2017年10月のご挨拶

宗教

目次

(0) はじめに
 もう一つの真実
 宗教の誕生
 神官から科学者へ
 一神教と多神教
 分派と新しい宗教
 宗教政治から政教分離・信教の自由へ
 イスラム教のスンニ派とシーア派
 中国唐代のキリスト教、イスラム教、仏教、道教、ゾロアスター教と日本
(1)ユダヤ教、キリスト教、イスラム教
 ユダヤ教
 キリスト教
 イスラム教
(2) 終わりにあたって

(0)はじめに

もう一つの真実

2017年初め、米国の第45代大統領としてドナルド・トランプ氏が就任しました。
 このとき、就任式典に集まった群衆の数について報道官の説明が誇大だという批判に対して、当時の大統領顧問(コンエィ氏)が発した言葉が『もう一つの真実』(Alternative fact=オルタナティブ ファクト:代替え的真実)でした。
 たしかに、真実は、一つではない、という言い回しは、これまでも、一般に使われてはいました。
 一方、この言葉は、新聞やテレビなどの大手メディアの報道することが、必ずしも『事実』ではなく、本当のことは、別にあることもあるという意味で、『もう一つの真実』というようです。
 ※ジョージ・オーウェルの小説『1984年』(逆ユートピア:政府によりすべての真実が統制されている社会を描く)を想起させる言葉。(ウィキによる)
 言い換えれば、(客観的な事実ではなく、)話す人が送りたい事柄を『もう一つの真実』と呼ぶとも言えるでしょう。
 当初、このコラムでは、事実、あるいは、主観的、客観的という事柄について、取り上げる予定でした。
 しかし、考え出すと、なかなか、大きなテーマであり、裾野も広く、まとまらないきらいがあります。
 そこで、もう少し、わかりやすい例として、『宗教』を取り上げることにしました。
 お断り:本欄は、特定の宗教を賞揚したり、貶めたりする目的で書いたものではありません。
 なお、引用文献等を記載していない部分の多くは、私見です。

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宗教の誕生

宗教は、まさに、もう一つの真実、の集まりです。
 時には、そのことにより、多くの諍いや戦争が起こり、現在も、続いています。
 以下は、私の想像に基づくものです。
 そもそも、人類が誕生した当初は、個体数も少なかったでしょうし、声を出すことはできたとしても、言葉を持っていなかったと思われます。
 しかし、他を観察する力、それをもとに考える力は、多くの動物より秀でていました。
 そのため、当初は、小集団なりが、生活していく中で、恐怖、不安、不思議だ、などと感じる物に畏れをいだき、崇敬の気持ちを感じたと考えられます。
 一番想像しやすいのは、太陽に対するものでしょう。
 また、夜は、現代とは、全く異なり、月がなければ、星の光以外は、無く闇となってしまいます。月の光も、また、有り難い、と感じたと思われます。
 さらには、雨、風などや人の誕生や死にも神秘の念を抱くのは、自然な流れでしょう。
 
こうして、自然や人の生死に対する崇敬の念を、当初は、身振り手振りなどの仕草、として、表現したと思われます。
 仕草は、頭を地面にこすりつけたり、何かを叩いたりするなどだったでしょう。
 当初、そのような仕草は、各人毎にばらばらだったでしょうが、次第に、一団の中で、統一されていったことでしょう。
 仕草には、最初は、声や音がなかったかも知れませんが、集団が大きくなる中で、対象とする物の名前とともに一定の声や音が付随するようになったと思われます。
 こうして、仕草は、儀式、に昇格しました。
 離れた場所でも、多発的にこのような現象が起こったと考えられます。
 そう考えると、地域が異なると、対象や儀式が異なるのは、当然です。
 このようにして、原始宗教は、誕生したと思われます。
 すなわち、宗教は、宗教が誕生当時の民族/部族、言語、と3点セットとなっています。
 その後、それらの民族の一部が離れた場所に移動したりすると、異なった3点セットの人達と暮らすことになるわけです。
 宗教は、言語とともに、その人達のアイデンティティを支えている場合があり、そのことが、現代の世界を難しくしてる一つの大きな理由かと思われます。
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神官から科学者へ

