(1)目にちなむ表現や諺
(2)百聞は一見にしかず
振り込め詐欺(耳が聞くのではない、脳が聞くのだ)
百聞は一見にしかずの由来(前漢の趙充国さんの話)
魏志倭人伝
(3)百見は一写に及ばず
アドルフ・ベック事件(目が見るのではない、脳が見るのだ)
東京都中央区に残る指紋研究発祥之地の碑
目撃証言の不確かさのイメージ
目撃証言の不確かさの実験例1(石川県警)
目撃証言の不確かさの実験例2(米国 カンザス州立大)
防犯カメラの勧め
埼玉県警の誤認逮捕事件(2018/8/28 追記)
警視庁野方署の誤認逮捕事件(2018/12/22 追記)
愛媛県警松山東署の誤認逮捕事件(2019/8/14、10/16 追記)
(4)目力
見当たり捜査
せん妄(目が見るのではなく、脳が見るのだ)
緑内障による視野欠損(2018/7/5 追記)
(5)終わりにあたって
「目にちなむ表現や諺、熟語の数は、多い。
たとえば、『目が利く』、『目を疑う』、『目の敵にする』、など、多数あるのう」
「たしかに。
目、耳、鼻など、人のからだの部位にちなんだ日本語の表現をちょっと調べて見たわ。
目については、『目が利く』~ 約80 個、(『目鼻がつく』など他の部位を含む)
耳については、『耳が痛い』~ 約20個、
鼻については、『鼻息が荒い』~ 約15個、
いずれも、『日本語便利辞典』(小学館辞典編集部:2004年12月第1刷)による」
「ともちゃん、今月もご苦労さん。
今年の梅雨は、雨が多かった印象だったが、関東・甲信では、6/29 に梅雨が明けてしまった。
気象庁が1951年から(梅雨入り・梅雨明け時期の)統計を取り始めて以来、もっとも、早い梅雨明けとだったとのことじゃ。
真夏の日差しが目にまぶしいのう。
わしが広辞苑(第7版)で『目』の項を調べたところ、『目が合う』から『目を遣る』まで、127の見出しがあった。
このなかには、ともちゃんが言ってくれたように、『目には目を歯には歯を』のように、2つ以上の器官の名前が入るものもある。
ちなみに、その他の体の部位では、『耳』が35種類、『鼻』は、27種類、『口』は、78種類、
『顔』は、29種類、『頭』は、51種類、『手』は、98種類、『足』は、35種類であった。
目は、127であったから、ダントツに多いのう」
「2番目は、『手』、3番目は、『口』だったわね。
多い順に並べると、目>手>口>頭>耳>顔>鼻、という順番だった。
頭と顔は、別にすると、人間にとって、大切な器官の順番のようにも思えるから不思議ね。
犬だったら、口>鼻>目>耳、のような順番かも知れないわ。
なお、おじぃさんやあたしが挙げた数字は、単語や熟語を含んでいない。
『傍目』、『科目』や『一目瞭然』などを含めると、目は、もっと多く現れると思うわ。
目、口、が重要なのは、人間の顔の認識のための大きな要素だからでしょう。
下のイラストをご覧くださいな。
すでに、目が一つでも、顔がなんとなく分かる」
「でましたな、妖怪たまご小僧さん。
多くの動物にとって、目は、外敵から身を守り、食糧を得るために、欠くことができない。
動物以外のもの、たとえば、碁盤の目、編み目、蛇の目、かご目、目地など、様々な物の名前にも、『目』が使われている。
いかに、『目』を大切にしてきたかが分かる。
それだけに、『目』を含んだ語彙が多いのも、納得じゃのう」
「ああ、かご目は、竹で編んだ、ざるなどの目(竹の編み目=すきまなんだけど)ね。
かごには、たくさんの目があるので、魔除けになるのではないかと、竹棹の先に籠をつるして、立てた風習もあったということよ。
『ヒェー、背が高い、ウァー、目、たくさんあるぞ』と、さぞや、鬼もビックリ!(する?)
籠の目の形は、普通、六芒星の形(ダビデの星)、一方、陰陽道の晴明印は、五芒星の形。
いずれも、魔除けの意味を持つと考えられたのでしょう。
あと、まんがの『犬夜叉』(高橋留美子 作)に登場するヒロイン、日暮かごめ、の名前もそこから来ているんでしょう」
「まま、抑えて。
今回は、『目力』というお題のまくらじゃから、これぐらいにしておこう」
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「振り込め詐欺に代表される特殊詐欺の被害が後を絶たない。
これなど、『百聞は一見にしかず』、を被害者の方が心得ていたならば、被害に遭われなかっただろう」
「電話だと、違う人の声が息子さんや娘さんなどの声に聞こえてしまうんでしょう。
ま、明治以前であれば、この犯罪を説明すること自体が難しいわね。
しかし、姿が見えない状態で、声だけを聞いたときは、聞き違えやすい。
『半七捕物帳』にも、そんな話が出てきたような気がするわ」
「記憶では、『三つの声』だったんじゃないかな。他にもあると思うがの。
※ 『半七捕物帳』(四)(岡本綺堂 著:光文社文庫)
ところで、わしなども、夕方、NHKのTV 『シブ5時』を見てから、6過ぎに同局のラジオ 『Nらじ』を聞くことがある。
すると、Nらじの黒崎キャスターの声が、直前に見ていたシブ5時の寺門キャスターの声と同じに聞こえてしまう。
思わず、ホームページでお名前を確認してしまったぐらいじゃ。
更に飛躍すると、ものまねの芸人さんは、顔を本人に似せることが多い。
これは、顔の筋肉を似せることで声が似ることもあるのかも知れない。
しかし、視聴者が映像に無意識に欺されて、芸人さんの声の多少の違いを本人の声と錯覚しやすくなる効果が大きいと思う。
目をつぶって、声だけ聞くと、そんなに似ていない場合もある」
