会員の皆様へ(2012年9月のご挨拶)

ベルヌーイ家の人々

目次

 盛夏を過ぎて
 『ベルヌーイ家の人々』
 ベルヌーイ一家
 ヤコブ・ベルヌーイとベルヌーイ数(ベルヌイ数)
 ヨハン・ベルヌーイと最速降下線
 フェルマーの原理
 最速降下線と変分法
 終わりにあたって

盛夏を過ぎて

立秋を過ぎても、暑かった夏が、ようやく、終わろうとしています。
 拙宅のモミジアオイの花は、今年も立派に咲いてくれました。初夏のうち、比較的、低温だったためか、芽出しが遅かったものの、7月以降の高温により、3m近くまで、伸びて、沢山の花をつけました。以前にも書いたのですが、モミジアオイが咲くと、「ああ、夏だなあ」と思わずつぶやいてしまいます。
 一日花ですので、朝開いて、夕方は閉じ、翌朝に、花は、落ちてしまいます。
 しかし、実が残り、しばらくすると、茶色に変わります。乾いた実をいくつかとっておいて、割ってみると、中に数ミリ程度の黒い種がたくさんあります。このうち、比較的大きいもののみを選んで、冷蔵庫の野菜室等で湿らせないようにして、翌春まで、保存します。これを八十八夜の頃に一晩水につけておいてから蒔くと芽が出ると言われています。
 今年は、意識して、種を蒔いたわけではありませんが、こぼれ種からか、一本、芽が出て、高さは、1m足らずで花を咲かせました。
 もっとも、秋に上部が枯れてから、株分けで増やすのが、確実なのですが、拙宅のものが園芸店で購入したものか、あるいは、どなたかから戴いたものなのか、今では、分からなくなってしまいました。
 近隣のお宅にも、見かけないな、と思っていましたが、地元の和菓子屋さんの店先に鉢植えであるのを見つけました。鉢植えですので、高さは低いものの、ちゃんと花をつけていました。
 9月のお彼岸頃には、気候も涼しくなり、夏が段々と、遠ざかっていきます。暑いのは、いやですが、人は、我がままなもので、夏が過ぎ去ることに対しては、寂しさを感じます。
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『ベルヌーイ家の人々』

「北杜夫さんの小説に『(にれ)家の人々』というのがあったわね」

「お、ともちゃんか。
今年も暑いのう。一昨年(2010年)並の暑さのように感じるがな」

「でも、気象庁の統計によると、東京都練馬区の測定データでは、2011年の7月の平均気温(27.6℃)の方が今年(26.5℃)よりも高かった」

「ほう、爽快。いや、そうかい」

「でも、8月の平均気温は、2010年が29.9℃、2011年が27.4℃に対して、2012年8月は、なんと!29.0℃だった」

「やはり、今年の8月は、一昨年(2010年)並であったのじゃな。
ところで、○○家の人々ものでは、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』(岩波文庫:望月市恵 訳)や、マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』(未読じゃったな)が有名じゃ。
一家、一族の興亡とそれを取り巻く歴史を取り上げるとすれば、話題(2012年のNHKの大河ドラマ。視聴率が低迷していることで有名になってしまったのう・・)の『平家物語』を含めて、『織田家の人々』とか『徳川家の人々』とか、素人でも、名前だけは、いくらでも考えつくのう」

「いわゆる、歴史小説では、そういう視点が多いんじゃないのかしら。
歴史そのものではなくて、『小説』として成立させるためには、何か、核となる、主人公(達)が必要でしょう。
司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』にしても、秋山兄弟や正岡子規達にスポットライトを当てることで、歴史を語っているわけで描写を引き締める効果があると思うの」

「確かにな。
歴史とは、一口に言うが、その時代に生きた人々の生活の隅々まで考えれば、無限の内容がある。
それを小説として成立可能な範囲に収めるためにも、主人公は、必要だ。また、その方が読者が感情移入がしやすい面があるしな。
読者が途中で投げ出したんでは、どうしようもない。
お、『柳生一族の陰謀』(東映:監督 深作欣二:映画は見てなかったのう。TVで見たような・・)とか、キムタクの主演でリメークした『華麗なる一族』(山崎豊子)はどうじゃ」

「じゃ、こっちは、『犬神家の一族』(横溝正史)で、勝負だ!」
(←左は、新装版の角川文庫。表紙カバーの方が本文より怖い!

