフランス語版を、Googleの機械翻訳でたどると、ラウル・フォレロー氏は、
 「1903年8月17日にフランスのNevers(ヌヴェール)で生まれ、1977年(昭和52年)12月6日にパリで亡くなった。作家、「ラウル・フォレロー財団」の創始者。ラウル・フォレロー財団は、世界の、特にアフリカのハンセン病の患者を支援する目的で設立された。1920年(大正9年)、17歳の時に最初の本を出版。・・」とあります。
 ラウル・フォレロー財団のホームページは、http://www.raoul-follereau.org/ です。
 この財団のHPに、ラウル・フォレロー氏の若いときの写真があります。
 また、前述のモグネットの記事を参考にすると、彼は、ハンセン病等の調査や慈善活動のために地球を30余周したと言われています。
 日本には、1958年(昭和33年)11月、国際ハンセン病学会が開催された際に来日しました。
 パリの墓地に眠る彼の墓碑には、「弁護士、雄弁家、詩人、作家、記者、時代の証人、良心の覚醒者、そして行動の人」と刻まれているそうです。
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砂の器

今年(2009年:平成21年)は、作家 松本清張の生誕百年にあたります。
 松本清張は、1909年(明治42年)12月21日に広島市で生まれ、少年期以降を九州の小倉で過ごした。
 1950年の「西郷札」が週刊朝日の懸賞小説に入選。1953年(昭和28年)に「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞。上京し、推理小説、歴史小説、古代史などの分野で幅広い執筆活動を行う。本名:松本清張(きよはる)。
 1992年(平成4年)8月4日、肝臓ガンで逝去。享年82歳。
 松本清張の業績については、松本清張記念館をはじめとして、多くのページがあります。

 ここでは、映画にもなりました推理小説の名作「砂の器」がハンセン病を扱っているということで取り上げてみましょう。
 原作は、1960年に読売新聞に10ヶ月にわたり、掲載されたものだそうです。 また、映画は、1974年(昭和49年)10月公開。
 脚本:橋本忍・山田洋次、監督 野村芳太郎、音楽監督:芥川也寸志、作曲:菅野光亮。この映画は、上映時間140分あまりの長編カラー作品です。
  国鉄蒲田駅構内の初老の男の絞殺死体の発見から物語は始まります。
 「国電蒲田駅の近くの横丁だった。間口の狭いトリスバーが一軒、窓に灯を映していた。・・」。(原作の冒頭)

 左の写真は、私の持っている、光文社カッパノベルスの「砂の器」(1961年(昭和36年)7月5日初版、昭和50年3月31日234版))(234版! これは、気づきませんでしたな。びっくり!)
 死体の顔面は、石で滅多打ちにされ、詳しい人相が分からない。捜査本部は、当初、蒲田駅近くの「トリスバー」(トリスバーという言葉には、時代を感じますね。私の子どもの頃に近所にありました)で犯人が被害者に尋ねた「カメダは今も相変わらずでしょうね?」の「カメダ」を人名と仮定して、捜査が開始されたが、目立った収穫がない。
 そこで、捜査本部の今西警部補は、土地の名前ではないかと思いつき、所管の警察から怪しい情報が寄せられた秋田県の「亀田」に出張するも、大きな成果が上がらない。捜査は、一時、暗礁に乗り上げます。

 そのうち、被害者が岡山で雑貨商を営む「三木謙一」であることが遺族の届出で判明。
 被害者「三木謙一」が人から恨みを買うような人物では一切なく、また、東北と接点がなかったことから、東北弁の「カメダ」が謎として残る。
 「カメダ」に執着する今西(映画では、丹波哲郎が演じた)は、東北地方以外にも東北弁に似た「ズーズー弁」を話す地方が出雲にあるという意外な事実を国語研究所の教授から聞き出し、「カメダ」が島根県の「亀嵩」(かめだけ)ではないかと推理することで、事件が思いがけない方向に動き出します。

 なお、現在、砂の器の原作地になったことを記すために、奥出雲町亀嵩の玉峰山の麓に記念碑が建てられているそうです。
 http://www.kankou.pref.shimane.jp/mag/04/02/suna01.html 。
 亀嵩は、算盤の産地としても知られていることが原作でも紹介されています。

