新党また新党
二者択一思考の果てか
民主主義は妥協じゃないの
白と黒との間
終わりにあたって
2010年5月の今月のご挨拶「名前は大事だよ」の中で、当時、吹き荒れていた「新党ブーム」について触れました。
しかし、雨後の竹の子というのも時期外れの年末に、こうも、ぞろぞろと、新党が出てくるとは、『お釈迦様でも気がつくめぇ』というところでしょうか。
あきれ顔で新聞を眺める昨今です。
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賛成か反対か、という二者択一の思考の果てに、1つの方針に1つの新党とも言うべき現象です。
まさに「デジタル党時代」と申すべきか。
確かに、ある条件なり方針に対して、賛成か反対かを迫るのは、格好いいことです。
小泉総理の時代にも、郵政民営化に賛成か、反対か、と二者択一を選挙で迫って、新聞、テレビなどのメディアを湧かせました。
今回は、原発、防衛、TPPなどの複数の問題について、それぞれの新党がお互いに異なる方針を掲げて争う構図となりました。
お互いに異なるのは、当然ですが、だって、同じならば、一緒になればいいのですから。ということで、今度は、あたふたと、一緒になろうとか、緩やかな連携を計ろうとか、騒々しいことです。
でも、ちょっと、待てよと。
いつから、賛成か反対かという、こんな、単純・稚拙な政治になってしまったのでしょうか。
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あるいは、大きな案件は、国民投票で決めるべき、という一見もっともらしい主張が聞かれるようになりました。
ますます、二者択一政治の到来でしょう。だって、投票では、はい、か、いいえ、という意思表示しかできませんものね。
しかし、国民投票=多数決=民主主義という図式にだまされるな、といいたい。
それは、裁判員制度=裁判の民主化という間違った認識と同一の事柄です。
それって、結局のところ、多数派による専制政治ではないでしょうか。
私は、民主主義とは、多数派と少数派との妥協点を探るというのが本筋ではないかと思います。
まあ、昔の自民党時代の「足して二で割る式」の政治の在り方は、いろいろと批判されました。
でも、どちらがいいかと問われれば、賛成か反対かで割り切るよりも、足して二で割る式の方が、少なくとも、日本には、向いていると思われます。
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キリスト教やイスラム教に代表される一神教の文化は、白黒を付けたがります。
その争いも平和的であれば、まだしも、今でも、戦火が絶えない地域もあります。
テレビアニメのセリフではありませんが、お互いにどちらかを滅ぼすまで殺し合っているのです。
一方、白と黒との間にも無限の階調があることを「墨絵」が教えてくれます。
無限の灰色の中の一つの灰色も、また、立派な結論です。
「決められない政治」は「白黒付けられない」のではなくて、結論を出せない政治です。
何かを決める政治は、白黒を付ける政治である、という間違った風潮が蔓延しつつあるようにも思えます。
困ったものです。
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今回もご覧いただき、ありがとうございました。
少し早いですが、良いお年をお迎え下さいますよう、また、新年も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
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