会員の皆様へ(2013年8月のご挨拶)

月と暦

目次

 夏の月
 
 アポロ11号
 手作り礼賛しすぎでは?
 終わりにあたって

夏の月

「夏は、夜。月の頃は更なり・・」

「出ましたな。
お化け、じゃなかった。ともちゃん」

「失礼ね。
あたし、清少納言よ。今どきなら、『夏は夜よね。月の頃はモチロン!』というところ・・。
なんちゃって、これは、橋本治先生の「桃尻語訳 枕草子」(河出書房)の丸写しだけど」

「ま、京都は、盆地じゃからな。
昔も、夏は蒸し暑かったろう。
夏は、夜、という感覚も分かるような気がするのう」

「台湾やタイなど東南アジアの国々で、夜遅くまで、屋台なんかが開いていて賑わっているのも分かるなあ」

「ともちゃんは、花、いや、月よりだんごの方じゃろうて」

「ガ~ン!
それはそうかもしれないけど・・
ところで、夏というと、今は、6月~8月だけど、平安時代は、旧暦だから、いつ頃なのかしら?」
目次に戻る

「いやいや、反撃を食らってしまったな。
わしらが、『旧暦』と言っているのは、『こよみのページ』(http://koyomi8.com/)を拝見すると、最後の太陰太陽暦である『天保暦』(1844年~1872年)をベースにしているそうな。(公的な暦ではないので、そうしなければならないと言うわけでも無い)
Webの編者さんが書かれているように、たった30年の使用にも満たない天保暦を(こっそりと150年も)延長して使っているのが、いわゆる『旧暦』じゃ。
ベースというのは、この『旧暦』がまったく『天保暦』とイコールではないとの意味じゃ。その理由は、天体の位置計算や経度などの数値は、現代のものを用いているためという。
(2033年~2034年の『旧暦』では、10月が無くなってしまう(可能性がある)。これが『旧暦の2033年問題』とのこと。知らんかったなあ)
それ以前に使われていた『寛政暦』(1798年~1843年)をむしろ改悪したものになっているとのことじゃ。
一方、平安時代(794年~1185年)には、『宣命暦』(862年~1685年)が使われていたのだ。
ところで、前述のページで計算してみると、2013/8/1は、旧暦の6/25となる」

「あー。
『宣命暦』って、『天地明察』(沖方丁:角川書店)の映画に出てきてるじゃない!」

「映画は、2012/9の角川/松竹映画(監督=滝田洋二郎:出演=岡田准一、宮崎あおい他)じゃな。
映画の脚本と原作・史実は、一部異なるところもあるようじゃが、宣命暦は、実に、800年近く使われていたので、暦の冬至と観測による冬至との間に2日程度の差が出来てしまっていた。そのため、日食などの予測に失敗するなど、あきらかに、改暦の必要性が痛感されていたというあたりは、史実だそうだ」

「へー。
しかし、800年近くも、どうしてほっといたのかな?」

「遣唐使と関係があるらしい。
遣唐使の制度は、630年~894年まで、行われていて、中国から暦をはじめとする様々な文物を持ち帰っていた。
ところが、遣唐使が廃止されてしまうと、暦も輸入できなくなり、かといって、日本で独自に製作することも出来ずに、宣命暦がそのまま使われていたということらしい」

「でも、遣唐使船でなくても、交易などのための船の行き来は、あったんだから、新しいヤツをもらってくればいいんじゃない」

「まったく、そのとおりなんじゃが、映画でも出てくるように、暦の編纂は、朝廷の権限で行われていたとのこと。
貞享暦(じょうきょうれき)への改暦は、幕府が初めて行ったという意味でも、画期的じゃったというのだ」

「なるほど。
朝廷での暦の編纂は、『陰陽寮』に属する『陰陽師』が取り仕切っていたので、一事が万事、前例主義なんだな」

「そのとおりでおじゃるな。
古の事を尊ぶのが公家社会じゃよって、新しきことは、常に悪しきことでおじゃる」

「そうはいっても、幕府だって、前例踏襲主義だったんじゃない。
空を飛ぼうとした人を罰したり、町奉行所の仕事だって、同じような事件が過去になかったかを調べて、それを基にして今の事件を裁いていたということだもの」

「そういう意味では、現代の官庁も、同じところもあるかも知れんな。
前例にならった方が、何か不具合があっても、自分や自分の部所の責任にならんからな」

「つまり、大切なことは、暦そのものよりも、暦の作り方を考えることよね」

「そう。暦とは何なのかを考えることじゃ。
それに、中国から借りてきても、映画でも出てくるように、暦には、緯度だけでなく、経度も関わってくる。中国と日本(現在は、東経135度の明石。新暦以前は、京都が計算の基礎となっていたそうだ)では、経度も違っているので、微妙な差異が生ずるのでな。
前に戻ると、暦の目的は、季節の変動を予想すること。すなわち、いつ種まきをしたらよいか、いつ大雨が降るのかなどを予め予想することじゃ」