自然崇拝の流れから、崇拝を行う人の専門化が進み、祭祀を司る神官が誕生しました。
 これらの神官は、自分の食料を自らが調達しなくてもよくなり、時間の余裕が生まれました。
 そこで、祭祀の都合もあり、自然そのものを観察することに、多くの時間を割けるようになったのでは、ないでしょうか。
 こうして、自然を観察する者として、神官から最初の科学者が誕生したと思われます。
 たとえば、太陽を観察することにより、日の出、日の入り、年間の運動と季節の関係などにも気づいたことでしょう。
 また、まれに起こる日食も周期性があることも発見したこともあったかも知れません。
 
 その際、必要になったものは、文字でした。少なくとも、観察した記録を残すための記号を作成する必要はあったことでしょう。
 そのことは、文字が生まれる一つの大きなきっかけであったと思われます。
 一方、一部の神官は、その観察した結果の背景なり理由を考えたでしょう。
 このことは、人類が持つ能力、あるいは、宿命かも知れません。単に現象と結果を得るだけでは、物足りずに、その理由を考えてしまうのです。
 しかし、当時は、太陽や月、雨、風、生死などの背景や関連を知る手がかりは、ほぼ皆無と言ってよかったので、想像力を武器にして、『世界』を想定したわけです。
 この世界観と前節の儀式とを併せて、『宗教』と呼んで良いと思われます。
 こうして、科学は、原始宗教が宗教へと進化していく中で、生み出された子ですが、次第に、科学独自の見方が確立して、独り立ちできるようになると、宗教からは疎まれる『鬼っ子』とも言える存在になったわけです。
 なお、私見ですが、世界を理解するという意味では、すでに、宗教の役割は、終了したと思われます。
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一神教と多神教

前節のように誕生した宗教は、多くの場合、多神教でしょう。
 神官は、様々な自然などに対して、異なる神々を想定して、さらには、体系化を考えたと思われます。
 その体系化の中で、自身の生活実態を反映していくことは、自然な流れだったと思われます。
 それは、一族の長を頂点とした序列にならって、神々の序列を明確にすることです。
 こうして、ひな壇のように、神々を並べて考えてみたことでしょう。
 一方、このように多くの神々がいるのは、不自然で、本当は、一つの神がその姿を変えて現れていると考える者が出てきたとしても不思議ではありません。
 一神教は、多神教内の異端児として、現れたと思われます。その一つの例が、後で出てくる『ユダヤ教』です。
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分派と新しい宗教

宗教も当初は、小さな集団ですが、発展してくると、次第に形式化したり、宗教が生活との軋轢を生んだりするようになります。
 ここから、分派の発生が起こります。分派は、やがて、それ自身が一つの独立した宗教になる場合もあります。
 ユダヤ教からキリスト教が生まれたのは、このような例でしょう。


 キリスト教もやがて、カトリックとプロテスタントに分かれ、カトリックは、ローマ教会とロシア正教会に分かれるなど細かく分裂しています。
 日本における仏教でも、空海の頃に、すでに南都六宗といわれています。この後、最澄の開いた天台宗と空海の真言宗で八宗となりました。
 日本における宗派間の関係は、この頃は、緩やかなものであったようですが、徐々に厳しくなっていったようです。
 どのような宗教であれ、形が一つ完成してくると、その儀式は、形式化し、あるいは、形骸化していきます。その過程で、このように分派活動が生じます。
 分派は、根本に戻る、あるいは、教義を更に発展させるという、二つの方向に進むと、一般には、考えられるでしょう。
 ヨーロッパのキリスト教界を揺るがせたルターの宗教改革は、前者でしょうし、日本における法然の浄土宗から出た、親鸞の浄土真宗は、後者の例でしょう。
 こうして、古い殻を脱ぎ捨てるように新しい分派が誕生していきます。この分派活動により、元の殻も消えずに、より洗練される場合もあります。
 後述のイスラム教スンニ派は、元の宗派であり、そこから分かれたシーア派は、分派です。
 なお、根本に戻る場合、その多くは、経典に戻るしかないわけですが、何世紀も前に編纂された経典を後の時代で解釈、実行しようとするのですから、時代にそぐわないルールもあり得ます。それを無理に推し進める分派は、孤立化し、さらには、先鋭化すると過激思想を生むこともあります。 
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宗教政治から政教分離・信教の自由へ

