キキョウ咲く
統計は苦手?
統計って何?
人口統計
統計的見方
終わりにあたって
2012年1月以来の「今月のご挨拶」ですが、みなさま、お元気でしょうか。
ここ半年ばかり、本欄を書く時間が無く、更新を怠っておりました。
ご無沙汰をお詫び申し上げます。
さて、6月はじめに、庭のキキョウの花が咲きました。
キキョウは、山野に自生する多年生草本で、その根には、サポニンを含み、去痰作用などがあるため、漢方薬の材料となっているとのこと。
このキキョウは、昨年夏に近所の「花工場」(花屋)にて求めてきた一鉢です。
花が終わった後、庭に植えたところ、段々枯れて、冬には土の上部に出ている部分がすべてなくなってしまい、これは、枯れてしまったかと思いましたが、春に芽を出して、このような見事な花をつけてくれました。
涼しげな紫は、本当にきれいです。
『秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば、七草の花。萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花、また、藤袴、朝顔の花』
という古歌にあらわれる「朝顔」というのは、キキョウという説が一般的です。
尾花はススキ、女郎花は、オミナエシです。ハギやナデシコは昔はあったのですが、今はなくなってしまいました。
春の七草と異なり、食用のものは、少ないです。
葛花のクズの根は、くず粉として用いられますが、通常、販売されている「くず粉」は、ジャガイモから作ったデンプンのものが多いようです。
クズの根から作ったものは、「本葛粉」などと呼ばれています。
子供の頃、お腹が痛いときなど、くず粉をお湯で練って、少し、砂糖を入れた「葛湯」を食べさせられたものです。
ほんのり甘い味は、忘れられない味です。
そういえば、和菓子の「すあま」は、葛湯にくらべると、ずっと甘いですが、素朴な甘さが似ていて、私は、好きです。
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「おじさん! じゃなかった。おじいさん、ずいぶん、更新をさぼっていたわね」
「お、ともちゃんか。
ときに、ともちゃんは、理系じゃが、統計は、好きかな?」
「う~ん。あんまり好きじゃないわ」
「そうじゃろうな。文系の人も苦手の人が多そうじゃから、統計は、理系、文系の両方の人から、敬遠されているようじゃな」
「ホント、そうかも」
「わしも、どうも、なじめなかったな。
学生の頃の先生は、増山元三郎先生のお弟子さんで、自作のプリントを配られたりしたとても熱心な先生じゃったが、授業の進度が速くて、追いつけなかったのう。
その後も、いろいろと、トライしてみたんじゃがな。今ひとつ、自分の身に着いてていない」
「なんといっても、むずかしい言葉が多いわ。
『有意』、『棄却率』、『仮説検定』とか、ふだん使わないような用語が沢山出てくるんで、ひとつひとつを飲み込めないうちに、どんどん置いて行かれる気がする」
「用語が難しいのは、統計だけではないがな。
ただ、数学の他の分野と比較すると、量が多い気がする」
「しかし、おじさん。『気がする』はないんじゃない!
そこんとこは、まさしく、統計的に調べないといけないんじゃない」
「いや、まさにそのとおりじゃ。
とはいっても、『専門用語』の数というか、密度、あるいは出現頻度というか、そもそも、密度とか頻度とかいっても感覚的なものじゃから、どのように調べていいかも分からない」
「確かに、法律などでも、ずいぶん難しい言葉や漢字があるもの」
「ははあ、漢字か。
まあ、たとえば、大学初年級の標準的なテキストを並べて、その中で、一般に使われない用語、あるいは、特殊な意味では使われる用語の総数を調べて、比べることはできるじゃろうがな」
「なかなか、現実には、難しいわね」
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「でも、あれね。統計っていうと、確率を基にしていることはわかるけど、まったく確率論にのっかっているのかしら?」
「そうじゃな。われわれの能力や時間には、限りがあるのじゃから、現実世界から、ある程度の数のサンプルを得て、それを調べることで、全体を推し図りたいという動機があると思うのう」
「なるほど。
現在のデータで未来を予測することもできるということね」
「ま、それは、相手によりけりではある。
地球や月などのようにほぼ剛体とみなしてもよい対象については、根本原理が分かっているのじゃから、相当長期間にわたって、シミュレーションが可能だ。
しかし、天気予報で分かるように気象や生物や経済のようにもっと複雑な対象が相手では、それらは、十分の精度では推定できない」
「それは、根本原理が分からないからかな」
「気象のように原理はほぼ分かっていても計算する対象数が膨大な場合は、全部を勘定に入れることは、難しい。
