2017年12月のご挨拶

今年の漢字は「忘」か?

目次

 忘却とは忘れ去ることなり
  注1 戦後まもない頃のラジオ番組の一例
  注2 放送局の録音機材
 忘れる(1) 『おのずと記憶がなくなる』 
 忘れる(2) 『思い出せないでいる』
 忘れる(3) 『うっかりして物を置いたままにする』
 忘れる(4) 『うっかりしてすべきことをしないままにする』
 忘れる(5) 『他に心が移り、それが意識されなくなる』
 忘れる(6) 『記憶がないふりをする』
 終わりにあたって

忘却とは忘れ去ることなり

「ぼうーとしていると、すぐ一年が経ってしまうのう」

「今年も、12月のご挨拶は、恒例の「今年の漢字は○か?」ね」

「ともちゃん、ことし、一年、ご苦労様じゃった。
 来年もよろしくな。
 『君の名は』の冒頭、『忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ』とナレーションが流れたそうだ」

「映画ね。
 2016年に大ヒットしたアニメ 『君の名は。』ではないので、若い読者のみなさん、よろしくです」

「いやいや、映画の前があるんじゃよ。
 それが、NHKラジオで放送された連続放送劇、菊田一夫 作 『君の名は』(1952年(昭和27年)4月~1954年(昭和29年)4月)だ。
 ウィキによると、毎週木曜日、(夜の)8時半から9時までの30分間の放送だったとのことじゃ」

「へー、そうなの。
 ちなみに、映画は、大映が製作したとあるわ。
 第1部 1953年(昭和28年)9月15日公開、第2部 1953年(昭和28年)12月1日公開、第3部 1954年(昭和29年)4月27日公開。
 いずれも、大ヒットしたそうね」

「わしは、幼かったので、ラジオや映画の話は、後日知ったがの。
 当時のラジオ放送は、レコードを利用する以外は、ほとんど生放送じゃったようだ。
 つまり、放送の現場で録音・再生が十分にできる環境が整っていなかったと思われる。
 そのため、生放送では、声優、歌手、演奏者の方々は、マイクの前にいる必要があった。
 だから、当時のラジオ番組は、音楽が多かったと思う。※1

 『君の名』がヒットしたので、放送後も、上述の『忘却とは忘れ去ることなり・・』という部分を耳にすることがあったのかも知れん。
 なんとなくじゃが、聞き覚えがあるんだな。ラジオのナレーションは、ウィキによれば、来宮良子さん(1931年~2013年)。
 一方、テレビでは、過去に4回、放送されたという。
 例の『テレビドラマデータベース』(http://www.tvdrama-db.com/)で調べて見た。
 『君の名は』というタイトルで2017/11までに放映されたTVドラマは、次の4件じゃった。
 ・ 1962年(昭和37年)10月~1963年(昭和38年)4月:CX局、津川雅彦、北林早苗他、
 ・ 1966年(昭和41年)5月~1967年(昭和42年)1月:NTV局、伊藤孝雄、萩 玲子他、
 ・ 1976年(昭和51年)10月~1976年(昭和51年)12月:NET局、古谷一行、酒井和歌子他、
 ・ 1991年(平成3年)4月~1992年(平成4年)4月:NHK局、鈴木京香他、

 この4番目は、NHKの朝の連続テレビ小説(第46作:1年間放送)だったのでよう覚えておる」

「はー。
 戦後まもなくの頃は、放送局では、録音・再生機が十分には実用化されていなかったのね。
 1945年(昭和20年)8月15日前夜に皇居で起きた(昭和)天皇の『玉音放送』を録音した玉音盤の争奪事件があったばかりだものね。
 えーと、テープレコーダーは、いつ頃から、日本の放送で使われるようになったのかしら?」

「テープレコーダーが世に現れる前、
 蝋(ろう)盤・蝋(ろう)管を利用した『ディクタフォーン』、
 金属線を利用した『ワイヤーレコーダー』、
 という録音・再生装置があったようだ。※2
 
たとえば、推理小説『Xの悲劇』(エラリイ・クイーン著:田村 隆一訳:角川文庫)は、1932年(昭和7年)にアメリカで発表されたが、この中に登場しておる。
 作中、弁護士のライマンと探偵役のドルリー・レーンが会話している場面、
 『「少しお待ちを、少しお待ちを!」とライマンは、棚のところに走って行き、奇妙な器械を持って急いで戻って来た。
 「ディクタフォーンです。--すっかり話してください。一晩中研究して、翌朝には、公判で頑張ってみます」
 ライマンは机の引き出しから黒いワックス・シリンダーを取り出すと、器械に取り付けて、マイクをレーンに手渡した。
 レーンは、おだやかにディクタフォーンに向かって話し出した・・・