自然発生的に生まれた宗教も、次第に体系が整って、信ずる者が増えてくれば、統治者にとっては、便利な道具となります。
 まずは、統治者が神々により選ばれた神の代理人であると主張する神権政治です。
 この段階では、統治者である王は、神官の長も兼ねている訳です。
 王は、部下の神官を任命し、王の意を実現させるように仕向けました。
 しかし、さらに宗教が発展してくると、宗教は、単なる統治手段ではなくなり、王自身も宗教の権威下に置かれるようになる場合も出てきました。
 すなわち、宗教政治の段階です。こうなると、あらゆるものが特定の宗教の支配下になるのです。
 中世までのヨーロッパにおけるキリスト教会は、その例でしょう。ルネサンスまで続いたしがらみです。
 現代でも、完全にキリスト教の影響がなくなったわけでは、ありません。
 たとえば、アメリカでは、憲法に政教分離が明記されてますが、ダーウィンの進化論など、聖書に書かれていない事柄を学校で教えることへの抵抗や反発があるようです。数々の訴訟や運動が起きていますし、現在も続いています。(ウィキによる)
 日本でも、仏教伝来当時は、統治手段として仏教を利用しようとしましたが、聖武天皇が仏教に傾倒し、自ら取り込まれてしまいます。
 その後、道鏡(~772年)が称徳天皇の時代に皇位を得ようとした事件があり、仏教に対する警戒感も生まれ、仏教が天皇をしのぐ権威を得ることはなくなりました。
 江戸時代は、幕府が檀家制度を作り、キリスト教などの禁教が広まるのを監視する仕組みとして仏教を利用しました。
 この影響で、民衆は、四つ足の獣は、食べない、などの生活上の制約が生まれました。
 明治になり、信教の自由が大日本帝国憲法に書かれるようになり、禁教であったキリスト教なども自由となり、また、仏教の制約がとれた民衆に肉食が広まりました。明治政府は、それまでの仏教中心の国のあり方を古代日本の神道中心へと回帰を図り、一時は、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れました。これにより、多くの寺が破壊されたり、仏像が売り払われたりしました。この騒動に驚き、政府も性急な変化を取りやめましたが、寺は、権力からの庇護を失いました。
 その後、昭和になり軍部の力が強くなるにつれ、神道は、国家神道に格上げされるようになり、神社崇拝が強制されるようになりました。他の宗教の礼拝を禁じられるキリスト教徒などは、再度の迫害を受ける形となりました。これは、終戦まで、続いたのです。
 現在の日本国憲法では、信教の自由と政教分離は、徹底されています。
 もちろん、オウム真理教のような事件がありましたので、憲法の保障する信教の自由が、どのような宗教をも許しているのではないことは、明白にしておかないといけません。
 一方、サウジアラビア、イランなどイスラム諸国の多くにおいては、今も、王や大統領、議会などより上位の権威として、イスラム教の権威者からなる宗教評議会などがあります。
 なお、トルコなどは、政教分離を国是としていますが、近年、イスラム教側の力も大きくなっています。
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イスラム教のスンニ派とシーア派

 「テレビの池上彰さんのニュース解説で、見たんだけど、スンニ派とシーア派の違い」

「おお、ともちゃんかい。
 今年の関東、東北の7月は、とても暑かったが、8月に入ったとたんにまるで梅雨のようになってしもうた。
 関東では、8月の20日過ぎになって、ようやく晴天が多くなったものの、仙台市では、昭和の初め以来の日照不足だそうじゃ。
 冷害も心配だな。