また、実際は、ある時点の空間のデータをすべて得ているわけではなく、数少ない観測点のデータしか入手できないということもあるじゃろう」
「確かに。地震なんかでは、プレート自体の運動を直接、観測できないもの」
「地震のように破壊現象が含まれていると、その時刻を正確に推定することは難しいように思うが・・。
そうだ。『地震雲』は、近年では、否定されていたようじゃが、最近のNHKの放送を見ると、大規模な地震の前兆現象と思われるもの(雲そのものではないが)があるようじゃから、全くの絵空事とも思えん気もする」
「中日新聞社刊の『これが地震雲だ』(鍵田忠三郎 著)(1980年5月)ね」
「残念なことに、著者は、奈良市長(当時)で学者ではなく、また、なぜ、地震の前兆として雲が発生するのかという、メカニズム的なことが不明じゃったので、学界に入れられなかったこともあるじゃろう」
「さっきの放送では、地中の岩盤の前駆破壊に伴って、キセノンなどの軽い気体が大量に発生して大気中に放出されるというメカニズムが考えられているとされていたわ」
「地球外からの宇宙線によって雲の生成が促進されるというモデルが提唱されているが、キセノンなどの気体とこれらの宇宙線との相互作用はあり得るのではないかな」
「結局、モデルを立てて、観測や実験と突き合わせるという作業を、統計学は、支援するということね」
「プラグマティックに割り切れば、そうも言えるじゃろう。どのモデルが一番もっともらしいかということを判定することになる。
とはいっても、モデルは無数に考えられるし、『天動説』のように周転円を積み重ねることで観測と一見整合する説明も可能な場合もある。
そこを見誤ってはいけんな」
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「それって、特定の人がいつ亡くなるのかを予想できないことと似ているわね」
「いやなことを言うのう。
わしも、もう、人生の半ば以上を過ぎているので、いつどうなるか分からん。とは言え、その時期を正確に予想することも不可能じゃ」
「だけど、大勢のひとの平均値なんかは、精度よく計算することはできる訳ね」
「そのとおり。
今では、むかし話じゃが、数十年前までは、数学科を出ても、大学に残るか、教師になるかの他は、なかなか、就職口がなかったようじゃ。
ただ、例外的に生命保険会社などには、需要があったとのこと。
『保険数学』という用語もあるぐらいじゃ」
「なるほど。
個人個人のこまかな事情が多数の集団を扱うことで、ぼかされて収束するということね」
「だからじゃ。
急に『少子高齢化』が起きたように騒ぐなと言いたいのじゃ。
少なくとも、10年~数十年前に今日の状態は、予想できていたと思うのじゃがな。
でないと、国勢調査や人口統計を取る意味が薄くなる」
「問題は、それが政策に十分に反映されないということね」
「そうじゃ。
その理由は、一つではないじゃろう。政治家の専門家の利用方法にも問題があると思う。
たくさんのブレーンや諮問会議を抱えていても、知識が集約されずにむしろ拡散してしまっている印象がある。
また、うがった見方を言えば、統計局は、総務省の部局じゃ。個々の統計は、収集・発表はできても、その評価とそれに基づく政策は、各省庁の権限じゃ。
他所の縄張りを荒らすような行為は、控えるじゃろう」
「しかし、資料自体は、出ているのだから、政治家に見る目があれば、とも思うわね」
「統計というのは、便利な道具だが、解釈次第で、違ったように見えてしまうこともある。
また、多数の統計が発表されているので、実際、それを十分に咀嚼することは、各現場の役人でないと難しいということは、あるじゃろうがな」
「でも、それぞれが、都合のよい統計だけを利用してしまうこともあるかもね」
「だから、自分の省庁・部局の利害得失ではなく、国全体の利害得失を考える人材が必要なんじゃろうが」
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「統計的見方というのは、いわゆる『現象論』の立場と似ているわね」
「まさにそのとおり。細かいメカニズムは、複雑すぎたりて不明だったりしても、ある状態から別の状態への推移する確率なり、推移する方向を予想することができることがある」
「熱力学は、そういう例だったわね。分子運動論や量子論が発展して基礎付けができたけど」
「結局は、マクロとミクロという2つの見方を使い分けることが肝心じゃな。
統計的な見方というのは、遠くから現象を観察しているようなものかな。細かい差異がそぎ落とされて、かえって、大きな変化をとらえることができる」
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今回もご覧いただき、ありがとうございました。
また、次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
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