 ところで、原作では、犯人の和賀英良が電子音楽の作曲家となっていますが、映画では、より分かりやすいクラシックの作曲家でありピアノ演奏家という設定になっています。
 「宿命」と題する曲のメロディは、映画では随所に流れて印象的です。
 「宿命って何かしら?」という婚約者 田所佐知子の問いに和賀は、「宿命とは、生まれてきたこと、あるいは、生きていること」と答えます。
 原作には、和賀の友人達がヌーボー・グループと称する現代芸術家の集団を作っていることも紹介されますが、映画では、煩瑣のためか、カットされており、グループの評論家 関川重雄の愛人である、ホステス「三浦恵美子」(関川の子どもを宿している)と和賀の愛人である、劇団の事務員「成瀬リエ子」とは、一人に再構成され、ホステス「高木理恵子」が和賀の子どもを宿しているという設定に変えられています。映画の他の出演者の役名は、変えられていないのに「成瀬リエ子」のみが「高木理恵子」となっているのは、このように人物の設定が大きく変わっているためと思われます。

 さて、捜査は、今西と吉村刑事(映画:森田健作(現 千葉県知事も若かったですね!))が活躍します。
 他の主な人たちは、次のとおりです。
 和賀英良(映画:加藤剛))と婚約者 田所佐知子(同 山口果林)、高木理恵子(同 島田陽子、なんと清楚な。懐かしい)、
 佐知子の父の田所重喜(同 佐分利信)、被害者であり、島根県の亀嵩の駐在所の元巡査であり生前は、岡山で雑貨商を営んでいた三木謙一(同 緒形拳)、
 そして、ハンセン病を発症して故郷を追われ、ひとり息子と物乞いをしながら遍路の旅に出た本浦千代吉(同 加藤 嘉)。

 推理小説ならではの見所は、なかなか身元が分からない死体、先の東北弁の「カメダ」、捜査を攪乱させた東北に出現した謎の男、
 犯人の血で染まった白シャツの処分とその発見のいきさつ、三木が伊勢参りを最後に故郷へ帰らずに映画を見て突然上京した理由、
 戦災で消失した戸籍の再生手続きの抜け道を利用した戸籍詐称、そして、善意の人を殺すに至る動機は何か、
 という点などでしょう。

 原作にあった超音波を使った心臓麻痺による殺人などは、周辺人物のカットに伴い、映画では、省かれています。
 この殺人の動機ですが、丹波哲郎演じる今西が合同捜査会議の席上、涙で声を詰まらせながら、
 「三木謙一が和賀の出生の秘密をみだりに口外する人物でないことは、和賀にもよく分かっていた。しかし、三木があることを願ってやまないことに絶望して犯行に及んだ」と述べています。このあることとは何か。そして、曲の題名になった「宿命」とは何か。

 映画のラストは、原作では、多くは書かれていない、本浦千代吉と子どもの苦しい過去の遍路の様子と現在の和賀に対する逮捕状請求の捜査会議及び栄光に包まれる「宿命」の発表会の映像とが高まる音楽とともに交互に映し出されます。
 ことに、親子の遍路が日本海をバックに黙々と歩いている姿、千代吉に連れられた子が小学校の校庭で仲良く体操をしている子ども達を歯を食いしばって見つめる姿は、胸に迫ります。
 やがて、亀嵩村で、千代吉が倒れ、神社の縁の下にうずくまっているときに、親切な三木巡査に助けられるあたりで、被害者と犯人との接点が、原作を知らない観客にも納得できます。
 千代吉は、三木巡査の計らいで岡山県のらい療養施設に入所することになり、子どもは、三木に引き取られますが、ほどなく、出奔して、行方知れずになります。
 惨めな過去と現在の華やかな身の上、父親と子ども、病と健康、貧者と富者、このように対立する概念が映像化されることでラストに緊張感がみなぎります。
 このあたりは、清張も小説ではなしえなかったことと感心したそうです(この部分、ウィキペディアによる)。

 演奏会は、大盛況のうちに終了しますが、会場の袖で、逮捕状を手にした今西と吉村が和賀を待つところで映画は終了します。
 過去は、現在により精算される宿命にあると暗示するように二人はひっそりと立っています。

 なお、本浦千代吉は、原作では、(捜査会議の時点では)すでに死亡したことになっていますが、映画では、施設で生きている設定になっています。
 その方が劇的だったでしょうし、動機が単に自分の過去をや経歴詐称を知られるのを怖れたためだけでなく、父を拒絶する子どもという意味で、より一般化、深化すると考えたのかも知れません。

 最後にこの映画がハンセン病に関する偏見や差別を助長しないために、ハンセン病患者団体の要請で「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」というテロップが流れます。

※上記の映画の情景等は、私がレンタルしたDVD版(松竹映画/橋本プロダクション)を元に記載したものです。
※役名等は、DVDとともに一部、ウィキペディアを参考にしました。原作の文章は、上掲のカッパノベルス版を元にしました。
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ハンセン病とは