 さて、話を戻そうか。
 わしは、スンニ派がイスラム教の解釈に、より厳格とか、スンニ派が多くを占める国は、サウジアラビア、シーア派は、イランという程度しか知らなかった。
 番組を見たりした結果を簡単に書くと、
 スンニ派は、預言者 ムハンマド(=マホメッド)を通じて、神の教えを伝えたとされるコーランとその慣行(スンナ)を重んじているという。
 そのため、スンニ派は、スンナ派とも言われる。
 一方のシーア派も慣行(スンナ)を重んじているが、それ以外に、ムハンマドの後継者達の伝えた言葉(ハディース)やイスラム共同体の総意(イジュマー)を重視するという。
 なお、シーア派のシーアは、第4代カリフの「シーア・アリー」の名前に起因するということじゃった。
 信者の割合では、約8割のスンニ派に対して、シーア派は、約2割ということだな。
 しかし、わしらにとって、イスラム教は、キリスト教よりもなじみが薄いのう」
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中国唐代のキリスト教、イスラム教、仏教、道教、ゾロアスター教と日本

「そうは言うけど、おじぃさんもあたしも、キリスト教だって、よく知らないでしょ?」

「ま、それは、その通りなんじゃが、子どもの頃には、キリスト教の聖書物語などを読んだし、近所には、キリスト教の教会もある。
 また、日本では、明治以来、キリスト教徒の安息日と同じく、日曜が休日になっているし、クリスマスなどの行事も伝統行事に溶け込んでしまっている。
 それに、学校の社会科や世界史などでキリスト教関係のいろいろな事件を習ったろう」

「ああ、カトリックとプロテスタントとか、ルターの宗教改革などね。
 細かいことは、忘れてしまったけど。
 日本にキリスト教が伝わったのは、戦国時代の鉄砲伝来の頃ね」

「その時代の宣教師としては、フランシスコ・ザビエル(1506~1552)が有名だな。
 その後、江戸時代になると、キリスト教や日蓮宗不受不施派などは、禁教になったが、明治以降、禁教令は解かれた。
 現在の日本のキリスト教徒の割合は、韓国、フィリピンなどとは異なり、高くないと思われる。
 一方、古代の中国には、キリスト教は、ずっと以前に伝わっておる。
 空海(774~835)が遣唐使の一行に従って、入唐(滞在 804~806)した頃、キリスト教は、『景教』という名前で唐にすでに伝わっていたということじゃ。
 広辞苑によれば、景教とは、『(「光り輝く教え」の意)ネストリオス派キリスト教の中国での呼称。唐代に中国に伝わり、唐朝(618~907)が保護したために隆盛、唐末に至ってほとんど滅亡。後また、モンゴル民族の興隆と共に興ったが、元(げん)と共に衰滅。
 ちなみに、イスラム教はと言うと、『回教』の名でやはり中国に伝来している。
 わしの学生の頃は、イスラム教徒を『回教徒』と呼んでいたのう」

「景教や回教が日本にも、もたらされる可能性はあったものの、当時の日本は、仏教中心だから、他の宗教を移入しようとは、しなかったということね」
「日本の宗教政策が仏教の振興だったから、全く異なる宗教を取り込んでみようとは、ならなかったのじゃろう。
 司馬遼太郎氏の『空海の風景』(中央公論社)によれば、当時の長安は、国際都市として栄えていて、これら以外にも、『ゾロアスター教』の寺院などもあったと記されている。
 『ゾロアスター教は、拝火教(祆(けん)教)と呼ばれており、世界を善神と悪神の争いととらえ、最終的に善神が勝利すると考える。
 また、火を善神の象徴としてあがめ、死体の火葬や水葬、土葬を禁止し、『鳥葬』として葬ることが知られている。
』(日本国語大辞典)」

「当時の唐では、『道教』が朝廷や民間の信仰を集めていたけど、仏教、景教(キリスト教)、回教(イスラム教)、拝火教(ゾロアスター教)なども、それぞれ、布教に努めていたということね。
 804年に空海が長安に入ったときには、すでに玄宗皇帝(685~762)は、なくなっていたけど、長安の国際都市としての輝きは、まだ、続いていたということね」