 上記で、ワックス・シリンダーは、円筒状の蝋管と思われるが、1930年頃のアメリカの事務所等で使われていたことが分かる。
 こちらに、ディクタフォーンの写真があります。⇒ http://core.kyoto3.jp/ 
 このような録音機の起源は、かの『トーマス・エジソン』(1847年~1931年)まで遡るのじゃが、あまりに本題から外れるじゃろう。
 録音機に関しては、『・コンピュータ事始め』シリーズで取り上げることにしよう」
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※1 戦後間もない頃のラジオ番組の一例
 読売新聞の復刻版のラジオ欄より。 なお、○は、不鮮明で読み取り難い文字を表す。
 ある日のラジオ番組、(まだ、民間の放送局はなかった) 

NHKラジオ第1放送
6:30 基礎英語
7:15 市民の時間
7:30 朝の歌
7:45 朝の訪問
8:00 レコード(シュバイツァー)
8:45 歌のおばさん(安西愛子)
9:15 弁当の注意
9:30 独唱
9:45 学校新聞
10:00 あじさいとかたつむり
10:10 蛍の光
10:20 私とは何か
10:40 子どもへの音楽
11:00 結婚の幸福
0:15 ○○ニュース
1:00 子供の○○
2:00 音楽
2:30 義太夫
3:15 梅○と結○
3:30 新しい教師
4:00 三色すみれ
4:45 歌(日立多賀工場合唱団)
5:15 童謡集(すみれ児童合唱音楽団)
5:30 鐘の鳴る丘
5:45 音楽
6:00 英語
6:25 明日の食糧
6:45 向う三軒両隣
7:20 ラジオ歌謡
7:30 上方演芸会
8:00 シンフォニホール
9:00 ニュース解説
9:15 えりこと共に
9:45 スポーツだより
10:00 小説「瀬戸の民○」(再生) 
 新聞の時刻表記が12時間制(0時が正午)なので、8:00 だと午前、午後のいずれなのか不明。
 ちなみにウィキの『君の名は』中、放送が毎週木曜 8:30~9:00、とあるのは、夜の時間と思われる。
 これは、放送中、女湯がガラガラとなると言われたことから推測した。
 同様に、「鐘の鳴る丘」(菊田一夫 作)や「向う三軒両隣」は、当時の人気ドラマである。
 繰り返しになるが、ドラマ以外は、朗読を除くと、独唱や合唱、邦楽、クラシックなど音楽の番組が多い。
 これは、耳で聞くというラジオの特性上、ある意味、当然のことではある。
 また、意外なことにニュースや天気予報が少ない。(番組表に明記されていないだけかも知れない)
 なお、夜の10:00 小説「瀬戸の・・」に「(再生)」とかっこで注意書きがある。過去の番組を録音したものを再生したのではないかと思われる。
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※2 放送局の録音機材
 DENON(旧 日本コロンビア)のホームページに「オーディオの100年の歴史」というものがあった。
 https://www.denon.jp/jp/museum/index.html
 上記には、1930年代、レコード会社では、大型の蝋盤を用いたレコードの制作が行われていたことが記載されている。
 ただし、そのような大型の機材は、放送現場では、使用に堪えず、小型化が求められていた。
 昭和15年(1940年)の幻の東京オリンピック(戦争で中止)に向けて、小型機の開発が進められ、輸入品の性能を凌駕するため、NHKより発注されたとある。
 ちなみに、「円盤録音機」に関する記事で、同社製の機械が先に挙げた『玉音盤』の作成に使われたようじゃ。
 同社のページの一部を要約すると、
 
(1945年の終戦時)『玉音盤の記録に使われた機械は、(DENON製の)DP-17-K 可搬型録音再生機である。
 記録に使ったセルロース製の円盤は、同じくDENON製である。
 当時の円盤は一枚で3分しか記録できなかった為に、玉音放送の5分の内容を、前半部、後半部の2枚に分けて記録し、再生された。
 天皇陛下が(朗読した)録音自体は2回行われ、実際の放送には、2回目の録音盤が使用されたそうである。