「目に見えなくて、声が聞こえた場合のイメージを書いてみたわ」
「なるほど。
声は、結局のところ、音として耳でその信号がとらえられて、脳に伝わり、分析された上で、言語の場合は、言葉の意味が認識される。
ところが、多少違った音質であっても、この人の声だなと意識的あるいは無意識に感じた場合、あたかもその人の声として『補正されて』しまうのじゃろう。
なので、振り込め詐欺の被害者も、息子さんなりの声だと思った瞬間に、犯人の声が息子さんの声に変換されて認識されてしまうのじゃ。
だから、他人には、どうして、犯人の声を息子さんのものと誤認したのか、理解しがたく感じられるのだ」
「つまり、耳が聞くのではない、脳が聞くのだということね。
なので、声だけで聞き分けるのは、難しい。
従って、振り込め詐欺の被害に遭わないためには、
・ 特殊な話法なり、合い言葉を決めておく。(語尾に、にゃー、を付けるとか)
・ 留守番電話に常時しておく。(たいていの電話機が対応していて、費用がかからない)
・ すこしでも、あやしいと感じたら、まず、電話を切って、こちらから、息子さんなりに確認する。
・ 『発信者番号表示サービス』(ナンバーディスプレイ)を申し込んで、電話機に設定するのがベストね。(NTT東日本では、400円/月)」
「発信者番号表示サービス(ナンバーディスプレイ)について、使い方を補足すると、
・ 発信者番号表示を設定したら、かかってくる可能性が高い親戚なり知人なりの名前と電話番号を登録。(ホワイトリスト)
・ 発信者番号が非通知の電話は受けない設定にしておく。(他の電話機から、184を付けて電話してテスト)
・ ホワイトリストに未登録の電話番号からの着信時には、呼び鈴を鳴らさない設定にする。
・ 不明な着信があったときは、インターネットでかかってきた番号を調べ、迷惑と判断したら、迷惑電話として、電話機に登録。(ブラックリスト)
などを電話機のマニュアルを見ながら、設定しておくことをお勧めする。
※ 最後の『インターネットで調べて・・』は、本人または家族の方が定期的に行う必要がある。
ご本人が設定するのが難しい場合は、ご家族の方等が設定し定期的に確認してあげるとよいじゃろう」
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「『百聞は一見に如かず』の由来を調べて見た。
これは、多くの方がご存じのように、『何度も聞くより、一度実際に自分の目で見る方がまさる』(広辞苑第7版)というような意味じゃ。
(漢文読み下し調の)諺の由来は、古代中国にあるという例に違わず、日本国語大辞典(精選版)によれば、『前漢』の『趙充国』(ちょうじゅうこく)さんの言葉から来ているということじゃ。
趙さんは、ウィキペディアによると、紀元前137年~紀元前52年まで活躍した『前漢』(紀元前202年~紀元後8年:首都は長安)の将軍だそうな。
ことわざの由来を、ウィキペディアの記事を元にごくかいつまんで紹介すると、
『(武帝(紀元前159年~紀元前87年)の時代から歴戦の強者として有名だった)趙将軍が70代という高齢の時に敵国が攻めてきたという。
皇帝が臣下を差し向け、誰を敵に向かわせたら良いかを尋ねたところ、敵の様子を自らが見ないで、対策を進言できないと言って、自らが、出向くことを願い出たという。
その際、『百聞は一見に如かず。兵は遠く離れていては測りがたいものです。・・』と語ったという』逸話が元になったそうだ」
「すごいわね。
2000年以上前の人の言動を、よくぞ、残したものね。
皇帝の治世に関することとは言え、その配下の将軍の言動を後世に伝えようという意思にも感心するわ」
「まったくじゃ。
かの国に比べると、日本人の多くが、今も昔も、薄いと言うか、軽く感じられるのは、歴史を重視しない性分もあるじゃろう。
すぐに過去を水に流して、忘れてしまい勝ちじゃ。
自然災害が多い日本では、一々、過去を背負っていられないので、捨て去って、生きてきた歴史もあるじゃろう。
大災害に遭った者は、『運が悪かった』と諦める。そういう運命観も根底にあるのかも知れん。
一方、中国の場合は、国土が広いため、(通信速度が遅い時代ほど、)統一統治が難しく、群雄割拠になり勝ちだ。
また、周辺とは、陸続きなので、他の地域から侵攻されやすい地形的な問題もある。
そこで、人間が未来を制御するための重要な手段として、過去の歴史とそれに学ぶ戦略を重視してきたと思われる。
これが、中国が歴史を大切にする潜在的な原因ではないかのう。
それにつけても、紀元前の趙 さんの逸話が伝わっていることを、資料や記録を改ざんしたり、隠したりしている、どこかの国の政治家や役人に聞かせたい。
記録を改ざんしたり、削除したりすることは、今の時代の人を欺くだけでなく、後世の人をも欺す行為なんじゃ。
とても、停職3ヶ月ぐらいで、済ますことはできない」
※『森友問題』で財務省の局長が虚偽答弁を繰り返し、自身の答弁と合わない資料の改ざんや削除などを命じていたという。
2018年春に出てきた財務省の報告によるとだが、この報告は、にわかには、信じがたい。
もし、2017年春の国会に改ざん前の文書が提出されていれば、2017年秋の衆議院解散の有無、あるいは、その選挙結果に大きな影響があったと思われる。
こうしたことを野放しにしていた財務大臣の監督責任が厳しく問われるのは、当然だろう。
さらには、こともあろうに、当の局長を国税庁長官に充てるなど、内閣の人事も甚だしく、ゆがんでおった。
これでは、虚偽答弁や改ざんに対する論功行賞と受け取られても、仕方がない。