ここで、「ハンセン病」そのものに触れましょう。
 冒頭にも記載しましたように、以前は、「らい病」という名前で呼ばれていたハンセン病は、感染症ではありますが、感染から数年~10年とされる長い潜伏期間を経て発病に至ります。
 病は、慢性の経過をたどることが多く、後で述べる危険な感染症のように死亡率は、高くはありません。
 実際の所、ハンセン病患者の死亡原因は、咽頭の炎症等による呼吸困難により死亡に至ったり、抵抗力の落ちた患者が結核やペストなどの他の急性感染症に罹って死亡に至るなどのケースが多かったようです。

 さて、らい菌の感染力は、このように一般には、低く、健康な人が容易に感染するものではありませんが、通常の感染ルートとしては、患者の膿の飛沫などによる鼻粘膜を通じた飛沫感染と考えられています。
 感染力が低く、潜伏期間が長い特異な感染症のために、1873年(明治6年)にハンセンにより、らい菌が発見されるまでは、長年にわたり、遺伝性のものと考えられてきました。

 更に、医学の発達する以前においては、あまりに異様な顔貌や皮膚の症状を有するため、「神」の怒りに触れた者という宗教的な烙印を押され、激しい差別の対象となっていたのです。このことから、キリスト教等では、これらの患者を救うことが、逆に宗教者にとって積極的な意味を持ったのかも知れません。
 日本でも、仏教に深く帰依した光明皇后(聖武天皇の后。701年~760年)が病人(ハンセン病患者かどうかはわかりませんが)のための「施薬院」という名の医療施設を作ったと伝えられています。

 ただ、残念ながら、現在に至るも、予防のための効果的なワクチンは、作られていないようです。
 一方、治療の面では、1941年(昭和16年)頃に「プロミン」(有効成分の略称:DDS)がアメリカで開発されるまで、「大風子」(だいふうし)というイイギリ科の植物の種子から抽出される油の筋肉注射または有効成分の内服療法がほとんど唯一の治療法だったようです。

 現在では、プロミンへの耐性菌対策として、プロミンに加えて、クロファジン(CLF)、リファンピシン(RFP)を併用する多剤療法がWHO(世界保健機関)で推奨されています。病型の分類により、処方も異なります。
 薬の使用により、らい菌の感染力は、速やかに無効となり、1年程度の期間で平癒するとのことです。
 ただし、治療過程等で「らい反応」と呼ばれる急性の炎症が起きることがあり、その場合は、ステロイド剤等による迅速な治療が必要のようです。
 日本での新規患者の発生は、10人以下(在日外国人がほとんど:国立感染症研究所の数値。2004年の統計による)とのことで、ほとんどゼロと言って過言ではないでしょう。

 ただし、海外では、インド、アフリカ、南米を中心に新規患者数が毎年20万人程度、発生しているようです。
 しかし、日本での結核の新規患者発生数は、毎年、25,000人に上っていること(厚労省の最近の統計数字)から、この数字は、驚くほどの大きさではありません。
 もっとも、統計に載らない患者もアフリカなどでは相当数あると思われますので、一概には、断言できませんが。

 なお、新規に日本で結核に感染する患者数が2万5千人という数字にこそ、私たちは、もっと、驚くべきでしょう。単位人口あたりの比率は、先進国の中で飛び抜けて高い数値です
 世界的に見ると新規結核患者が、人口10万人あたり、1,100人以上に上る(2005年:財団法人 結核予防会結核研究所のページより。http://www.jata.or.jp/)ことから、結核に比して、ハンセン病に罹患する者は、相当、少ないとというのが実際です。これが、よく言われる「最も感染力の低い感染症」たる所以でしょう。
 このような意味で、映画「砂の器」の最後のテロップの前段は、少なくとも日本などの先進国においては、本当のことです。
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ハンセン病に感染する人以外の動物

ハンセン病に感染する動物は、人間以外では、おながざる科のマンガベイ属のサルとココノオビアルマジロ属のアルマジロにのみ感染すると言われています。(このあたりは、ウィキペディアによります)
  私の見たところでは、ウィキペディアを含めて、ほとんど同一の資料から書き写されたように感じられます。
 たとえば、人間以外の霊長類で感染する動物は「マンガベイマンキー」と記載されています。
 これは、属名であるのか、固有名であるのか、今ひとつ不明です。