 なお、ドキュメンタリー、大宅壮一 編 「日本のいちばん長い日」(角川文庫)では、この録音場面を含む終戦直前の混沌とした政情が描かれている。
 これは、東宝により同名の映画が製作されている。
 また、1980年(昭和55年)2月にTBSより、テレビドラマとして、放送もされた。

 ところで、終戦直後、ラジオは、NHKのみであったが、民間の放送局として『ラジオ東京』が誕生した。
 上記の記事には、
 『昭和26年(1951年)に最初の民放「ラジオ東京」が開局。
 28年頃までは製造体制の十分でない国産テープ録音機を待てず、高価な米国からの輸入品に頼る一方、円盤はアクセスの容易さを特長にニュース、効果音、コマーシャルに使われた。
』とある。
 このような円盤形録音機は、テープ型録音機の進出により、昭和26年(1951年)~昭和28年頃に終わりを迎えることになった。 
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忘れる(1)

「広辞苑 第6版によると、『忘れる』の語釈として、『おのずと記憶がなくなる』が最初に記載されている。
 考えてみれば、記憶とは、不思議なもので、自分が見聞きしたことも自然に忘れていくようにできておるのじゃな」

「おのずととは、自然にということなのね。
 無理に忘れようとしなくても、徐々に時間の経過と共に忘れていく」

「ま、これが、普通の意味で、忘れる、ということかの。
 とは言え、一度忘れた状態でも、他人に言われたり、本やメモを見たりして、それを思い出すこともある」

「全部を思い出すこともあるし、部分的にしか思い出せないこともあるわね。
 さらには、本当に思い出せない場合もあるでしょう。
 たとえば、赤ちゃんの頃のことなどは、親に言われても、まったく思い出せないことも多いわ。
 少し大きくなった幼稚園の頃の記憶もあいまいだし」

「たしかにな。
 
 デジタルデータであれば、残っているか、消えているか、の2通りだろうが。
 人間の忘れるは、消える、というより、ぼやけていく、というのに近いのではないか。
 小さい頃のことを記憶していると思っても、当時の写真を繰り返し見て、ぼやけていた部分がはっきりし、覚えていると錯覚している節もある。
 左の写真は、わしが幼稚園の頃、さるかに合戦の臼(うす)役をしている場面。
 写真があっても、まったく記憶無しじゃ。
 写真に撮られていない内容など、覚えておらんことも多いじゃろう」

「そういう意味では、大人になっても、昨日、自分が見聞きしたすべてを完全に覚えている訳ではないわ」

「カメラ脳、あるいは、カメラアイ、と言われる脳の持ち主でない限り、見たものをそのまま写真のように記憶しておくことは、難しい。
 わしも含めて、たいていの方は、瞬間毎に、対象をはっきりと見ているが、視線を外すか、あるいは、対象が動いたりすれば、たちまち、描像は、あいまいになってしまう。
 また、視界に入っていても、対象以外は、記憶には、あまり残らない。
 時間と場所を比較すると、時間の方が、より早く曖昧になるように思う。
 なお、相手の話に集中していると、特に関心がない要素、たとえば、服の模様や色、髪型、ネクタイなど、記憶されにくい。
 たとえば、最近、たまたま用事があって郵便局の窓口に行ってきたんじゃ。
 応対してくれた局員さんは、どんな人だったかと、翌日に聞かれても困る。
 わしが初めて見かけた中年の女性の方だったことは、覚えているがの」

「私もそんなもんよ。
 と言っても、ロボットじゃないんだから、連続して撮影して保存しておくことは、できないでしょ。
 あるいは、誰からかまわず、いきなりカメラを向けたら、かなりの不審者だし、隠し撮りしたら、警察を呼ばれそうね」

「まったくじゃ。
 記憶の仕組みが解明されれば、記憶しておくことと、忘れることをもっとうまく使い分けできるようになるかも知れない」 
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忘れる(2)

「広辞苑で、『忘れる』の語釈の2つめが『思い出せないでいる。心にのぼせないでいる』じゃった。
 忘れるを否定して使う言い方かな。
 『あなたのことをいかにして忘れようか(いや、決して忘れるものではない)』、
 『真の登山家とは、このような用意を忘れざる者をいう。』のようにな」