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「おっと、閑話休題。(あまり、いらいらすると、体に悪いからの)
さて、前節の趙将軍の頃から、400年ほど下るが、有名な『邪馬台国』に関する記事が残る『魏志倭人伝』(中国の正史「三国志」の「魏志(魏書)」にある「東夷伝‐倭」の条の通称。晉の陳寿撰。魚豢(ぎょけん)の「魏略」により、三世紀前半における耶馬台国などの日本の地理、風俗、社会、外交などについてまとまって記した最古のもの)(日本国語大辞典)がある。
上の青字の個所の説明にあるように、『魏志倭人伝』という書物が独立してあるのではなくて、魏の歴史書の中の一節「東夷伝-倭」がそれだ。
実物は、写真版で見ることができるそうで、漢字約2千字程度なんじゃな。
ものすごく長いとは言えないが、短くもない。
倭国の気候、服装、言葉、習慣、動植物等について、結構、細かな叙述も見られる。
一方、はてな?、と思わせる記述もあるようだ。
これは、編纂者が、倭国と他国、たとえば、現在のベトナム、ミャンマー、フィリピンなどと混同していた可能性もあるかも知れない。
考えてみれば、魏にとって、倭国は、朝貢をしてきた夷(古代の中華思想にいう異文化国)の一つに過ぎなかったのじゃから、多少の混同もやむを得んところは、ある。
そのせいかも知れんが、邪馬台国の位置は、(今となっては)謎が多い記述ゆえに、現代まで、多くの人を悩ませてきた。
原因は、当然ながら、編纂した人が直接、見てきたのではなく、何人もの人と時間を隔てて記載したためじゃろう。
もし、編纂者が現地に行かれていれば、その位置は、もっと、分かりやすい記述になっていたじゃろうしな」
「邪馬台国の話が日本の書物に登場するのは、日本書紀からということね。
ウィキペディアによると、『第九 神功皇后摂政三九年、四十年および四十三年の注に「魏志倭人伝」から引用があり』ということなので、
2018年3月の『年の表記方法(和暦と歴史、六十干支、西暦の改暦)』で引用した日本書紀全文検索と日本語の解説サイトを参照してみた。
それによると、第9巻の冒頭と魏志の引用は、次のようだったわ。
えーと、この『気長足姫尊』、キナガアシヒメ、じゃなくて、だってそれじゃ、キイロアシナカバチみたいじゃない。
これは、オキナガタラシヒメノミコト、と読むんだそうで、この人が神功皇后なのよ。
日本書紀 第九巻
『氣長足姬尊 神功皇后
氣長足姬尊、稚日本根子彥大日々天皇之曾孫、氣長宿禰王之女也、母曰葛城高顙媛。足仲彥天皇二年、立爲皇后、幼而聰明叡智、貌容壯麗。父王異焉。
(氣長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)は稚日本根子彦大日々天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト=開化天皇)の曾孫の氣長宿禰王(オキナガスクネノオオキミ)の娘です。母を葛城高顙媛(カツラキノタカヌカヒメ)といいます。足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト=仲哀天皇)の即位2年のときに皇后になりました。幼くして聡明で知恵がありました。容貌が壮麗でした。父の王(=氣長宿禰王のこと)は(娘を)あやしんでいました。)
(中略)(邪馬台国に関する注釈の部分のみを掲げる)
卅九年、是年也太歲己未。
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。
(即位39年。この年、太歲己未でした。
魏志によると、明帝(メイテイ)の景初三年六月に倭の女王が大夫(タイフ)の難斗米(?)などを派遣して、郡(コオリ)に行き、天子に会おうと朝献(チョウケン=中国の朝廷に詣でること)しました。太守の鄧夏(トカ=人名)は吏(リ=役人)を派遣して、京都(ケイト=ここでは洛陽)に詣でました。)
卌年。魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。
(即位40年。 魏志によると、正始(セイシ)の元年に、建忠(ケンチュウ=未詳)校尉(コウイ=文官)梯携(テイイ)たちを派遣して詔書印綬(ユウショインジュ)を奉り、倭国にもたらせました。)
卌三年。魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。
(即位43年。 魏志によると、正始4年、倭王はまた使者の大夫の伊聲者掖耶約(?)たち8人を派遣して(物品を)献上しました。)
原文は、日本書紀全文検索:http://www.seisaku.bz/shoki_index.html による。
訳文は、日本書紀(現代語訳・口語訳の全文:http://nihonsinwa.com/column/poya/2)による。
それにしても、邪馬台国とも卑弥呼とも書いてなくて、倭の女王としか書いてないのね。
大夫の難斗米の名前などは、魏志倭人伝と同じなので、日本書紀の編纂者が魏志を見て、(都合の良い部分を)写したのは、間違いないでしょう。
これでは、新井白石など、後世の人が神功皇后=卑弥呼 説を唱えたくなるのも分かるよね。
けれど、その後の研究で、少なくとも、神功皇后の時代(神功皇后という人がいたかどうかは別にして)は、4世紀より前ではないとされているのね。
このため、今は、神功皇后が卑弥呼ではないということは、大方、理解されているみたい。
じゃあ、卑弥呼って、誰なの? ていうか、邪馬台国は、どこなの?