「つまり、太陽の運行を基にすれば、よいということね。
太陰太陽暦では、そこに月の満ち欠けも織り込もうとするから、ややこしくなってしまうのね」

「そのとおり。
純粋の『陰暦』は、文字通り、月の満ち欠け(29.530589・・平均太陽日)だけを基にしているので、1年を12ヶ月(30日と31日を交互)と固定すると、約16年ほどで、6ヶ月の誤差が出る。すなわち、冬と夏の月の名称が逆になってしまうことが分かる。月の初めは、新月から新月までを1ヶ月と置くのじゃな。
イスラム諸国で宗教行事などを決めるのに使われている『イスラム暦』(ヒジュラ暦)は、この(太)陰暦だ。
(1年が11日(西暦が閏年では12日)、西暦よりも短くなっていく。イスラム暦の月は、季節とずれていってしまうので、農作業などのカレンダーとしては、不向きじゃ。
また、イスラム暦の1日は、(西暦での)前日の日没から当日の日没までというように、区切り方も異なっているそうな。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Mid_e/koyomi.html)
ここで、平均太陽日とは、地球が太陽の回りを回る(公転)のに要する時間を地球の自転に要する時間(24時間)で割ったものじゃ。
なんで、平均かというと、地球の軌道は、楕円軌道なので、公転速度は、正確には、遠日点(冬至)で遅く、近日点(夏至)で速いのだ。
そのため、(赤道上で)太陽が南中してから次の南中までを1日と数えると、冬至の頃の1日は、長く、夏至の頃は、短い。
しかし、これでは、不便なので、太陽を中心として真円軌道を1年(365.24219・・日)で公転する仮想的な地球を考えて、その1日を平均太陽日(現在はこれと異なる定義だが)とよぶのじゃな」

「なるほど、そこで、太陰太陽暦では、閏月を入れて、調整しようとする訳ね」

「そう。
太陰暦であるイスラム暦でも、30年に11回の閏年があるそうじゃが、太陽と合わせるためではなく、新月の開始日を調整するためということじゃ。
一方、太陰太陽暦では、閏月を入れて、太陽暦と調整しようとする。しかし、元々割り切れない数字同士なので、どうしても、ピッタリとはいかず、長年にわたると、誤差が積もってしまう」

「そこで、改暦が必要となるのね。
今の暦でも改暦が必要となるのかしら」

「今の暦は、『グレゴリオ暦』(グレゴリウス暦)と呼ばれるもので、1582年から使われているそうな。
それ以前は、『ユリウス暦』というものじゃった。
※西暦の改暦は、「年の表記方法(和暦と歴史、六十干支、西暦の改暦他)」(ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦)(2018/3)をご参照ください。
ちなみに、グレゴリウス(13世)とは、改暦当時のローマ教皇(今のローマ法王)なのじゃな。
そういう意味では、キリスト教に都合のよいように作られたものではある。
さて、1年が前述のように、365.24219・・日なので、端数がある。
そこで、西暦を4で割り切れる年を閏年、すなわち2月に1日を加算して29日の閏月とする。
一方、4で割り切れて、かつ、100で割り切れる年は、平年、さらに、400で割り切れる年は、閏年とする、という規則を定める。
すなわち、端数の0.24219・・≒1/4+a/100+b/400、と置いたとき、b=0とすると、a=-0.781となるので、整数とするためには、a=-1とする。
こうすると、b=0.876となるので、b=1と置いて、0.24219・・≒1/4-1/100+1/400、と近似していることになる。
この絶対誤差は、約0.00031となるので、これが1日となるのは、約3200年が必要ということじゃ。
もちろん、例えば、c/3200のような項を追加すれば、c=-0.992となるので、c=-1と置いて、絶対誤差を2.5×10-6、とさらに小さくすることは可能だ。
こうすれば、理論上は、40万年で1日の誤差となるものの、そもそも地軸の傾きの変化(歳差運動)の周期が約2万6千年であるので、そこまでの精度は意味が無い」

「うん。
確かに、そういう感じなんだけな。
ウィキなどでも、大体同じ数字(3200年)が出ているんだけど、Excelで計算してみると、少し違ってくるのね。
累積誤差が1日を超える年が、ときどき、出てきてしまうわ」

「う~ん。情けないが、今回は、時間切れじゃな。
それは、宿題とさせてもらおう」
目次に戻る

アポロ11号

「月と言えば、アポロ11号のニール・アームストロング船長が、月面の『静かの海』に降りたのが1969年7月20日じゃった。
アームストロング氏は、2012年に亡くなられたのう。
 西山千さん(2007年逝去)の同時通訳で、NHKのテレビ中継を見たのは、なんと、44年前ということになるのか」