「ははは。
そういえば、『自分史』ブームというのがあったが、今は、どうなのかな」

「本という媒体だけでなく、映像などでも残そうという動きもあるみたい。
それと、いわゆるクラウドのサービスとして、『EVERNOTE(エバー・ノート)』(http://evernote.com/intl/jp/)などは新しい形ね」

「まあ、結構だと思う。
自分史も本人が役立つものであれば、作る価値はあろう。エバー・ノートなどは、そういう意味で使っている人は多いのではないか。
一方、印刷したり、出版したりして、配る場合は、書いた人のことを知らない、われわれが読んで面白いものにするのは、なかなか、大変じゃろう。
教訓や自慢ばかりでは、途中で飽きられてしまうじゃろうし、失敗や災難などの愚痴ばかりでも気が滅入るな」

「楽屋落ちになってもね。
なにか、普遍的なテーマがあるといいんだけど」

「平家物語やブッデンブロークの人ひどには、栄えたものがやがて衰退していくというテーマがあって、それが共感やカタルシス(浄化)をもたらすのじゃろう。
一家の衰退といえば、エドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』が極めつきじゃな。
おどろおどろしい雰囲気といい、文章といい、『背筋が凍る』という常套句も思い出されるのう。
しかし、今、検索してみると、本屋さんのサイトで『ブッデンブローク家の人びと』が見つからないのう。高校生の時に読んだんじゃがな」


「ブッデンブローク家の人びとは、アマゾンで、古本なら入手可能だわ。
それと、アッシャー家の崩壊は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)でも読めるわね。
ええと、おじさん。
いつものことだけど、前置きが長過ぎて、読者が退屈してしまうわね」



「おっと、いかんのう。本題を忘れてしまった。上の写真が、『ベルヌーイ家の人々』だ。
ただし、これは、小説ではないのじゃ。
副題に『物理と数学を築いた天才一家の真実』とあるように、松原望 氏が、ベルヌーイ一家が当時の数学や物理に、どのように貢献したのかを解説した本じゃ」

「2011年7月初版(技術評論社刊)というと、新しいわね」
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ベルヌーイ一家

「この本によると、18世紀に活躍した、ベルヌーイ一家の中で、数学や物理で名を残した人達として、11人が挙げられている。
今もスイスのバーゼルに子孫の方が住んでいるとのことじゃな」

「えーと、そのもととなった2人の兄弟、ヤコブがお兄さんで、ヨハンが弟さんなのね。
典型的なキリスト教徒の名前ね。
DERIVE de ドライブの「52.数値積分(1)(台形公式とベルヌイ数)」に出てきた、『ベルヌイ数』を研究したのは、お兄さんのヤコブだった」

「そうじゃな。
この本では、表記を「ベルヌーイ」で統一しているが、ベルヌイあるいはベルヌーイなどといろいろいと書かれている本などもあって混乱するのう」

「ベルヌリと書いてあることもあるわ。
しかし、この本を読むと、男の兄弟というのは、大人になるほど、関係が難しいものなのね」

「同業じゃからな。ライバル意識というか、お互い、対抗心が旺盛じゃったようなことが伝わっているのう。
岩波数学辞典では、ヨハンの子供のダニエルを含めて、この3人が一族のなかで特に優れた業績を残したと書いてあるのう」
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ヤコブ・ベルヌーイとベルヌーイ数(ベルヌイ数)

「ベルヌーイ数(ベルヌイ数)は、DERIVEの記事では、数値積分公式に登場したけど、この本では、べき乗和の公式に登場しているのね」

「そうじゃな。
n次のベルヌイ数をB(n)と書くと、x/(exp(x)-1)=Σ(n=0~∞)B(n)xn/n! の係数として定義されるものじゃ。
これは、母関数による定義じゃな。
一方、この本によると、べき乗和には、0k + 1k + 2k +・・(n-1)k=(1/(1+k))Σ(j=0~k)(Comb(k+1,j)Bj n(k+1-j)というように現れる。
ここで、Comb(m,n)=m!/(n!(m-n)!)なる組合せの数を表す」