「そうじゃな。
 空海に真言密教の法統を譲られた『恵果』の師の『不空』は、インド出身の密教僧だったが、唐の玄宗皇帝に寵愛されたようだ。
 玄宗皇帝は、道教に傾倒していた(皇帝が道士に不老長寿の仙薬を作らせようとしたという逸話が有名じゃ)が、不空の超人的なパフォーマンスに魅了され、密教も大いに庇護したという。
 ただ、不空の後をついだ恵果は、師ほどの術は、持ち合わせず、派手な性格でもなかったようで、次第に密教は、道教に押されてその後、衰退の道をたどっていった。

 (この青字部分は、上述の『空海の風景』によります
 現世利益をかなえてくれるとされた道教が、主として来世での救済を説く他の宗教よりも優位に立っていたと言えるかも知れん」

「結局、仏教以外の宗教は、当時の日本には伝わらなかったようね」

「たしかに正式に招来されて広まると言うことは、なかったようだ。
 ただ、空海が著した『三教指帰』(さんごうしいき)では、仏教、儒教と並んで道教を登場させて、仏教の優位性を説いているので、中国における道教の繁栄を踏まえ、日本でも道教の知識や理解は、ある程度広まっていたと思われ、日本の陰陽道や神道に影響を与えたということじゃ。
 たとえば、明治の頃まで、『庚申待ち』という風習があった。これは、庚申の夜に人間の体内に潜む『三尸』(さんし)が天に昇り天帝に人の悪行を告げるとされているため、その夜は、寝ずに起きているという風習じゃ。
 『仏教では、青面金剛、神道では、猿田彦をまつる。元々は、道教の『守庚申』に由来し、平安時代に中国から伝わり、江戸時代に盛んに行われた禁忌とある。』(広辞苑)とあり、これは、道教由来の習慣が後に仏教なり神道に取り込まれたことを示している。
 また、一説では、更に古く、斉明天皇(皇極天皇の重祚:594~661)が道教を好んでいたという話もあり、飛鳥の謎の石などは、斉明帝の時代の庭園に置かれていたのではないかとも言われている。
 これについて、松本清張氏の『火の路』(文藝春秋:1975年)では、謎の石がゾロアスター教(拝火教)の祭祀用ではなかったか、という推理を展開されている。


 上の写真は、その謎の石の一つである酒船石じゃ。(1993年7月撮影)」

「でも、あれね。
 本筋の話からだいぶん、広がりすぎた気がするわ。
 年寄りの話とかけて、大昔の鉄道ととく、そのこころは、脱線が多い

「まったくじゃな。
 次節では、イスラム教とは、どんな宗教なのか、ユダヤ教やキリスト教とどんな関係があるか、もう少し、掘り下げていこう」 
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(1)ユダヤ教、キリスト教、イスラム教

ユダヤ教

「3つの宗教の内、もっとも古いユダヤ教は、というと、『紀元前14世紀頃の預言者『モーゼ』(=モーセ)が唯一神(ヤハウェ=エホバ)に従って、当時、エジプトの奴隷となっていたユダヤ人を『カナン』(パレスチナの古称。『セム族』が居住し、紀元前30世紀頃にもっとも栄えたと言われる。約束の地)に導いたとされる。彼が神と約束したものが十戒とされている。
 十戒の中には、唯一神以外を信仰しない、偶像を拝まない、安息日(ユダヤ教では、現在、土曜日)を守る、人を殺してはいけない、などが含まれる。

 これらの歴史や経緯を記したのが『旧約聖書』というわけじゃ。
 旧約聖書の冒頭の『創世記』、『出エジプト記』、『レビ記』、『民数記』、『申命記』などの一部は、映画にもなっている。
 当時のエジプトは、ナイル川による肥沃な大地が広がり豊かな緑に覆われていたようじゃ。
 また、十戒を元に決められたものを『律法』といい、ユダヤ教徒が守るべき定めとされている」(青字個所は、日本国語大辞典、または、広辞苑によりました)」