 こうも、検索結果に「マンキー」が並ぶと、『マンキーとはおサルのことかとモンキー言い』と書きたい感じです。
 英語のmonkeyの発音は、「マンキー」に近いので、日本語的には、「マンガベイ猿」または「マンガベイモンキー」ではないかとも思いました。
 マンガベイは、英語の「Mangabey」です。日本語の固有名では、「シロカンムリマンガベイ」とか「ゴールデンマンガベイ」とかがいるようです。(日本モンキーセンターのWeb)。
 でも、人科のチンパンジーとかマントヒヒには、感染しないのか、とすれば、どうしてなの? と、疑問は残ります。

 ちなみに、ヤフー辞書によると、『mangabey :哺乳(ほにゅう)綱霊長目オナガザル科マンガベイ属に含まれる動物の総称。この属Cercocebusのサルは、ギニアからケニアにかけての森林地帯に分布し、5種に分類される。分布型はオナガザル属Cercopithecusに似ているが、系統的にはマカック属Macacaやヒヒ属Papioに近い。5種を通じて体長50~60センチメートル、尾長70~80センチメートルで、ほっそりとした体格をもち、性差は小さい。体色は種ごとに違うが、すべて上瞼(まぶた)が白い。・・略 [執筆者:川中健二]』とのことです。

 一方、アルマジロについても、見た範囲のWebでは、「アルマジロが低体温なので感染しやすい」ことを声をそろえて強調しています。
 ここも、同一の資料に依拠していると感じられます。
 もっとも、国立感染症研究所のページによれば、らい菌は、寒天などの人口培地では、いまだ、培養できないそうですが、摂氏32度程度の低温でよく繁殖するそうであり、人でも足裏などの低体温部での病変がよく観察されるそうです。
 へー。なるほど、体温が低いと感染しやすいことは分かります。
 でも、揚げ足をとるつもりはありませんが、人口培地で繁殖させられないのに繁殖に適した温度が、分かっているというのも、ちょっと、不思議な感じです。

 しかし、低体温の動物は、(私の感覚的には)他にも存在すると思われ、また、アルマジロのうち、ハンセン病の実験に使われたのは、「ココノオビアルマジロ」(属)だとしても、それ以外のアルマジロ(スベオアルマジロ属、ケナガアロマジロ属など)には感染しないのかどうか? このあたりは、調べきれていません。
 なお、実験用に免疫力を無くしたヌードマウス(の足裏!)には感染し、現在では、飼育が容易なマウスで実験が行われているようです。

 脱線してしまいますが、動物の体温が簡単にまとめられたWebページがあるかと思いきや、なかなか見つかりません。
 動物園では、体温を測っていないのかな。獣医学科や動物病院では、計っていると思いますが、牛、馬などの家畜や犬、猫が大半なのかも。

追記:人や動物の体温とその役割について、NHK BSで「体温 熱して冷ます生存戦略」(ヒューマニエンス:2023年11月7日放送)があり、興味深い内容でした。2023/11/9追記
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らい予防法とその廃止

日本では、1907年(明治40年)に「らい予防に関する法律」が制定され、ハンセン病患者の組織的な強制隔離が行われるようになりました。
 法律では、隔離患者の逃走や騒乱を怖れて、所長の判断よる懲戒規定を設けるなど、患者本位とはかけ離れた内容であり、刑務所と同様の感覚であったようです。
 (前述のモグネットのページに法律の原文が掲載されています。http://www.mognet.org/hansen/law/law_meiji.html)
 戦後は、1953年(昭和28年)に「らい予防法」が制定され、文章的には、ひらがな漢字交じりとなり、漢文調の明治の法律とは、様変わりしたようにも見えますが、実態は、大きく、変わらなかったようです。
 この法律の制定は、前述のプロミン発見の10年後のことであり、戦後の混乱期で、やむを得なかったとしても、1956年(昭和31年)のローマでの世界ハンセン病会議で日本政府に対して、速やかなる「らい予防法」の廃止勧告が出されたにもかかわらず、40年後の1996年(平成8年)に廃止されるまで、生き続けました。

 このローマでの国際会議は、冒頭のラウル・フォレローがフランス議会に働きかけた成果の一つと言われています。
 いずれにしても、40年という年月は、ハンセン病患者にとって、あまりに長過ぎた時間であったと思います。
 形式的には、政府や国会の責任であり、実質的には、旧厚生省の役人の怠慢と言えるでしょう。

 「お役所の掟」(後述)にもありますように、「部署の権限や予算を維持するために現状をできる限り維持する」、「何かして事故が起きるより何もしない方が良いという減点主義」、「何もしない方が楽という考え」、その他諸々の理由からでしょうが、「何もしない」ことは時として、「何かをする」ことより大きな罪となる例でしょう。
※本項については、多くのWebページがありますので、ここでは、簡単に記載しました。
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感染症予防法