「意識下では忘れている(と思っている)けど、無意識下では、ちゃんと覚えているということでしょう」

「お、なるほど。
 分かりやすい説明じゃ。
 最近、高齢ドライバーの方のブレーキとアクセルの踏み間違い事故が増えている。
 そういう方の事故原因は、慌てたときなどに、無意識下の記憶が乱されてしまうからかのう」 

「車の運転を習い覚えたての頃は、意識して、運転操作をするので、間違えないものの、タイミングが遅れる、疲れたわ。
 でも、慣れるに従って、意識しなくても、操作できるようになったので、タイミングも合うし、疲れにくくなった」

「それが、いわゆる『体が覚えた』という状態じゃな。
 体が、と言っておるが、実際は、脳内の記憶が強化されて、目や耳から入る情報の処理に手間取らずに、手足を動かすことができてくるのだと思う。
 個人差はあっても、練習により、上達するじゃろう。
 しかし、認知症などを患った場合、目や耳から普段と違う信号が入ってきたとき、踏み間違えなどを引き起こす」

「でも、ピアノやオルガンでは、両手を別々に動かす必要があるけど、できなかったり、水泳の平泳ぎでも、手足が同じ動きになってしまう。
 こんなふうに、練習しても、なかなか、できないこともあるし、どうがんばってもできない方もいるわね」

「たしかにな。
 わしも、スポーツが子供の頃から苦手じゃった。
 下の写真は、大学の頃、体育の補講で水泳の合宿に参加したときのもの。泳げない人達のグループ。
 左端は、体育の先生。
 ちなみに、1日目は、まったく泳げなかったが、その夜に、宿舎の大広間で水泳の教育用ビデオの映写があった。
 クロールの息継ぎの様子をスロー映像として、見たのは、大変参考になった。
 翌日以降、クロールの息継ぎや背泳ぎは、なんとか、まねできるようになった。
 しかし、平泳ぎはできんかったな。

 このように、音楽やスポーツは、特定の方法を脳で理解し、記憶したからといって、直ちに手足を自由にコントロールできるとは限らない。
 体を動かす場合、意識して動かしても実際の動きまでに時間遅れがあり、各部の重量による慣性もあるので、どの程度の力と方向を変化させていくか、判断が難しい。
 日常的な動作、たとえば、『ボトルからコップに水を注ぐ』場合は、目や耳から入る手足の運動の様子などを観察して、手に加える力や方向にフィードバックする。
 小さい子供は、初めてではうまくいかないが、何回かやっているうちに上達する。
 大人は、過去の経験から判断して、多少、ボトルの大きさや高さに違いがあっても、うまくできるじゃろう。
 しかし、音楽やスポーツのように、体の素早い動きを要求された場合は、自己観察とそれによるフィードバックが間に合わずに、自分がどのように動作しているかも把握できなくなるのじゃな。
 そこで、前述のように、スロー再生を見たり、地上等でゆっくりと手足を動かして確認したりすると、脳の比較的緩やかに結合した部分同士の連携プレーが徐々に確立して、実際の速さに対応できるようになるのではないかと思う」

「自転車に乗るのやゴルフのスイングなどもそうでしょうね。
 自分のスイングをビデオで見返したり、上手な方に悪いところを指摘してもらったり。
 あるいは、プロに教えてもらうと、やはり、早く上達するというからね。
 ま、それでも、進歩に個人差があるのは、仕方がないでしょう。
 だから、子供向けの水泳教室や体操教室がはやるのね」

「わしは、ゴルフは、やったことがないが、自転車は、子供の頃、やはり最初、ずいぶんと苦労した。
 下写真は、まだ、乗れないで練習を始める頃のわしだ。
 
 親に教えてもらったが、なかなかできず、近所の友達に教わって、なんとか乗れるようになったが、高校に上がる頃から、乗らなくなってしまった。
 ずっと後に、会社で山中湖に旅行に行った際、久々に乗ったが、対向車が来ないとなんとか乗れた。
 しかし、反対側から自転車が来るとハンドルがぐらついてしまった。
 長く乗らないと、感覚が戻るまで、時間がかかることが分かったのう。
 さて、スポーツとは異なるが、母国語以外の外国語の習得も似たような状況だと思う。
 家族で外国に出張なり、移住した場合、小さい子供さんほど、現地の言葉を早く習得してしまう。
 外国語の上達は、相手の発音した言葉を口まねすることで可能となる。
 耳から聞いた音にできるだけ似た音を出せないと、これは、できない。
 このため、記憶に残る発音と自分の発音を比較して、声帯の筋肉の動きにフィードバックしていかないとな」