「あたし、むかし、やくって、『訳』だと思っていたもの」

「はは、なるほど。
 新訳源氏物語のような感じじゃな。
 キリスト教では、『新約聖書』とともに旧約聖書も重視しているがの。
 旧約聖書では、律法を大切にするのに対して、新約聖書では、『愛』を説いていると言われる。
 新約聖書によく出てくる『パリサイ人(びと)』は、この律法を形式的に尊重する人たちで、イエス・キリスト生誕(紀元元年)前後に存在したユダヤ教の一派で、パリサイ派とも呼ばれるそうじゃ」

「厳格なユダヤ教徒は、安息日(土曜日=正確には、金曜の日没から土曜日の日没まで)は、一切の仕事ができないので、電気器具のスイッチを押すこともできない。
 そこで、読売新聞に出ていたんだけど、家の前を通りがかった日本人(異教徒)に頼んで、自宅内の電気器具のスイッチを操作してもらったという話よ」

「そうだとのう。記事によれば、マンションのエレベーターは、安息日は、各階毎に止まる自動運転となるところもあるそうだ。自動運転でない場合は、(ボタンを押せないので)階段を使う。
 お金に関することもしてはいけないので、買物もだめ、料理もだめ、文字を書くことすらだめという徹底ぶりだ。
 ちょっと、信じられない感じじゃがな」

「じゃ、安息日の夜は、真っ暗なままなのかしら?」

「なんでも、安息日に入る前につけていた明かりなどは、よいそうじゃ。
 急病人の看護などは、許されている」

「警察などは、どうするのかしらね」

「現在のイスラエルでは、警察や消防、病院、軍隊などは、例外として許されるそうじゃ。
 ま、さすがに現代の国家としては、こうせざるを得んじゃろう。 
 旧約聖書に、『一群のユダヤ人達は、安息日に攻撃してきたシリア人に対して、安息日を犯すよりも、甘んじて死を受け入れた』という話が載っているそうじゃがな」

「結局、ユダヤ教は、ユダヤ人のための宗教なのね」

「ま、そう言えるのかな。
 世界的な宗教である、キリスト教やイスラム教のようにはならなかった」
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キリスト教

「しかし、パリサイ人は、徹底ぶりが半端じゃないわね。
 新約聖書に出てくるのが、パリサイ人がイエスを陥れようと安息日にイエスの前に手の萎えた人を連れて来て、奇跡を見せるように迫ったという話ね。
 イエスが手の萎えた人を直したら、安息日(に仕事をしてはならないという戒律)を犯したことになるし、何もしなければ、日頃、愛を説いているイエスを非難できるという計略なの。これが成立するには、安息日がよほど重視されていないといけない」

「『創世記』に、神がこの世界を6日間で作り、7日目に休息をとったということから、安息日は、その神の業をたたえ、神を礼拝するもとになった。
 キリスト教(イエスが復活したのが日曜日)やイスラム教(金曜日)においても、安息日が重視されているのは、これらの3つの宗教の密接な関わりを示している。
 わしら日本の異教徒は、日曜日は、単なる休日なので、遊んだり、勉強したり、家事なりの仕事をしたりと過ごしておるけどな。
 信仰厚いキリスト教徒は、日曜に教会に礼拝に行くじゃろうし、イスラム教徒もモスクに行って礼拝を行う。
 ところで、ともちゃんのその話は、『マルコによる福音書』では、次のようになっている。

 『イエスがまた会堂に入られると、そこに片手のなえた人がいた。人々は、イエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。
 すると、イエスは、片手のなえたその人に「立って中へ出てきなさい」と言い、人々に向かって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは、黙っていた。イエスは、怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで、手を伸ばすと、その手は、元どおりになった。パリサイ人達は、出て行って、すぐにヘロデ党の者達と、なんとかしてイエスを殺そうと相談し始めた


 ここで、『会堂』というのは、当時のユダヤ王国の市民の集会所のようなところで、会堂に入れるのは、ユダヤの市民にとって重要な資格だったようだ。
 また、この『ヘロデ党』というのは、パリサイ人と政治的に対立していたヘロデ王家支持派とのこと。(ブリタニカ大百科事典)
 普段対立している派の人たちと手を結んででも、イエスを亡き者にしようというのだからな。
 上記の青字の個所は、『新約聖書入門』(三浦綾子 著:光文社:1979年初版第6刷)から引用させてもろうた」