「結核予防法」は、廃止され、「感染症予防法」の改正によりその中に含まれました。
 同法の付表を下記に示します。2008年5月27日現在。
 なお、下表で「定点」というのは、あらかじめ定められた医療機関からのみ、厚労省に報告する必要があるもの。
 「全数」とは、すべての医療機関が報告する必要があるものを指します。

 あえて、付言すれば、感染症予防法には、ハンセン病は、もはや含まれていません。
※下表は、今後も改正されると思われますので、最新の情報は、厚労省のページでご確認下さい。
(結核はあえて、ここでは、赤字で記載しました。それ以外の文字は、Webのままです)
感染症の種類によっては、隔離されたり、他の人と区別されることがありますが、一定以上の危険性の感染症については、許容されるべきでしょう。
 これは、差別とは、別の概念です。

1類感染症 エボラ出血熱、クリミア・コンゴ出血熱、痘そう、南米出血熱、ペスト、マールブルグ病、ラッサ熱
2類感染症 急性灰白髄炎、結核、ジフテリア、重症急性呼吸器症候群
追加:鳥インフルエンザ(H5N1)
3類感染症 腸管出血性大腸菌感染症、コレラ、細菌性赤痢、腸チフス、パラチフス
4類感染症 E型肝炎、ウエストナイル熱、A型肝炎、エキノコックス症、黄熱、オウム病、オムスク出血熱、回帰熱、キャサヌル森林病、Q熱、狂犬病、コクシジオイデス症、サル痘、腎症候性出血熱、西部ウマ脳炎、ダニ媒介脳炎、炭疽、つつが虫病、デング熱、東部ウマ脳炎、鳥インフルエンザ(H5N1は除く)、ニパウイルス感染症、日本紅斑熱、日本脳炎、ハンタウイルス肺症候群、Bウイルス病、鼻疽、ブルセラ症、ベネズエラウマ脳炎、ヘンドラウイルス感染症、ボツリヌス症、発しんチフス、マラリア、野兎病、ライム病、リッサウイルス感染症、リフトバレー熱、類鼻疽、レジオネラ症、レプトスピラ症、ロッキー山紅斑熱
5類感染症 (全数)
アメーバ赤痢、ウイルス性肝炎(A型肝炎及びE型肝炎を除く)、急性脳炎(ウエストナイル脳炎、西部ウマ脳炎、ダニ媒介脳炎、東部ウマ脳炎、日本脳炎、ベネズエラ脳炎及びリフトバレー熱を除く)、クリプトスポリジウム症、クロイツフェルト・ヤコブ病、劇症型溶血性レンサ球菌感染症、後天性免疫不全症候群、ジアルジア症、髄膜炎菌性髄膜炎、先天性風疹症候群、梅毒、破傷風、バンコマイシン耐性腸球菌感染症、バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌、風しん、麻しん
(定点)
RSウイルス感染症、咽頭結膜熱、インフルエンザ(鳥インフルエンザ及び新型インフルエンザ等感染症を除く)、A群溶血性レンサ球菌咽頭炎、感染性胃腸炎、急性出血性結膜炎、クラミジア肺炎(オウム病を除く)、細菌性髄膜炎、水痘、性器クラミジア感染症、性器ヘルペスウイルス感染症、尖圭コンジローマ、手足口病、伝染性紅斑、突発性発しん、百日咳、ペニシリン耐性肺炎球菌感染症、ヘルパンギーナ、マイコプラズマ肺炎、無菌性髄膜炎、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌感染症、薬剤耐性緑膿菌感染症、流行性角結膜炎、流行性耳下腺炎、淋菌感染症
新型インフルエンザ等感染症
(新型)
新たに人から人に伝染する能力を有することとなったウイルスを病原体とするインフルエンザであって、一般に国民が当該感染症に対する免疫を獲得していないことから、当該感染症の全国的かつ急速なまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められているものをいう。
新型インフルエンザ等感染症
(再興型)
かつて世界的規模で流行したインフルエンザであってその後流行することなく長期間が経過しているものとして厚生労働大臣が定めるものが再興したものであって、一般に現在の国民の大部分が当該感染症に対する免疫を獲得していないことから、当該感染症の全国的かつ急速なまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるものをいう。
指定感染症 既に知られている感染性の疾病(一類感染症、二類感染症、三類感染症及び新型インフルエンザ等感染症を除く。)であって、感染症予防法の第三章から第七章までの規定の全部又は一部を準用しなければ、当該疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあるものとして政令で定めるものをいう。
新感染症 人から人に伝染すると認められる疾病であって、既に知られている感染性の疾病とその病状又は治療の結果が明らかに異なるもので、当該疾病に罹った場合の病状の程度が重篤であり、かつ、当該疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるものをいう。