ところで、魏史では、『耶馬壹国』と書かれていたんでしょ。
後世の人が、壹(壱の旧字体)は、臺(台の旧字体)の書き間違いと主張したので、現代では、すっかり、邪馬台国になってしまったのね」
「日本国語大辞典の説明にあるように、魏志倭人伝を編纂したのは、『西晋』の陳寿さんじゃ。
陳さんと話ができれば、邪馬台国がこんなにも話題になっていることで、さぞ驚かれることじゃろう。
ひょっとすると『私(陳さん)も、場所が分かりにくいとは、思ったが、確かめようもなく、少し、話を盛ってしまった』と仰るかも知れないのう。
そもそも、晋は、魏が滅びた後に起こった国で、後に『呉』を滅ぼして中国を統一した。(下の注の青字の部分が西晋に関するところ)
晋は、『中国、三国の魏に代わって、その権臣司馬炎が建てた王朝。都は洛陽。280年呉を滅ぼして天下を統一。のち、永嘉の乱により、316年、4世で滅亡(西晋)。翌年皇族司馬睿(元帝)が建康(南京)に再興したが、混乱がつづき、ついに将軍劉裕によって滅ぼされた(東晋)。(265~420)』(日本国語大辞典)
西晋は、魏の後を平和裏に継いだ国なので、陳寿さんは、魏の歴史書などを見ることができ、それを元に編纂したと考えられている。
この陳さん、実は、『西暦233年~297年、三国志の時代の『蜀』に生まれて、蜀が魏に滅ぼされた後に魏に仕えた人』らしい。
直上の青字部分は、『邪馬台国の謎』(改稿新版)(高木彬光 著:角川文庫:1984年2月第9版)による。
すなわち、陳寿さんは、三国時代を生きぬいた人だったんじゃな。
ま、このように、伝聞や過去の記録を元にすると、その間に入る人々の意見、推測、憶測、忖度など、様々な、フィルターなり、ノイズが紛れ込む」
「邪馬台国の場所が不明確だったことで、後世の歴史家や作家などのみなさんは、恩恵を被っていると言えるでしょう。
とは言え、まさに、『百聞は一見にしかず』ね」
「これは、ともちゃんに、うまく、まとめられてしまったな。
仮に、タイムマシンがあれば、まっさきに、邪馬台国まで行って、確かめたいのう。
卑弥呼様にインタビューできれば、まさに、(文春砲もビックリ)のスクープ記事だ。
それができれば、本当に一見に如かずじゃ。
ま、今後、遺跡や古墳の調査が進むことを期待したい。
宮内庁も、はっきりしない陵墓の指定を取り消して、発掘調査を認める方向に行ってほしいものじゃ」
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「なーに、この、ことわざ。
前節の『百聞は一見にしかず』は、有名だけど、『百見は一写に及ばず』とは、まるで、防犯カメラの宣伝文句みたいね」
「はは、わしが、今回、作った『創作ことわざ』じゃ。
『百聞は一見にしかず、といえども、百見は一写に及ばず』と並べて使うのじゃ。
『見ると聞くとは大違い』といわれるように、見るのは、聞くだけより、かなり確かになるのは、間違いはない。
が、見ることも、場合によって、絶対ではなく、また、完全でもないのじゃな。
それは、『目が見るのではない、脳が見るのだ』からとも言えるじゃろう。
そのことがよく分かる面白い話を見つけた」
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「それは、『法医学ノート』(古畑種基 著:中公文庫:1979年第7版)に出ている英国で実際にあった『アドルフ・ベック事件』だ。
同書によれば、英国の法律に一歴史を作ったと言われるほど有名な事件だそうだ。
※ 同書によると英国で有名な『テーラーの法医学』に詳述されているという。
目撃証言により、時計などの詐欺事件の犯人にされてしまった『アドルフ・ベック』氏(以下『ベック』という)のえん罪事件だ。
同書により、なんとも不運なベックの事件を振り返る。
時は、1895年(明治28年)12月16日の英国のロンドンじゃ。
ベックは、1841年のノルウェーに生まれの54歳の男で、 26歳の頃、英国に来て、船舶業者に雇われて、南アメリカに渡り、現地で働く。
10年前の1885年、44歳の折に英国に戻り、以来、ロンドンに下宿していて、今回の事件に巻き込まれたのじゃった。
不運その1
1895年12月16日、ベックがロンドンの街角にいたところ、ある婦人が『わたしの時計をどうしたのか?』と尋ねてきた。
どうやら、ベックに時計をだまし取られたと思い込んでいるらしい。
ベックは、知らないと弁解するも、婦人が『わたしの時計を返せ』と大声で叫びだしたので、やむを得ず、婦人と二人で警察に行く羽目になった。
不運その2
警察署で、ベックが婦人と押し問答している最中に、さらに別の二人の婦人が現れて、男に時計をだまし取られたと訴えた。
そこで、警察では、二人の婦人をベックに会わせると『確かにこの男にとられた』と申し立てたので、ベックは、警察に拘留されることになった」
「なんとも、気の毒ね。
最初の婦人も、そそっかしいけど、タイミング悪く、別の二人の婦人が現れて、ベックを犯人だと言うとは、偶然が過ぎるでしょう」
「いや、まだまだ、この先、不運が続くんじゃよ。
不運その3
警察が調べたところ、2年ぐらい前から『ウィルトン卿』と名乗る男に多くの婦人が時計などをだまし取られる被害が出ていることが分かった。
そこで、警察は、ベックが、この『ウィルトン事件』の犯人ではないかと疑い、被害に遭った22名の婦人を呼び寄せて、ベックの面どおしをさせた。
22名の内、10名は、ベックが犯人だと証言、11名は、はっきりしないと答え、残りの1名は、この人ではないと否定した。
このため、ベックは、『ウィルトン事件』の容疑者として、更なる取り調べを受けることになった」
「へー。22人の内、10人がベックを犯人と言ったの!
一人だけなのね。違うと言った人は。
でも、もし、ベックが犯人だとしたら、その時計などをどうやって売りさばいていたのかしら?
また、ベックの犯行当日の行動は、どうだったのか?、という裏付け捜査が必要でしょう」
「まったくだ。
見込み捜査の恐ろしさだな。
裏付けを怠っていたようだな。
不運その4
さて、ベックの事件が新聞に載ると、
『ベックは、18年前のスミスではないか』という投書がロンドン警視庁に寄せられた。
ここで唐突に出てきたこのスミスとは、何者かというと、
18年前に今回と似た手口の事件で逮捕され、5年の禁固刑に処せられた当時27歳のユダヤ人の男だった。
このスミスは、その際、『ウイロビー卿』と名乗り、婦人達から時計などをだまし取っていたという。
スミスは、5年の刑期を終え、すでに出所していたが、所在は、不明だった。
※ スミスは、今回の『ウイルトン事件』時、45歳ということになる。
不運その5
ロンドン警視庁は、18年前にスミスの事件捜査を担当した警察官と筆跡鑑定者を呼び、ベックの面どおしを行わせた。
すると、両人とも、ベックは、かつてのスミスと同一人物と証言したのじゃった。( Oh my God ! )
そのため、今回の『ウイルトン事件』は、『ウイロビー事件』のスミスが再犯に及んだものとみなされ、ベックは、裁判にかけられることになってしもうたのじゃ」
「なんとも、おせっかいな投書が来たものね。
ベックは、よほど、特徴がある人相なのかしら?
別人のスミスの身長や体格は、どうだったのかしら?