「新約聖書は、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書、使徒行伝、書簡、ヨハネの黙示録、からなっているということね。
 福音とは、よき知らせ、という意味で、キリストの教えを意味している。
 マタイとかマルコは、イエスの弟子(12使徒)の名前よ。
 マタイなどの名を知らない人でも、ユダの名前は、知っているでしょ。ユダは、13人目の弟子だったのだけど、イエスを裏切って、結果、イエスがゴルゴタの丘で磔(はりつけ)になってしまう。だから、13は、キリスト教徒にとって不吉な数字なのね。
 えーと、三浦氏の本では、鉄道唱歌(汽笛一声新橋を・・)の節で、次のように覚えるとよいと書いてあるわ。
 一 マタイ マルコ ルカ ヨハネ
   使徒 ロマ コリント ガラテヤ書
   エペソ ピリ コロ テサロニケ
   テモテとピレモン ヘブルの書
 二 ヤコブ ペテロ前後書
   ヨハネ三巻 ユダ 黙示
   旧新両約合わせれば
   聖書の数は六十六、
 ※使徒=使徒行伝、
  ロマ=ローマ人への手紙、コリント=コリント人への手紙、ガラテヤ=ガラテヤ(現在のトルコの都市)人への手紙、
  エペソ=エペソ(地中海に面した海洋都市:トルコ)人への手紙、ピリ=ピリピ(ローマ帝国の植民地)人への手紙、
  コロ=コロサイ(羊毛の染色の中心地:トルコ)人への手紙、テサロニケ=テサロニケ(マケドニアの首都:アレキサンダー大王の名前で著名)人への手紙、
  テモテ=テモテ(個人の名前)への手紙、など」

「これらの手紙は、パウロなどの使徒から各地の教会や個人に送られたものじゃ。
 キリスト教草創期における布教の大変さが偲ばれる」

「こうした熱心な布教活動の末に、キリスト教は、世界宗教の一つになったわけね」
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イスラム教

「イスラム教は、日本国語大辞典を参照すると、次のような感じじゃ。 
 『七世紀前半、アラビア半島の西部、ヒジャーズ地方のメッカの人マホメットが、メッカ郊外のヒラー山中の洞窟でアラーの啓示を受けたことにより始まった宗教。啓示を集録したコーランを教典とする。預言者マホメットの死後もハリーファ(カリフ=預言者の代理者の意)たちにより布教活動が続けられ、死後100年ほどの間に世界宗教となった。現在では、西南アジア、北アフリカ、東アフリカ、インド、中央アジア、東南アジア等に広まる。回教。マホメット教。フイフイ教。

 信仰 義務 
アラーを唯一全能の神と信じる  信仰を告白する
天使の存在を信じる 礼拝を行う
啓示の真実を信じる 断食を行う
預言者の正統性を信じる  救貧税(強制的寄付を納める)
世界の終末と来世の存在を信じる メッカへの巡礼を行う
最後の審判を信じる  

 イスラム教から見ると、主な預言者は、モーゼ(モーセ)⇒イエス⇒ムハンマド(=モハメッド)と続いてきた。
 すなわち、神は、モーゼやイエスにより救済できなかった民を救うために、3番目の預言者のムハンマドに神の教えを託したということになっているようだ。
 なお、モーゼの伝えたものが『旧約聖書』(ユダヤ教)、イエスのものが『新約聖書』(キリスト教)、ムハンマドのものが『コーラン』(イスラム教)ということじゃな。
 コーランは、日本語では、啓典とも書かれる場合がある。
 いずれも、神や精霊、預言者や使徒達の言葉や行いなどを後になって、弟子や信徒が著述、編纂したものであろう。
 実際、新約聖書は、弟子達(使徒)が著述した『福音書』、『書簡』などを集めて編纂されている」


「そういうやり方は、他の宗教でも同じでしょ。
 仏教だって、インド土着のヒンズー教の神々を取り込んでいるもの。
 それにしても、イスラム教がユダヤ教やキリスト教を全面的に否定しているのではないことは、いいことだと思うわ。
 3つとも、同じ神様なんだから、もう少し、お互いに仲良くできないものかしら?」