 
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テレビドラマ版「砂の器」、差別する心と差別を憎む心(2009/10/6 一部加筆訂正)

私は、見なかったのですが、最近、「砂の器」がテレビドラマとして、放映されたとのこと。
 例の頼りになるテレビドラマデータベースで調べてみましょう。http://www.tvdrama-db.comです。
  ありました。実質、4件。最も、新しいもので、2004年でした。最近とも言えませんね。

 1.1962/2/23~3/2 TBS 出演:高松英郎、月田昌也、天知茂、夏目俊二、美杉てい子、千秋みつる、香月京子、藤沢宏、飯沼慧、他
 2.1977/10/1~1977/11/5 CX:仲代達也(今西刑事)、田村正和(おそらく、和賀英良)、真野響子、小川知子、小沢栄太郎、山本亘、神崎愛、水沢アキ、中尾彬、鈴木瑞穂、奈美悦子、山谷初男他 
 3.1991/10/1~1991/10/1 ANB:田中邦衛、佐藤浩市、大空真弓、船越栄一郎、他 
 4.2004/1/18~3/28 TBS 中井正広(和賀英良)、渡辺謙(今西刑事)、武田真治、京野ことみ、永井大、夏八木勲、赤井英和、原田芳男、市村正親、他

 ただ、映画版では、明確になっていた、主人公が背負う宿命がハンセン病の父親であることは、ぼかされています。
 特に、4番目の番組では、「本浦千代吉」は、重大な犯罪者(なんと31人殺し!だそうです)となっています。
 テレビドラマデータベースによれば、ハンセン病を扱わないことが、清張氏のご遺族からの要望のようです。
 確かに、前述のように容易に社会復帰ができる病気になっているのですから、いつまでも、「業病」というような、おどろおどろしいイメージを引きずるのは、まずいと思いますが、31人殺しは、ちょっと、やり過ぎの設定のように思います。

 しかしながら、「砂の器」の魅力は、この作品が告発する、私たちや社会が持つ「差別する心」と私たちの内なる「差別を憎む心」との相克がテーマだからです。
 原作では、差別の対象は、ハンセン病ですが、「本浦千代吉」が背負うものが、彼自らの罪によるものか、あるいはそうでないのかを問わず、生まれた子どもには、何の罪もなく、ゆえに、父のために差別を受けるいわれは、まったくありません。
 清張の「差別」を憎む心は、多くの識者が指摘されているように、彼の生い立ちに原点を求めることができるでしょうし、作品には、「社会派」というラベルを貼られたりしましたが、この作品は、そのようなちっぽけなラベルでかたづけられるものではありません。
 人の魂の軽重を問う、極めて、重く、かつ、普遍的なテーマです。映像が感傷的であるとの批評もありますが、決して、そうは思いません。

 この作品を読み、あるいは、映画やTVドラマをご覧になって感動する人は、素晴らしい。その人には、「差別を憎む心」(良心)があり、そして、おそらくは、「差別する心」も、また、あるからです。
 「差別する心」は、「差別を憎む心」(良心)が光であるとすると、影であり、人間が人間である限り、消えることはないでしょう。
 ただ、私たちは、「差別する心」が消えるように努めていくこと、が修行であると思います。
 その意味で、「本浦千代吉」がハンセン病であっても、なくても、この作品の輝きは、永遠に変わることはないでしょう。

 また、冒頭のラウル・フォレロー氏の墓碑銘の一部に「良心の覚醒者」と刻まれているのは、彼が世界の人々の「差別を憎む心」(=良心)を揺り起こした、という意味でしょう。
 ラウル・フォレロー氏は、1935年(昭和10年)、アフリカのある村でハンセン病患者の一群に出会い、「あれはどういう人たちなのかね?」と尋ねたとき、運転手が、まるで彼らが人間でないかのように「らい病さ」と言い捨てた言葉に強い衝撃を受けたそうです。このような「差別」がこの世で許されるものだろうか? 彼の「差別を憎む心」は、大きく揺り動かされて、このときから彼のハンセン病との戦いが始まったとのことです。
 (この個所は、モグネットのラウル・フォレローの項によります)