「この本のちょうどその58ページの式(Comb関数の表記は上とは異なる)は、技術評論社(http://gihyo.jp/book/2011/978-4-7741-4679-9/support)の正誤表に出ているものね」

「なるほど。Webで、正誤表を掲載するのは、読者にとって便利じゃな。
しかし、正誤表では、組合せの数の記法の誤りが訂正されているんじゃが、n(k+1-j)が元々抜けているのが訂正されていないのが残念じゃ。
まあ、もしかすると、抜けているのではなく、単に省略されているだけかも知れんが、左辺にnがあって、右辺にないのは、わかりにくいと思うのう」

「あ!。58ページの上のB6=5/66 も、正しくは、1/42の誤植じゃないかしら」

「どれどれ、なるほど。5/66は、B10じゃな。
前出のわしらのページでも、そのように計算してあるからな。以下の表では、B0から始まっている。
[1, - 1/2, 1/6, 0, - 1/30, 0, 1/42, 0, - 1/30, 0, 5/66,
0, - 691/2730, 0, 7/6, 0, - 3617/510, 0, 43867/798, 0, - 174611/330,
0, 854513/138, 0, - 236364091/2730, 0, 8553103/6, 0, - 23749461029/870, 0, 8615841276005/14322,
0, - 7709321041217/510, 0, 2577687858367/6, 0, - 26315271553053477373/1919190, 0,
2929993913841559/6, 0, - 261082718496449122051/13530, 0,1520097643918070802691/1806, 0,
- 27833269579301024235023/690, 0, 596451111593912163277961/282, 0,
- 5609403368997817686249127547/46410, 0, 495057205241079648212477525/66]
ただし、赤字は、10番目毎を表す」

「なんとなく、心配になってきたわ。
べき乗和の公式を確認してみるよ。
f(k,n)=(1/(1+k))Σ(j=0~k)(Comb(k+1,j)Bj n(k+1-j) として、DERIVEで定義する。
一方、べき乗和の計算をDERIVEで別途させると、結果は、ζ(-k,0)-ζ(-k,n)となるわ。
さて、k=1~10までを計算させると、
([n^2/2 - n/2, n^3/3 - n^2/2 + n/6, n^4/4 - n^3/2 + n^2/4, n^5/5 - n^4/2 + n^3/3 - n/30, n^6/6 - n^5/2 + 5n^4/12 - n^2/12, n^7/7 - n^6/2 + n^5/2 - n^3/6 + n/42, n^8/8 - n^7/2 + 7n^6/12 - 7n^4/24 + n^2/12, n^9/9 - n^8/2 + 2n^7/3 - 7n^5/15 + 2n^3/9 - n/30, n^10/10 - n^9/2 + 3n^8/4 - 7n^6/10 + n^4/2 - 3n^2/20, n^11/11 - n^10/2 + 5n^9/6 - n^7 + n^5 - n^3/2 + 5n/66])となる。
明示的に、ベルヌーイ数を使った、ユーザ定義関数 f(k,n)からは、同じ範囲で、
([n^2/2 - n/2, n^3/3 - n^2/2 + n/6, n^4/4 - n^3/2 + n^2/4, n^5/5 - n^4/2 + n^3/3 - n/30, n^6/6 - n^5/2 + 5n^4/12 - n^2/12, n^7/7 - n^6/2 + n^5/2 - n^3/6 + n/42, n^8/8 - n^7/2 + 7n^6/12 - 7n^4/24 + n^2/12, n^9/9 - n^8/2 + 2n^7/3 - 7n^5/15 + 2n^3/9 - n/30, n^10/10 - n^9/2 + 3n^8/4 - 7n^6/10 + n^4/2 - 3n^2/20, n^11/11 - n^10/2 + 5n^9/6 - n^7 + n^5 - n^3/2 + 5n/66])となる。両者は、完全に一致するみたい」

「赤字で示している個所が問題のB6に由来するところじゃな。
やはり、1/42の方が正しいようじゃな」
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ヨハン・ベルヌーイと最速降下線