それに、指紋よ。スミスの指紋を取っていなかったの?」
「さすがは、お銀さん、じゃない、ともちゃん、よいところに目を付けましたな。
現代人として、指紋の件は、当然の疑問だのう。
『指紋』の歴史は、『法医学ノート』には、記載がなかったので、ウィキペディアで調べると、
英国では、
『1901年(明治34年)には、イングランドとウェールズで指紋を用いた犯罪捜査が始まった。』とある。
今回の『ウィルトン事件』(1895年)では、指紋は、まだ使われておらず、当然、18年前の『ウイロビー事件』(1877年)でも、スミスの指紋は、取られていなかった。
ちなみに、日本で指紋が警察捜査に使われたのは、
『1908年(明治41年)の司法官僚である平沼騏一郎の報告書に基づき、1911年(明治44年)に警視庁が指紋制度を採用した。』とあった。
※平沼騏一郎は、終戦時、枢密院議長だったことで、よく知られている。
このように、今回の事件時は、指紋は、まだ、使われていなかったが、スミス(18年前の事件時=27歳)の写真や筆跡は、ロンドン警視庁に残っていた。
それらを元にベックの鑑定が行われたのであるが、前述のように、『ベックは、スミスである』とそろって証言されてしまったのじゃ。
本来であれば、ロンドン警視庁自身が、2年前から起きていた連続犯が、かつてのスミスの犯行ではないかと、気づくべきじゃったのだがな。
現実は、逆になってしまった」
「ゲ、ゲ、ゲ。
今回の事件だけでも濡れ衣なのに、2年間にわたるスミスの事件の罪も被ることになるとは、不幸の四重奏、いや五重奏。
しかも、自分が赤の他人のスミスとみなされるとは、理不尽も、ここに極まれりね。
ベックという人は、不幸を吸い寄せる磁石みたい。
えーと、たしかに言われるように、指紋を鑑定するシーンは、時代劇では、登場しないわ」
「うん。
ただ、ウィキペディアの記事に興味深いものがあったが、脇道にそれるので、本節の末に注釈として載せた」
「それからのベックは、どうなったのかしら?」
「残念だが、まだ、不幸が終わらなかった。
不運その6
裁判でベックの友人らが、
ベックは、18年前の『ウイロビー事件』当時、南アメリカにいたと証言したにもかかわらず、陪審員の判断でベックは、禁固 7年となった。
※アリバイよりも被害者の婦人達の証言が重視されたようだ。(悪い意味のレディーファーストか)
刑務所にいる間、ベックは、何回も無実の旨の嘆願書を法務大臣に提出したが取り上げられなかった。
不運その7
収監された後、5年が経過し、1901年、ベックは、刑務所から仮釈放された。
ところが、1904年8月にウイロビーと名乗る詐欺師に被害に遭った婦人の訴えを受けた警察が再びベックを拘引した。
婦人にベックの面どおしをさせると、またも、ベックが犯人であると証言した。
このため、再び、ベックは、起訴されて、裁判が開かれて、またしても、陪審の結論は、有罪となった」
「神も仏もないわね」
「そうだのう。
しかし、今度の裁判長は、さすがに、おかしいと思って判決を先延ばしした。
幸いなことに、ベックがこうして拘留されているときに、当のスミスが事件を起こして警察に逮捕された。
そこで、かつてスミスの事件を担当した警察官と筆跡鑑定者に面どおしをさせると、その男が本当のスミスであることが明らかになった。
また、かつて、ただ一人ベックが犯人ではないと証言した婦人は、多数の人の写真と混ぜて示した写真から、スミスの写真を犯人と指摘した。
ここに至って、(ようやくじゃったな)、
英国国王の名において、ベックの有罪が撤回され、ベックの無罪が宣言された。
かくて、ベックに世の同情が集まり、議会では、事件の調査委員会が設置され、ベックには、国から慰労金が支払われることになった、ということだ」
「長かったわね。
54歳から63歳まで、9年以上かかった。
(この節もだけどね)」
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※ 指紋の研究と東京都中央区に残る指紋研究発祥之地の記念碑
日本では、契約書などに拇印を押す習慣があるが、それは、江戸時代に遡るという。
指紋の研究の歴史に残るイギリス人のヘンリー・フォールズ (Henry Faulds)について、ウィキペディアでは、次のように記しておった。
『ヘンリー・フォールズは、1880年にイギリスの科学雑誌ネイチャーに、指紋に関する研究論文を発表した。
フォールズは宣教師として1874年に来日し、現在の東京都中央区築地に居を構え、キリスト教の布教を行うと共に健康社(現在の聖路加国際病院)という医院を開設し医療活動に従事した医師でもあった。
彼は日本人が拇印を利用して個人の同一性確認を行っている事に興味を持った。
また1877年にモース博士により発見された大森貝塚から出土した数千年前の土器に付着した古代人の指紋が現代人のものと変わらない事に感銘を受け、指紋の研究を始めたといわれている。
フォールズの研究は日本滞在中に行われ、発表も日本からイギリスへ論文を発送して行われている。
このためフォールズの居住地跡には彼の業績を記念して「指紋研究発祥之地」の記念碑が建てられている。』という実に興味深い記載があった。
そこで、東京都中央区のホームページ、http://www.tokyochuo.net/meeting/town/fuukei/cut04a.html
を拝見してみると、
『指紋研究発祥之地(明石町8先):築地居留地に住み、宣教師であり医師でもあったイギリス人ヘンリー・フォールズは、日本の拇印の習慣に目をつけ、指紋による個人の識別ができることを発見した。その功績をたたえヘンリー・フォールズの住居跡に記念碑を建てた。』という記事が載っていた。
なので、指紋がロンドン警視庁に採用される以前の1880年代に、英国では、すでに指紋の研究が行われていたことが分かる。
(その一人が)日本に当時住んでおられた英国人であったとは、驚きじゃな
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「著者の古畑先生も、『見証』(目撃証言)の有効性は認めつつも、その不確かさを強調している。
見知らぬ人を見た場合、その特徴は、案外と目撃者の記憶に残らないものである。
ベックの事件でも、22名の内、ただ一人、ベックが犯人でないとした婦人がいたように、正確に覚えている人も、まれにはいる。
しかし、多くの目撃証言は、人相、服装、持ち物、動作等に関して、不正確なのじゃ。
困ることは、記憶が不正確であっても、不明確ではない場合があることじゃ。
目撃者の不鮮明な初期の記憶は、砂糖細工のように脆い。
そのあやふやな記憶は、目撃者自身の脳により無意識のうちに、足りない部分が追加され、余分なところが修正されて、一見、合理的な記憶に変化する。
また、初期の記憶は、外部の人、捜査官や弁護士など発言や誘導、暗示により、容易に、変わり勝ちでもある。
このように、目撃証言に大きく頼る捜査は、得てして、えん罪を産む土壌となる。
ベックの事件で、初期の段階で面通しした22名の婦人は、ベックが警察に拘留されていることを知り、ベックへの疑惑を感じた。
同書では、触れられていないが、捜査官によるベックの紹介の言葉にも、影響されたであろう。
22名の内、ベックを犯人とした10名の疑惑は、ベックが犯人であるとの確信に変わり、自分が見た記憶が(無意識的に)修正されてしまったのだろう。
前にも書いたが、わしらでも、昔の記憶(脳内のイメージ)は、かつて撮影された写真に限定されてしまっているのではないか。
試みに、写真の撮影前後のことを思い出せるか、どうか、思い出してみて欲しい。
過去に遡るほど、あるいは、自分にとって、重要でない記憶ほど、前後の記憶は失われていることが分かるのではなかろうか?