「ま、神様も必ずしも先の見通しが立たないということかのう。
 旧約聖書の『創世記』に出てくるのアダムとイブやノアも、そうだな。
 (神様が創り出した人間が堕落して)失敗したので、アダムとイブは、楽園から追放されるし、善人ノアとその家族や動物などは、助けられたが、のこりは、見殺しだ。
 もっとも、楽園追放がないと、人間の歴史が始まらないからな(はじまらないと終わりだぞ)」

「えーと、イスラム教の話に戻すわよ。
 広辞苑では、イスラム教の特徴を『五行六信』と書いているわ。
 五行とは、上の表の義務に書かれている、信仰を告白する、礼拝を行うなどの5つの行為ね。
 前節で取り上げた池上彰さんのニュース解説では、一般に、スンニ派の礼拝は、日に6回、シーア派は、3回(これより多くてもよい)だそうね。
 断食は、ニュースでよく見るので、あたしも知っていたけど、ラマダン(断食月:イスラム暦=ヒジュラ暦の9月)期間中の日中の飲食の制限ね。
 イスラム暦は、純粋の陰暦(月の満ち欠けのみに基づく暦なので、現在の太陽暦と毎年11日程度ずれてしまう。(『月と暦』(2013年8月のご挨拶)を参照)
 もちろん、ラマダンでも、日没後は、食事などはできるんだけど。(子ども、病人、妊婦さんなどは、断食を免除される)
 そういえば、大相撲の『大砂嵐』関(エジプト)が本場所とラマダンが重なって大変だというニュースが流れたことがあったわね。水も飲めないとは、驚きよ。
 六信の方は、上の表と少し表現が異なるけど、同じなのかな。
 唯一神(アラーの神)、天使、コーラン、預言者、終末と来世、定命(運命)の6つを信じることだそうよ」

「こう書いてみる限りでは、キリスト教との間で項目に大きな違いはないように思うな。
 もちろん、根本とする経典が違うことは、たしかじゃがな。
 ところで、この最後の『定命』というのは、どのような意味じゃろうな」

「神の御心のままに、という意味だと思うわ。
 人事を尽くして天命を待つ、ということなのかしら」

「来世を信じる点も同じじゃな。
 仏教でも来世、すなわち、地獄や極楽に対する関心が盛んだったのは、平安から戦国時代にかけてじゃった。地獄、極楽へは、個別の人毎に分別されるという考えじゃが、最後の審判的なものは、ない。強いて言えば、56億7千万年後に弥勒菩薩がすべての衆生を済度されるという弥勒信仰がそれにあたるかのう。
 もっとも、現代の日本では、仏教に限らず、来世信仰がどの程度、説得力があるかは、疑問じゃがの」

「でしょ。
 イスラム原理主義者のテロリスト達は、本当に天国に行けると思っているのかしら?」

「仮に行けるとしても、テロリストの行く場所は、地獄しかあるまいにのう」
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(2)終わりにあたって

 今回もご覧いただきありがとうございました。
   パソコン教室開設時から、みなさまにお願いしていましたが、政治、宗教について、私は、説くつもりもなければ、説かれる気持ちもないことです。
   ここにあらためて、お断り申し上げます。また、本欄で述べたことは、最初にお断り申し上げましたように私見です。
   ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
   さて、8月と9月と二ヶ月のお休みになりました。10月に入り、日増しに秋らしい天候になってきました。
   どうぞ、皆様、ご自愛くださいますようお願い申し上げます。
   2017年4月で、Windows VISTA に対するマイクロソフト社の延長サポートが終了しました。
   また、今月、Office 2007 に対するサポートも終了します。

   インターネットに接続してお使いの方は、セキュリティが厳しい状態になりますので、最新版等への乗り換えをご検討ください。
   では、次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
   ※旧ドメインは、2017/6/1で閉鎖いたしました。お気に入り、スタートページ等の変更をお願い申し上げます。
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 更新日 2017/10/5 一部画像の追加等 2017/10/7、誤字を訂正 2019/1/20

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