「ヤコブ・ベルヌーイの弟のヨハンが最速降下線の問題を正しく解いたのね?」

「本書によると、この問題は、ガリレオ・ガリレイの頃までさかのぼれるとのことじゃ。
ガリレオは、この曲線を円と考えていたようじゃが、正しい答えは、ヨハンらが解いたサイクロイドという曲線じゃったというわけだ」

「ヨハンら、というのは、ヨハン以外にもいたということかしら?」

「そもそも、『最速降下線』の問題というのは、左の図のように、2次元で座標を考えた場合、y軸の下向きに重力が物体に働くとし、重力以外の力が働かない場合、A点からB点にもっとも短い時間で到達するための経路は、どういう曲線か、という問題じゃな。
ガリレオは、曲線が円の一部と考えた。また、別の人は、放物線ではないかとしたりして、答えが定まっていなかったのじゃ」

「本書によると、ヨハンがこの問題を出題して、兄ヤコブを含めて、ニュートンやホイヘンスも回答を寄せたと書かれているわ」

「そのようじゃな。皆、答えは、ヨハンの答えと一致していたそうな。
ニュートンは、仮名で回答を寄せたということじゃが、万事に慎重なニュートンらしいエピソードじゃ」

「ここで、変分法が使われたのね。微かに分かるのが微分で、分かったつもりが積分で」

「変に分かるのが変分法、という語呂合わせもあるのう。
本書によれば、ヨハンは、フェルマーの原理からヒントを得たということになっている」

「フェルマーというと、あの大定理(xn+yn=znは、n>2の自然数の時、ゼロより大きい自然数 x,y,zの組が存在しない、という彼の書いた予想。1995年に証明された。フェルマーの最終定理ともいう)のフェルマー(1607(1608という説も)~1665:フランスの数学・物理学者)なのね」

「フェルマーの職業は、弁護士で、数学や物理学は、余技として行っていたものらしい。
とは言え、今とは異なり、大学などの高等教育機関なども少なかったろうから、学者=大学等の教師という図式は、成り立たなかったじゃろう。
で、ここでは、『フェルマーの原理』じゃが、光の屈折を説明するために使われたということじゃ。
当時は、光、自体が謎であり、粒子なのか、波なのか、というニュートンとホイヘンスの論争もあった。
ただ、ニュートンの万有引力と惑星の運動理論の成功により、力学的世界観が浸透していたから波動説は、分が悪かったようじゃ」
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フェルマーの原理

「フェルマーの原理って、どんなんだったけ?」

「次のようなものじゃ。
少し、面白く、脚色してみよう。


図のように、オレンジ色の部分は、A点(オレンジ色の媒体内)から、たすきを持って、ラビットが走る。その速さは、vじゃ。
オレンジ色の部分は、縦の長さをaとする。(図は、v>=uの場合。なお、u<vの場合は、後述の全反射が起こる場合があるので注意が必要)
同様に、緑色の部分は、ドラゴンが走る。その速さは、uじゃ。また、緑の縦の長さは、b とする。
このとき、A点から、B点(緑色の媒体内)までの時間が最も短くなるように、たすきの受け渡し地点Pを選びたい。
なお、B点は、A点から、cだけ離れているとする」

「えーと、まず、図のように角度θとφと名前を付けると、ラビット君が走る距離は、a/cos(θ)、要する時間は、a/v*cos(θ) となる。
また、このとき、P点の位置を示す、xは、x=a*tan(θ)となる。
一方、ドラゴン君はというと、走る距離は、b/cos(φ)であり、要する時間は、b/u*cos(φ) となる。
B点の位置を示すcは、c=x + y=a*tan(θ)+b*tan(φ)
合計で要する時間 T=a/v*cos(θ) + b/u*cos(φ) である。
c=a*tan(θ)+b*tan(φ)の条件の下で、所要時間 T を最大にするためには、ラグランジュ常数をλとして、
関数 F(θ,φ,λ)=T + λ(c - a*tan(θ)+b*tan(φ))を定義して、これを、それぞれ θ、φで微分して、ゼロと置くことから、λを求めて、等しくおけば、
λ=- sin(θ)/v = - sin(φ)/u となる。
これから、sin(θ)/sin(φ)=v/u ということが分かる」