※国際連合教育文化基金(ユネスコ)の創設時に作られたユネスコ憲章の前文を下記に引用します。
(筆者が行った太字の修飾以外は、(社)日本ユネスコ協会連盟のHP。http://www.unesco.jp/のままです)。
 ハンセン病を含めて、人種、性、宗教、その他のすべての差別の克服のための理念だと思います。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。政府の政治的及び経済的取極のみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、且つ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させ及び増加させること並びに相互に理解し及び相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、且つその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。
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奉仕と慈善活動

冒頭に述べたU氏の所属するライオンズクラブというのは、これは、すでに多くの方がご存じでしょうが、世界的な組織である「ライオンズクラブ国際協会」に所属する慈善・奉仕団体です。
 1917年(大正6年)、メルビル・ジョーンズの提唱で結成されました。
 日本国内の組織は、だいたい数十人程度の人数のクラブが最小単位となり、地域的に階層構造を作っています。
 ちなみに、U氏の所属クラブは、330-A地区(東京)です。
 メンバーは、「○○ライオン」あるいは「L.○○」と呼ばれます。クラブのモットーは、「We Serve」(私たちは奉仕します)です。

 同様に有名な奉仕団体に、国際ロータリークラブがあります。
 ライオンズクラブは、ロータリークラブから分岐して誕生したようです。
 私は、ライオンズクラブというと、なんとなく、ステータス!という貧しい認識しか持ちあわせていなかったのですが、いろいろとお話を伺ったり、ホームページを見たりすると、お金持ちのひま人(失礼!)が集まっている団体という誤った認識を大いに改めました。

 とはいえ、確かに、出発点がアメリカですから、様々な用語が英語であるので、いささか、奇異に感じる点もないではありません。
 たとえば、先の「○○ライオン」とか、例会で、「ウォー」とライオンの鳴き声を真似するとか、今、手元にいただいた「The Lion」を読むと、「テール・ツイスター(しっぽをつねる者:例会等を盛り上げる役目の人)」とか、「へー。知らなんだ」という用語が頻出します。
 ここまで、まっすぐに、アメリカの用語とか、作法とかに基づいて、日本を含めて、世界各国で活動を行っているのもすごいことです。
 個人的には、「汎アメリカ主義」という気もして、抵抗を感じないでもありませんが。

 さて、このような奉仕活動、慈善活動をどのようにとらえるべきでしょうか。
 これらのクラブは、狭い意味の宗教ではありませんが、それに準じたものと考えられでしょう。
 その慈善活動(アクティビティ)は、一種の富の再分配であると思われます。
 「ウォー」と叫ぶなどは、部外者から見れば、おかしいけれど、宗教であれば、その組織内でのみ通用する呪文を唱えるようなものかもしれません。
 宗教である「キリスト教」、「イスラム教」にも富者が貧者に富を分かち与えるのは、むしろ、義務であるという考えがあったように聞きました。
 もちろん、仏教にもあります。「布施」というのは、本来、そういう意味でしょう。
 簡単に言えば、世界的な宗教となるためには、そのような資質が必要だったのでしょう。

 私欲を捨てさせて理想的な社会を目指した「共産主義」は、ソビエトの崩壊を見ても現実的ではなく、資本主義が生き残りました。
 しかし、資本主義もそのままの姿ではおられず、現代の資本主義社会は、前世紀に考えられたような字義通りの弱肉強食社会ではあり得ません。
 それは、所得税や相続税などの累進課税や公的保険、生活保護などを通じて、富の再分配を行う仕組みとなっています。
 システム的には、それだけで十分である仕組みを目指すべきとは思うのです。日本の現状は、大いに改善すべき点があるでしょう。

 しかし、一方、人は、神や仏ではなく、私利私欲を捨てさせることはできません。
 というよりも、おそらくは、このような「私欲」こそが社会の活力を支えている秘密かと思われます。
 アメリカのように規制が少なかったり、社会保障制度が充実していない国が経済的に活発な社会になることは、それを示しているように思います。
 とはいえ、行き過ぎれば、金持ちのひとり勝ちのような社会となります。
 今のアメリカ社会は、多分にそうかも知れません。

 このような社会システムは、改善していくべきで、いずれ、そうなるとは思いますが、一方では、人々の心理や既存の優位を失うことを怖れる人々の抵抗もあり、すぐに改善できることには限りがあります。
 この今、残っている欠陥を補うために(自然に)発生した仕組みが宗教やライオンズクラブなどに代表される慈善団体だと思うのです。
 ライオンズクラブがアメリカで始まったのも、それなりの訳があると思われます。