下図にそんな記憶の変化を描いてみた。
なお、これは、同書に掲載されているものではありません。
イメージ1では、服装が長袖で白いチョッキ、花火を持つ
イメージ2では、髪を赤く染めて、セーラー服、茶色のスカート、太鼓のバチを持っている。
イメージ3では、セーラー服、紺のスカート、祭りのうちわを持つ。
イメージ4では、黒髪で、赤いチョッキ、長袖、黄色の携帯ゲーム機を持つ。
しかし、実際は、ピンク色のノースリーブ、グレーのスカート、ソフトクリームを持っていた」
「えー、こんなに、
めっちゃ、違うてますがな」
「それがあるんだな。
次節で、同書に載っている実験例を2つ挙げよう」
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「同書によれば、大正15年(1926年)2月に次のような実験が行われた。
主導したのは、当時の県警の警察部長 藤岡氏であった。
場所は、玉川警察署、時刻は、午前11時頃、残雪の残る曇り日であった。
※ 玉川警察署は、旧名。現在は、金沢東警察署である。
藤原部長は、同署員51名を3歩間隔の円陣を作らせて配置し、
『今、ここに模擬犯人が来て、君たちの面前を一周する。よく観察して、後刻、特徴を書いてもらいたい』と言った」
「へー、面白そうだね。
あらかじめ、予告したんだから、かなりの程度、合っていないと困るわ」
「模擬犯の特徴は、下図のようだ。
かなり昔の記録なので、模擬犯の風体にも、時代の特徴が出ている。
その特徴は、次の通り。
1. 鳥打ち帽子をかぶり、
2. 頭に包帯を巻いて、一端を頭の後ろに下げる。
3. 背広を着て、
4. 足にゲートルを巻く。
5. 右手は懐に入れ、
6. 左手で風呂敷包みを持つ
7. 靴は、色変わりのものを履いている
と、このようだ。
そして、この模擬犯人が署員が円陣を組んで立っている前を円周上にゆっくりと歩いた」
「それで、どうだったの?
人間の脳の一次記憶は、多くて、5つぐらいしか同時に記憶できないようなので、
今回の模擬犯人の7つの特徴を同時に覚えておくことは、難しかった気は、するけど」
「そのとおりじゃ。
残念ながら、51名の署員の内、特徴を正しく書いたものは、一人もいなかったいうことじゃ。
眼鏡は、かけていなかったのじゃが、めがねをかけていたとか、金縁だとか、鼈甲だとか、その色や材質まで、様々だったのじゃ。
同書には、これ以上、具体的な記載がないが、古畑先生が金沢犯罪学会に出席した折の藤原部長の講演が元になっているためであろう。
このようにあいまいな目撃の記憶も、写真があれば、一目瞭然のことなのだがな」
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「こちらが、同書で、前節の実験より先に紹介されている話で、少し、長くて、やや込み入っている。
米国カンザス州立大学のマッキーヴァー教授による実験だ。(時期などは、明記されていない)
(おそらく法医学を志す)学生25名を相手に、あらかじめ予告した上で、芝居を見せた。
この節では、先に、芝居に登場する3人の登場人物の風体を紹介しておこう。(当然、学生には、伏せられている)
3人は、左から、ジョーンス、スミス、ホワイト じゃ。
この順に登場する。(もちろん、順番等は、学生に知らされていない)
さて、芝居は、4つのシーンからなる。
登場するのは、前記のように、ジョーンス、スミス、ホワイトの順。
退場するのは、ジョーンス、ホワイト、スミスの順じゃ、
シーン1
ジョーンスが部屋の戸を開けて入ってくる。
いきなり、振り向いて、右手で、追ってくる者(=スミスであるが観客には見えない)を指して、
『止まれ、さもないと撃つぞ』と言う。
ジョーンスは、部屋を横切って走り、急にひざまずいて、左手の袋を床に落とす。
『これだ、さあ、持って行け』と言う。
そして、立ち上がって、部屋を出て行く。
シーン2
スミスが登場する。
『この野郎、それを渡せ』と言いながら、走って、ジョーンスの落とした袋を拾う。
スミスは、舞台に残っている。
シーン3
ホワイトが登場する。
スミスに向かって、『拾い給え。あの男は、どうしようもない』と言って、
スミスより、先に部屋を出て行く。
続いて、スミスも退室する。
シーン4
舞台の袖に腰掛けていた教授が驚いたように立ち上がり、
『君たちは、何をしにここに来たのかい?』と叫ぶ。
以上で芝居は、おしまいだ」
「なるほど、かなり、複雑ね。
2番目のスミスさんは、特に特徴がないように、わさど、されているのね」
「おそらくな。
同書によると、芝居が終わった後に、学生25名に対して、いくつかの質問を行って、答案を書かせた。