「そうじゃな。
これが、いわゆる、『屈折の法則』であることは、すぐ分かるじゃろう。
もちろん、波であれば、光でなくとも、電波や音波、海の波などにも、基本的には、当てはまるが、波の波長がここで考えている、aやbの大きさ程度になってくると、回折(波の回り込み)の影響が無視できなくなる。
さて、注目すべき点は、パラメータa,b,c が含まれていないということじゃ。角度θ、φは、それぞれの媒質内の速度、v、uでのみ決まる」

「なるほど。キレイに決まった訳ね。
いわゆる『全反射』との関係はどうなのかな?」
「v/u≡kと書くとき、sin(θ)/k=sin(φ)であるから、k<1では、θがある値(臨界角:sin(θ)=k)より大きいと、左辺が1を超えてしまう。
このとき、|sin(φ|<=1であるため、条件を満たす屈折角φが存在しない。そのような場合を全反射というのじゃったな」

※ k<1の場合(ラビットの方がドラゴンより遅い場合)は、単純に、sin(φ)=sin(θ)/k と置けませんでした。
この場合、もし、光(ここでは波の代表として光を考えている)が平行光線としてA点を通過するケースを考えている場合は、光が到達できないB点があり得ます。
もう少し、正確に言えば、オレンジの部分から平行光線が角度θで放たれていてグリーンとの境界面に当たるとすれば、臨界角以上の平行光線は、グリーンの層に侵入しません。グリーン層の下部は、暗いままです。(ここでは、境界面での回折や散乱は考えていません)
 しかし、A点(オレンジ色の内部)から、光が球面波のようにまんべんなく出ている場合(当初、無意識にこのような情景を思い浮かべていました)は、B点に行く光の道(P点)は、必ず、あります。この場合、層の面積が大きい場合は、A点の直下のグリーンの層の下部がもっとも明るく、離れるにつれて、暗くなりますが、臨界角による制限から、ある距離を離れると急に暗くなります。
 一方、k>=1の場合は、臨界角が存在しないため、どのようなθの平行光線もグリーンの層の下部に届きます。
 また、球面波の場合もグリーンの層のA点の直下からある距離を離れると急に暗くなることはなく、徐々に暗くなっていくでしょう。
 以上のkによる2つのケースとも、オレンジ、グリーンの層は、ともに透明であるとしています。
 ここでは、『フェルマーの原理』の説明のために、このように簡素化していますが、前提等の整理が不十分でした。
 お詫びして訂正いたします。(2012/9/2:21:00)

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最速降下線と変分法

「前々節の最速降下線に戻るが、簡単のために、y軸の下向きを正とする。また、原点OをA点とする。

P(x,y)での速度は、エネルギー保存則より、v=√(2gy)となる。ここで、gは、重力定数じゃ。
微小長さをdsで書くと、ds=√(dx^2+dy^2)=√(1+y'^2)dxである。
dsをたどる時間は、dT=ds/v である。B点のx座標をbとすれば、
B点までの所要時間は、T=∫(x=0~b)(√(1+y'^2)/√(2gy))dx と書くことができるじゃろう」

「といっても、y=y(x)の形が決まらないと、Tを計算できない」

「そこで、このような問題を解くのが変分法というわけじゃ。
前節のフェルマーの原理も、『最小化原理』の一例であり、松原先生によると『隠れ変分法』ということじゃが、ヨハン・ベルヌーイは、この『フェルマーの原理』をヒントに今回の最速降下線の問題を考察したとのことじゃ。
また、変分法を更に発展させたのが、かのオイラー達だな。
さて、一般に、I=∫(x=a~b)F(y,y')dxと書くと、Iが極値をとるようにする y=y(x)を求めることを考える。
なお、ここで、Fは、xを陽に含んでいてもよいが、煩雑となるため、上記では、省略している。
今、yが少しだけ変わったことを、y=y(x)+αf(x)と書く。ここで、αは、後で小さくする実数じゃ。
また、f(x)は、f(a)=f(b)=0なる任意の関数とする。
これをIに入れた場合をI+δIと書いて、αの一次まで展開すると、δIの部分は、
δI=α∫(∂F/∂y' f'(x)+∂F/∂y f(x))dx
部分積分により、
δI=-α∫(d/dx(∂F/∂y')-∂F/∂y)f(x)dx
ここで、f(a)=f(b)=0を使っている。
微分にならって、Lim(α→0)(I+δI-I)/αをとれば、
任意関数 f(x)で、δIがゼロとなるためには、d/dx(∂F/∂y')-∂F/∂y=0が必要となる。
これが、yを求めるための、変分方程式じゃ」
(※この個所の説明は、『変分法』(林 毅・村 外志夫 共著:コロナ社:1972年8月第12版)を参考にしました。)