「ヒアリングそのものが難しいよね」

「意味は分からなくてもいいので、ひとかたまりの音として、一時記憶できるかどうかじゃな。
 日本人が英語が上達しにくい理由は、ネイティブの話す英語の(音の)周波数が日本語よりも幅広く、かつ、高い周波数があることがその一つと言われている。
 また、音の強弱の変化が大きく、ほとんど発音されない音もある。
 日本語は、関東や関西などの違いで、単語の抑揚(イントネーション)の違いは、あっても、音の強弱の変化は、あまりない。
 すなわち、日本語は、英語に比して、強弱について、平板じゃ。
 なので、英語のネイティブ(特に女性)の方が普通の速さで話した場合、こちらは『・・・・』となって、聞き取れない。
 聞き取れないのでは、そもそも、まねして発音できるはずもないじゃろう。
 例を挙げよう。
 英文の英語的読み:eigosound.mp3
 英文の日本人的読み上げ:eigonihonyomi.mp3
 日本文の日本人読み:japanesesound.mp3
 英文は、次のような文章じゃ。
  It is fine today.
 That is an american car.
 This train is bound for Yoyogi-uehara.
 The next station is Machiya.

 同じように、日本文は、次の通り。
 今日はよいお天気です。
 あれは、アメリカの自動車です。
 この電車は、代々木上原行きです。
 次の停車駅は、町屋です。

 ※文章の後段2行は、地下鉄のアナウンスの一部。
 また、読み上げは、すべて、ジャストシステムの『詠太 6』(日本語=MISAKI、英語=JULIE)による音声じゃ」

「なるほど。一目というか、一聞きで合点です」
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忘れる(3)

「同じく、広辞苑における『忘れる』の語釈の3番目は、『うっかりして物を置いたままにする』ことじゃ」

「これは、電車に傘を忘れた、などと使うことが多いわね」

「これは、次節の『うっかりしてすべきことをしない』の特例とも考えられるじゃろう。
 つまり、電車から持って降りるべき傘を待たないまま降りてしまった、ことを簡単に書くとこうなるんじゃな」

「置き忘れね。
 自宅に財布を忘れた場合にも、(自宅に)財布を忘れたなどと言う。
 あたりまえだけど、『財布』という概念や自分の財布がどんな財布だったかを忘れた訳ではなくてね」

「日本語を機械翻訳する際、『私は、私の傘を電車に置き忘れました」とすれば、次のように正しい英訳を得やすい。
 I left my umbrella on the train. (正)
 これを『私は、私の傘を電車に忘れました』とすると、
 I fogot my umbrella in the train. (誤)、となる場合がある。
 英語では、置き忘れは、leave (過去形=left)を使うそうだ」

「それ以外に『時の経つのを忘れる』の忘れるも、leave だそうよ」

「お、それは、あとで出てくるの。
 leaveの元の意味は、そのままにしておく、固定しておく、ということじゃ」
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忘れる(4)

「更に、広辞苑における『忘れる』の語釈の4番目は、『うっかりしてすべきことをしないままにする』ことじゃ」

「これも、よくあるわね。
 子どもが宿題を忘れる、上司に報告し忘れるなど、いくらでも、ぴったりの用例が浮かぶ」

「幅広く使われる意味じゃな。
 コンピュータなどのファイルでも、保存し忘れ、更新し忘れ、場合によっては、消去し忘れなどに気をつけないといかんじゃろう」
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忘れる(5)

「最後の5番目の語釈は、『他に心が移り、それが意識されなくなる』ことじゃった」

「広辞苑さんの説明にある、『時がたつのを忘れる、痛みを忘れる』などの用例ね」


(上写真は、イメージ)
「子供の頃は、遊びに夢中になって、食事の時間を忘れたり、あたりが暗くなったのに帰る時間を忘れたり、ということがあった。
 大人になるにつれて、だんだんと、時間に縛られるようになってくるな」

「そうね。
 まして、スマホなどに頻繁にメールなどが入ってくれば、目前のことに注意が集中できなくなるわね」

「たまには、スマホなどを身辺から遠ざけて、景色や美術などを楽しんで、しばし、時の経つのを忘れてみるのもよいじゃろう」
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忘れる(6)