そのうちの4つの質問と回答(数が25でないのは、似た回答が1つにまとめられているのだろう)が掲載されている。
1つ目の質問 ジョーンスの風体について
1. 黒いコートと薄い色のマスク
2. 紅いマスク、両頬を紅く染めている
3. 黒いコート、口を紅く染めている
4. ピストルを持っていた
5. 頬は、通常よりもいくぶん紅く、手に棒を持ち、黒い背広を着る
6. 黒色の背広
7. 黒装束
8. 黒装束にて、紅いマスク
9. 帽子はかぶっていない
10. 青色の背広
というような回答が集まった」
「こいつは、ビックリ。
ジョーンスは、
鳥打ち帽子、灰色のコート、黒いマスク、左頬に紅いすじ、右手にドライバー、左手に袋、というのが正しい姿。
でも、学生さんの回答に、黒いコートや黒い背広というのが目立つわ。
10個の回答の内、6個が黒い・・ね。
しかし、黒装束という回答には、思わず、笑ったわ。(^O^)
青い背広というのは、明らかに3番目のホワイトと混同したんでしょうけど」
「確かに、驚きじゃ。
たかが、小さな黒いマスクをかけていただけで、黒い上着を着ていたと誤認されたのだからな。
黒装束というのは、上下とも黒い服というような意味だと思うぞ。
だから、伊賀や甲賀の忍者の格好を思い浮かべてはいけないじゃろう。
棒やらピストルを持っていたというのも見誤りで、小さなドライバーと袋を持っていたんじゃがの。
2つ目の質問 スミスの風体について
1. 黒い背広とレインコート
2. 不明 (大多数の回答)
これは、比較的、妥当な回答結果じゃろう。
スミスは、特徴のない格好で出てきたんじゃからな。
3つ目の質問 スミスの行動について
1. ピストルを撃ち、数回、カチカチと鳴らす
2. 最初に入ってきて、2番目に出て行き、『出て行け』と叫ぶ
3. ピストルを撃ち、数回、カチカチと鳴らし、ジョーンスを狙って『止まれ、さもないと撃つぞ』という
4. 傘を床に落とす
5. 最初に入ってきて、『この男を捕まえよ』と叫ぶ
などとなった」
「スミスの行動に対する回答は、相当、おかしいよ。
スミスは、ジョーンスに続いて、『この野郎、それを渡せ』と言って登場して、ジョーンスの落とした袋を拾う。
というのが、主な行動。
スミスは、特に持ち物は、持って登場しない。
そこで、一番、変な回答は、スミスがピストルを持っていて、撃ったということ。
この芝居で、ピストルを撃った人は、いないのに。
ピストルをカチカチと鳴らす、というのを複数の人が回答しているのも不思議。
床の上を走って移動する靴の足音を聞き違っていたのかしら?
2番と5番、スミスが最初に入ってきたと言っているけど、最初は、ジョーンスでしょ。
4番の『傘を落とした』というのは、傘は、全然登場しておらず、見誤りすぎるわ。
しかし、だれも、スミスが袋を拾ったのを見ていないのかしら?」
「4つ目の質問 教授の発言について
1. 『何だ、これは?』
2. 『どうしたと言うんだ』
3. 『こちらだ』
4. 『おや、何をしているんだ』
5. 『君たちは、誰だ』
などとなったそうだ。
この4番目は、英語の表現と発音にもよるじゃろうから、わしらは、あまり深入りはできない。
4番目が、ほぼ、正解かな」
「教授は、『君たちは、何をしにここに来たのかい』と言ったのにね。
しかし、これは、面白がってばかりも、いられない。
今回の芝居の登場人物は、かなり特徴があったし、観客の学生も(予告されていたんだから)注意深く見ていたはず。
なのに、正しいイメージが、記憶に残りにくいことが分かったわ。
困ったことには、不鮮明というよりも、服装の見誤りや行動の人違え、現場に存在していなかった道具の登場まで、様々な記憶の錯誤が生じた。
こいつは、やはり、『百見は一写に及ばず』か」
「ここに記載した2つの例は、いずれも、かなり古い時代の記録じゃ。
最近の法医学の本を読めば、新しい例がいくつも載っていよう。
しかし、今でも、写真やメモを使わないと、目撃による記憶とは、多く、この程度のものなんだと心得ておく必要があるじゃろう」
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「すると、プライバシーの問題もあるけど、やっぱり、もっと、防犯カメラや監視カメラが必要ね」
「そうだな。
警察の人手を安易に増やす余裕もないしな。
犯罪の防止、抑止効果も期待できる。
以前取り上げた、中野の女性劇団員殺害事件でも、被害者のマンションの入り口の防犯カメラがダミーでなければ、もっと早く解決できていたろう。
周辺の人々のDNA鑑定などのローラー作戦も必要なかった」
「ほんとね。
地下鉄の出口と付近の通りの計2個所しか、防犯カメラがなかったのは、残念!