「当然、あたしも生まれてなかった(という設定だ)ものね」

「手に汗を握る、とか、固唾をのむ、という言葉が、このときほど、実感をもって感じられたことはなかったのう。
アポロ11号の一挙一足に日本中、いや、世界中が注目していたのだな」

「そこで、『一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である』という言葉が話されたのね」

「そうじゃな。
『That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind』
(NASA:http://www.hq.nasa.gov/alsj/a11/a11.step.html)
とは、言うても、当時、通信も不明瞭なところがあったし、同時通訳の西山さん達も苦労された。
確か、男にとっては、小さな一歩だが、のように最初、訳されたように記憶している。
上の(a)の部分は、ほとんど発音されていないようで、アームストロング船長の頭の中で、このように話すつもりだったということのようだな。
じゃが、最終的には、上のような文章と意味ということに落ち着いた」

「しかし、NASAのこのウエブサイトを見ると、情報の量と質に圧倒されるわね」

「まったくな。
歴史的な資料や情報の集積と提供に対する認識では、日本も学ぶべき点が、まだまだ、多いことが分かるのう」

「YouTUBEにNHKの実況中継の動画がアップされていたわ」

「なるほど、これは、懐かしいな。白黒放送の時代だもんな。
http://www.youtube.com/watch?v=x_W8gp8gBTY
鈴木健二アナウンサーの司会で、地球物理学の竹内 均先生、薬師寺の高田好胤師、俳句の中村汀女氏、デザイナーの森英恵氏などが出席されているようだな」

「鈴木健二氏、森英恵さんは、存命だけど、他のみなさんは、多くが故人となっているわね」

「もはや死語かもしれんが『文化人』という言葉が広く使われていた時代だからのう。
鈴木アナウンサーと竹内先生以外の人達は、いわゆる『文化人』と呼ばれていた人達じゃな。
今なら、コメンテーター(昔は『評論家』、『解説者』と言われていたが最近は、こっちが多いのう)とかお笑いタレントなどが出ているかもな。
出席されている人達が初々しいことにも驚く」

「月に人間が行くということが、宇宙というフロンティアへの第1歩だという意識が濃厚だったのね」

「ヒマラヤの山々も登られ、南極探検も行われた。
残された秘境は、宇宙と深海だ、という意識が強かったと思われる。
とはいえ、日本的だなと感じるのは、月に人間が行ってしまうと、月が持つ情緒が変わってしまうのではないか、という視点があったことだな」

「いわゆる『雪月花』の精神ね。
月を読んだ和歌や俳句も多いわ」
目次に戻る

手作り礼賛しすぎでは?

「お菓子話や物語りなどで、手作りを必要以上に称えてしまっているテレビ番組が増えたような」

「お菓子話は、お菓子作りの工程を紹介する番組ね、物語りは、もの作りを取り上げた番組ということよ。
 確かに、東日本大震災で、科学への疑念が高まった影響があると思うわ。
 『全部手で作っています』、とか、『なんと!手作りで』みたいな」

「特に出演者が番組の意をくんでいるのかもしれんが、大仰に感動してしまうのでな。
 手作業そのものが貴いのではなくて、現在のところ、手作業でしか出来ないのだ、それは、・・・のためである、という疑問を持つ意識が番組関係者に欲しいけどな」
「ホント。その「・・・」が大切だと思うわ。
箱詰めみたいなことでも、一つ一つ、丁寧に手で詰めています、なんて、説明があると、『ほほー』と一様に感心したりして。
なんか、ちょっとバカみたい」

「一方、機械でここまで出来るのだ、という番組もあったりするのでな。
 こちらはこちらで、機械でやっているのがすごいだろう、という意識が過剰気味のものも見受けられるな」

「いずれにしても、作業の工程が機械か、人手かということよりも、それが品物の本質にどう関わっているか、という視点が肝心だと思うわ。
 例えば、まんじゅう製造機は、すごいけど、それで作ると、かしわ餅も、おまんじゅうの形になってしまうのが残念!。
だけど、ここの、かしわ餅は、二つ折りの昔ながらの、かしわ餅の形で、しかも、機械で作っているんです、みたいな番組が見たいのにね」

「かしわ餅の本質は何か、ということじゃな。
 形か中身か、何が、本質なのか」
目次に戻る

終わりにあたって

 今回もご覧いただき、ありがとうございました。
  また、次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
目次に戻る

作成日 2013/8/1、目次を追加 2019/5/5

前回のご挨拶に戻る今月のご挨拶に戻る次回のご挨拶に進む