「なるほど。これが、解析力学でお目にかかる、『オイラーの方程式』なのね」

「そうじゃな。
ヨハンの次男の『ダニエル・ベルヌーイ』の友人がオイラーだったそうじゃ。まさに豪華な顔ぶれじゃな。
また、通常は、αf(x)をδyと書いて、第1変分と呼ぶ」

「今回の最速降下線の場合は、
2y(x)y''(x) + y'(x)^2 + 1=0
境界条件は、y(0)=0、y(b)=hとする。
xを陽に含まないので、p=y'=dy/dx、y''=dy'/dx=dy'/dy y'=p dp/dy とすれば、
2y*p*dp/dy+(p^2+1)=0、これは、変数分離型なので、
解けるんだけど、なんだかゴチャゴチャしてしまうわ」

「2y*p*dp/dy+(1+p^2)=0から
ln(1+p^2)+ln(y)=ln(c)、ここで、Cは積分定数。
従って、P^2=dy/dx=c/y - 1 、左辺は、非負なので、c>=y>=0、
ところで、P^2+1=c/y なので、p=tan(θ)と置くと、y=c*cos^2(θ)=(c/2)(1+cos(2θ))と書けることに注意する。
これをxで微分すると、dy/dx= - 2c sin(θ)cos(θ)dθ/dx
一方、dy/dx=tan(θ)なので、dx/dθ=- 2c cos^2(θ)
よって、x= c' - c sin(θ)cos(θ) - c θ、ここで、c'は、2つ目の積分定数。
θ=π/2で、y=0であるので、そのときのxは、0=c' - c*π/2から、c'=c*π/2
x= c*π/2 - c sin(θ)cos(θ) - c θ=c (π/2-θ-sin(θ)cos(θ))
=c/2(π-2θ-sin(2θ))
ここで、あらためて、π-2θ≡φ、c/2≡C と書き直すと、
x=C (φ- sin(φ))
y=C (1 - cos(φ))
とパラメーターφを使って、きれいに表せる」

「えーと、これで、出発点Aでは、θ=π/2だから、φでは、φ=π-2θ=0
確かに、x=0、y=0だね。
到着点Bでは、φは、きれいには求まらないわね」

「そうじゃな。
たとえば、b=1, h=2 の場合には、φの範囲を0~2πに制限すれば、Cとφは、DERIVEで数値的には、直ちに、
φ=1.401379455、C=2.405602932 と近似解が求められる。
これにより、x,yのグラフは下図のようになる。φ=0~2π」


「楕円みたい」

「確かにな。
ただ、y軸の向きが通常と反対なので、実際の経路は、下図のように上図を上下反転した状態の原点から途中までということじゃがな。


このような曲線を『サイクロイド(cycloid)』という。最速降下線は、サイクロイド(の一部)だったわけだ。
なお、cycloidとは、円のようなもの、という意味だそうじゃ」

「なるほど。cycleは、円で、oidは、もどき、という意味なのね。
ヒューマノイドとかアンドロイドとか、いろいろと言葉があるものね」

「サイクロイドには、いろいろな面白い性質があるのじゃ。
たとえば、
x=C (φ- sin(φ))
y=C (1 - cos(φ))
から、u=x - Cφ、v=y で定義される座標系に移ると、u^2+(v-C)^2=C^2、と円の方程式じゃ。
これは、x軸に平行に正方向に速度Cφで移動する座標系で見た景色じゃ。
こうすると、点(u,v)は、中心(0,C)、半径Cの円周上に常にあり、角速度φで回転していることがわかる。
これ以外の点など、DERIVE de ドライブで機会があれば、取り上げようかの。
いや、ともちゃんも、暑いところ、お疲れさんじゃった」
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終わりにあたって