 なお、冒頭に述べた、ラウル・フォレロー氏は、富者だけでなく、むしろ、貧しい人たちにも、できること、例えば、1年のうちの、たった1時間分の収入でもよいので、世界の困っている人たちのために提供するように呼びかけました。
 これは、フランス国内のみならず、世界的に反響を呼んだようです。
 小さな善意も集めると大きな効果があることを教えてくれます。
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寄付に対する日本人の心理的な抵抗感(2009/10/6追記)

ところが、私たち日本人は、まじめすぎるのか、自らが額に汗して参加する奉仕活動でないといけないと考えたり、あるいは、テレビなどを通じた一時的な募金活動などは、低く、見なしがちです。
 特に、自らが募金とか慈善活動をしていることを人に知られるのは、恥ずかしい(晴れがましい)と感じてしまいます。

 私も街頭での歳末募金などに気軽に応じにくいですし、町内会の募金などでは、他人と同一金額にこだわる傾向が少なからずあります。
  「きだみのる」氏の「にっぽん部落」(1967年:昭和42年、岩波新書)が書かれてから、40年以上が経ち、カラオケで人前で歌うことに大きな抵抗がなくなり社会もずいぶんと変わったように思いますが、「KY」(空気読めない)という言葉が象徴するように、まだ、日本では、他人と違うことをして目立つことは、恥ずかしいことであり、イケナイことなのです。
 これは、「分相応」という言葉に表されるように、「自分の分をわきまえる」こと、「他人より前に出ない」ことが「にっぽん部落」で生活していく上で大切であることを示しており、いまだに日本が「むら社会」である証でしょう。

 話が少し、戻りますが、ライオンズクラブの用語には、「ドネーション(donation)」と呼ばれる寄付があります。
 ドネーションは、例会などのおりに(ある程度は義務的でしょうが)行われ、その寄付金は、事業資金に組み込まれて、アクティビティの元になります。
 また、会などで、参加者の、たとえば、会員バッジを付け忘れたなどというささいな失敗を見つけて、会を盛り上げる意味で前述のテールツイスターによって課せられる罰金(ファインと呼ばれる)も面白い習慣ですが、このファインも事業資金に使われます。
 このように寄付が公然と普通に行われているあたりは、アメリカ生まれの活動だと痛感します。
 このような習慣は、キリスト教会の募金や街の大道芸人に対する金銭の投げ与えなど、日常的に行われてきたからかも知れません。

 一方、日本では、江戸時代の一部の武士の考え方である、「農民や町民、商人のように働いて金を稼ぐことは卑しく、ましてそうして得た金そのものも汚らわしい」という、まことに不思議な(武士にとって都合のよい)考え方と、明治以降(特に戦後)の、「人は、みな平等であり、人に金銭を与えることは、人を差別することであり、さげすむことである」という考えが混ざりあい、また、多くの人がしていないことを自分だけするのは(たとえ、それが良いことでも)恥ずかしいという「むらびと」ならではの考えが相まって、寄付を含めた慈善・奉仕活動に対する私たちの心理的な抵抗感が生まれてきているのではないでしょうか?

※国際赤十字以外には、国連児童基金(ユニセフ)、国境なき医師団等、さまざまな団体や機関があります。
 インターネットを通じて、(こっそりと!)募金を行えるところもあります。 

※「お役所の掟」(宮本政於 著:講談社:1993年(平成5年)4月 初版)には、官庁における「むら社会」ならではの事情が書かれています。
 著者の宮本氏は、1999年にパリで客死されましたが、ここに書かれていることは、いまだに真実であることが多いでしょう。
 まさに「笑えない笑い話」があふれています。
 民主党政権下で、官僚主導の政治のあり方(すべてが悪いわけではないものの)が、ようやく、今、問われようとしています。故 宮本氏ならば、我が意を得たりと言うでしょう。
 「先生のご意見、ありがたく、お聞きいたしました(聞くだけで何もしない)。十分に(時間をたっぷりとかせぎたい)検討し(検討するだけで実際は何もしない)、鋭意(明るい見通しはないが努力はする印象)、改善するべく努めて(結果的には責任はとらない)参りたいと思います。その上で慎重に(ほぼ、どうしようもないが断り切れないときに使う。しかし、何も行われない)配慮して(机の上に積んでおく)参りたいと思います。」などと、答えられてだまされないようにね!(お役所用語:同書より)
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終わりにあたって

 今回もご覧いただき、ありがとうございました。では、来月まで、どうか、お元気でお過ごしください。
 今後とも、ご愛読のほど、よろしく、お願いいたします。
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作成:2009/10/1
「体温」について追記:2023/11/9

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