「広辞苑に従って、『忘れる』の意味を考えてきた。
 しかし、2017年は、『忘れる』の6番目の語釈として、『記憶がないふりをする』を追加したい事件が多発したな」

「まったくね。
 (1)~(5)までは、意識して、自分や他人を欺いているのではなくて、自然に忘れたか意識に上らない『忘れた』なんだけど。
 この(6)は、記憶しているにもかかわらず、外部に対して、『忘れた』、と臆面もなく言うことね」

「今年は、国会などにおいて、『記憶をなくした』大臣・官僚、『記録をなくした』役所・役人が頻出した。
 これまでも、知らぬ存ぜぬ的な答弁は、あったが、さすがに、おかしいとは、思わんかな。
 答弁者の心情は、まさに、『忘れ得ずして忘れたと答える胸の苦しさよ』とお察しするがの。
 ところで、忘れたを格好よく言うと、『失念した』などとも言う。
 変わった言い方では、少し古いが、『ロッキード事件』(1976年)で、『記憶にございません』が国会で繰り返されて、話題になった。
 今年は、稲田防衛相(当時)が『記憶を精査したが、そのような記憶は、存在しなかった』というような言い回しをしていたのが印象に残った。
 まるで、自分の脳内にデータが詰まっていて、探してみたけれど、その記憶は見つからなかった、というようなビジュアルな説明じゃ」

「あげくは、結果的に事実と違った答弁をしても、『私の記憶では、当時、そう記憶していたので申し上げた』などとまるで他人ごとのように話す始末だったわ。
 さすがに、総理もかばいきれなくなって、交代となったわけだけど」

「自分と自分の記憶を切り離して、自分の記憶を、あたかも他者のように語る話し方が特徴的じゃった。
 『記録を精査する』は、これまで使われてきたが、『記憶を精査する』という使い方は、あまり一般的では、なかったと思う。
 その意味で、稲田氏は、精査するという言葉の新しい使い方を広めたことになった」

「はやり言葉では、2017年前半、『しっかりと』が流行ったわ。
 えらい方が、やたら、『しっかりと・・・』と話したものね。
 思わず、『まずは、あなたがしっかりとなさいな』と突っ込みたかったわ」

「あはは。
 最近は、『安全・安心』、『万全』、『ていねい』、『謙虚』、などがはやり言葉かのう」

 追記 『金額は価格にあらず?』 
 2017年12月の森友問題を巡る国会答弁の中で、政府側から、かなり強引な論法がでました。
 国と学園側との交渉で、入札予定価格についての話題は出なかった、という従来の国側の主張が一部誤りであることを認めた上で、 
 交渉の過程で話に出たのは、金額であって、あくまでも(予定)価格ではない、ということを主張。
 古代中国で『公孫竜』という人が「白馬論」(白馬は馬にあらず)を唱えました。
 なぜなら、白馬は、白いという属性と馬という属性を2つ持つので、馬という一つの属性を持つ馬ではない、という詭弁法です。(広辞苑)

 『金額は価格にあらず』と言う今回の論法は、平成の白馬論とでも言うべき、まさに珍百景でした。

 青字部分は、2017/12/8 に追記しました。
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終わりにあたって

 今回もご覧いただきありがとうございました。
   さて、今年も残すところ、あと一ヶ月となり、寒さも増してきています。
   どうぞ、皆様、ご自愛くださいますようお願い申し上げます。
   2017年4月で、Windows VISTA に対するマイクロソフト社の延長サポートが終了しました。
   また、2017年10月で、Office 2007 に対するサポートも終了しました。

   インターネットに接続してお使いの方は、セキュリティが厳しい状態になりますので、最新版等への乗り換えをご検討ください。
   では、次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
   ※旧ドメインは、2017/6/1で閉鎖いたしました。お気に入り、スタートページ等の変更をお願い申し上げます。
   なお、過去の「今年の漢字は「○」か?」シリーズは、次の通りです。
   よろしければ、併せて、ご笑覧ください。
   2016年12月--「今年の漢字は「怖」か?」
   2015年12月--「今年の漢字は「不」か?」
   2013年11月--「今年の漢字は「謝」か?」
   2005年12月--「今年の漢字は「偽」か?」
   
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 更新日 2017/11/30 追記 2017/12/8、追記 2018/11/13、
「これなあに」のアドレスを修正 2019/8/8

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