原子力発電の是非について、ここで、深く立ち入ることはしませんが、事故があったからといって、すぐに、全廃というような結論に一足飛びに達してしまう一部の論調は、どうなのかと思います。裁判員制度についても同様でしたが、『みんなで渡れば怖くない』というような風潮は、やはり、何かおかしい。
 原発に依存しないようにするには、省エネルギーや自然エネルギー技術の開発や普及を図ることはもとよりですが、控えめに見て、当分は、現在以上に火力に頼るしかないでしょう。しかし、二酸化炭素等の排出増加による地球温暖化問題は、いつのまにか、解決して、どこかに消えたのでしょうか?
 原子力技術が、『技術』である以上、原発の早期廃止の方針が出れば、学生は、原子力分野に進まなくなりますし、技術者は、段々に引退していきますので、数十年規模で、少なくとも日本からは、その多くが失われ、いざ、必要になったときに使えなくなることでしょう。
 一方、たとえば、自動車です。
 『交通戦争』と呼ばれ、年間1万人以上の死者が出ていた頃よりも、半減したようですが、年間5千人程度(平成22年度)の死者(事故から24時間以内に死亡した人の数。30日以内に死亡した人の数は、これより1割ほど多い)が出ています。冷静に考えれば、4年で2万人という死者数は、今回の大震災の死者数に匹敵します。にも拘わらず、自動車の廃止とか、自動車数の制限とかという議論は、現在では、大勢を占めていません。
 自動車の利点が大きいことが主な理由でしょうが、死傷者が多いという欠点を何故、国民が納得しているかといえば、
・ シートベルトやエアバッグなどの普及により、ドライバーを含めた車内の人間の保護機能が増していること、
・ 交通道徳や道路、ガードレール、信号機などの環境整備が進んでいること、
・ ナビ、後方モニターや自動衝突防止機能などの機械による補完機能の発達と自動操縦などの将来の進歩が見込めること、
などによるものでしょう。すなわち、これらの改善により、交通事故の死傷者が減ってきたことと今後の見通しに納得しているからだと思われます。
(※とは言え、昨今、ドライバーの高齢化が進んでいるため、運転技能に頼るだけでは、危険性が増してきてますので、3番目に挙げた機械による補完機能の充実とその普及を急ぐべきでしょう。)
 ひるがえって、原子力発電について、考えますと、状況は、厳しいですが、操作、特に危険な作業や複雑な作業のロボットなどによる機械化の進歩と普及を進める方向が望ましいのではないかと思われます。少なくとも日本では、安易に人力に頼ってしまってきた(いる)という気がします。人手でないと難しいから仕方がないとか、費用が安く済むから機械化は無駄だ、という原子力村といわれる閉鎖的な『ムラ人』意識が、これらの技術の発展を阻害したのかも知れません。このあたりは、猛省を促したいと思いますし、私たちも反省する点が多いのですが、改善の余地が大きいことは、ある意味で、挑戦的な課題でしょう。
 もちろん、省エネルギー技術や太陽光・太陽熱発電、風力や波力発電なども、十分に挑戦的な課題です。
 特に、大電力の蓄積方法が実用的なレベルとしては、『揚水発電』しかないのは、大きな問題でしょう。
 要は、どちらか、というのではなく、どちらも重要だと考えるのですが。
 『理念は高く、しかし、足下(現実)を見つめて歩いて行く』政治が、求められるでしょう。
 またまた、脇道に入りますが、昨今の『新党騒動』ほど、世界の情勢や世間の常識から、かけ離れたものはありません。
 党員は、互いに信じ合うから「信党」であり、だからこそ国民の間に「浸党」していき、「心党」となるのでしょう。
 いつも、「震党」しているようでは、最後に「振党」して、バラバラになってしまいます。((『奥のわき道』か、あんたは?、と突っ込まれるでしょうかな)
 今回もご覧いただき、ありがとうございました。
 また、次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。 
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