防犯カメラも、急速に高画質、かつ、低価格になってきているので、マンションや道路の管理者さん達も設置してくださいな」
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8月28日(火)付けの読売新聞、あるいは、8月27日(月)のNHKニュースによると、2017年9月に埼玉県深谷署管内で発生した強盗・傷害事件の容疑者として、被害者宅の近所に住む男性(30歳代)を誤認逮捕したことを正式に認めて、埼玉県警がこの男性に正式に謝罪した。
被害者宅内に(防犯用の)カメラがあり、そのカメラに写った写真を決め手として、男性は、逮捕された。
しかし、男性は、一貫して、容疑を否認し、犯行があったとされる時間帯は、家にいたと主張したものの、20日間にわたって、拘留され取り調べられた。
その後、嫌疑不十分で処分保留となり、釈放されていた。
ところが、2018年の5月に別の事件で逮捕された22歳の男が犯行を認めたため、裏付け捜査を行ったところ、この男が真犯人であることが分かり、男性に謝罪したということだ。
室内のカメラに写っていた画像は、帽子をかぶっていて完全ではなかったが、誤認逮捕された男性とよく似ていたこと、並びに、男性の写真を見た被害者の証言により、逮捕されたが、結果としては、誤認逮捕となった。
一方、外部の道路等の防犯カメラには、誤認逮捕された男性が写っていなかったようなので、報道では、はっきりとしないものの、警察や被害者側に思い込みがあったのではないだろうか。
いずれにしても、写真が撮れたことに満足してしまい、裏付け捜査が不十分であったと言われても仕方がない。
この事件を矮小化せずに、埼玉県警自身による捜査過程の徹底的な検証が必要である。
※写真があっても、無帽・正面で撮ったような写真は、少ないので、よく似た人がいる可能性はある。
前掲のように目撃証言は、必ずしも、完全でも正確でもないことにも、あらためて、留意する必要もある。
本人が否定する場合は、いたずらに犯人と決めつけずに他の証拠を探す不断の努力が必要だ。
アリバイは大事だが、一人暮らしの世帯が増えている現代では、その人のアリバイを立証する人がいないケースが増えていると思われる。
単に、容疑者が犯人に似ていて、アリバイがないというだけで逮捕されてしまうと、容易にえん罪が作り出されかねない。
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警視庁は、中野区の野方署管内で起きたコインランドリーでの衣類の窃盗事件の犯人として、容疑者と異なる人を誤認逮捕していたと発表しました。
これは、朝日新聞、産経ニュースやNHKなどで2018年12月21日に報じられた事件です。
それによりますと、2018年10月6日に中野区内のコインランドリーから女性の衣類が盗まれる事件があり、野方署は、コインランドリー内の防犯カメラの画像を元にした捜査により、東京都在住の20代の男性を2018年10月7日に逮捕し、検察庁に送りました。
しかし、男性は、送検後の10月10日に釈放された後も、検察官の取調に対して、終始一貫、防犯カメラの人物は、自分ではないと主張。
2018年12月10日、検察の依頼により、警視庁が画像を解析したところ、画像に写っている人物は、男性とは、別人と分かったということです。
野方署は、男性の服装や眼鏡などの外見が画像の容疑者と似ていたため逮捕に至りましたが、指紋や行動などの裏付け検査を怠っていました。
警視庁の上原刑事総務課長は、『心からおわび申し上げる。本件を教訓に指導を徹底する』とコメントしました。
※ 防犯カメラの映像だけに頼る捜査は、『えん罪』を生むおそれがあることが、図らずも、再度、実証されてしまいました。
本人が否認する場合、警察は、犯行を裏付ける証拠、あるいは、逆に犯行と矛盾する証拠のいずれかを虚心に求める捜査を重ねる必要があります。
今回のような軽犯罪であっても、誤認逮捕された人にとっては、甚だしく名誉を傷つけられ、状況によっては、通学先や勤務先などの信用を失う事態となります。
ひとたび、信用を失えば、仮に誤認逮捕と判明した後も、100%の信用回復を見込むことは、困難であり、本当に取り返しの付かない事態となりかねません。
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NHKや読売新聞の2019/8/12の記事によれば、愛媛県警松山東署において、女子大生(22歳)を誤認逮捕した事件があった。以下、主として、読売新聞(2019/8/12)の記事により、事件の経緯をまとめた。
2019年1月9日、深夜、午前2時過ぎに、松山市内でタクシーから、若い男女4人が降車した際、運転手が助手席に置いていた運転手のバッグ(現金 54000円入り)がなくなったという。タクシー車内のドライブレコーダーには、助手席に乗車していた女性がバッグを持ち去る様子が映っていたため、運転手が警察署に届け出た。
警察が捜査したところ、タクシーを降りた場所近くの防犯カメラの映像から、乗車していた4名が向かったアパートを特定できた。そして、このアパートに住む女子大生がドライブレコーダーに写っている女性に似ているとして、4ヶ月後の5月と6月に2回、任意で事情を聴取した。女子大生は、一貫して、否定したが、警察は、うそ発見器を使用したり、指紋を採取したりしたが、タクシー車内から、女子大生の指紋は、検出されなかった。それでも、ドライブレコーダーの映像を解析するなどして、女子大生の容姿と似ている度合いが高いものとして、7月5日、逮捕状を請求、同月8日、女子大生を逮捕した。
ところが、7月9日になり、簡易裁判所が警察の拘留要求を却下し、女子大生は、7月10日に釈放された。簡裁は、却下理由を公表していない。その後、警察が同じアパートに住む別の女性に対して、事情を聞いたところ、その女性が容疑を認めたという。更に、この女性の話から、タクシーに乗車していた他の3人を特定して、話を聞いたところ、最初に逮捕された女子大生は、乗車していなかったことも判明し、警察は、7月22日に女子大生に謝罪し、誤認逮捕であった事実を公表した。
女子大生は、7月26日に不起訴処分(嫌疑なし)とは、なったものの、逮捕されたショックは、大きかったと思われ、代理人の弁護士を通じて、自白を強要されたと訴えている。
この誤認逮捕事件については、2019年8月13日の読売新聞朝刊のコラムでも取り上げられており、『捜査がずさんをとおりこして、空恐ろしいと感じる』とまで、評されている。
なんと、本欄で3度目の誤認逮捕事件となりました。任意で事情聞いた段階で、女子大生が否認していたにもかかわらず、犯行を裏付ける追加捜査を怠っていた可能性が濃厚とのことです。タクシーに乗っていた犯人以外の3人に事情を聞いたのも女子大生の釈放後です。また、タクシーの運転手に女子大生の顔写真を見せなかったことも判明しました。逮捕は、ほぼ、ドライブレコーダーの映像頼みという実態が浮かび上がりました。
コラム氏が語るように、空恐ろしい事情が垣間見えました。いくら、カメラの映像が鮮明になってきたとしても、夜間ですし、世間には、似た人物もいる訳です。まして、アパートであれば、女子大生以外も住んでいるでしょう。一部の捜査員の思い込みだけで、逮捕するんじゃないと、喝を入れたいところです。
全国の警察には、今回の防犯カメラ映像に基づく誤認逮捕事件を、他山の石として、容疑者が否認するときは、映像のみに頼るのではなく、犯人でない可能性が少なくとも半分は、あると考え、追加捜査の実施を捜査員に徹底をしていただきたい。まして、警察内部で、『万一、えん罪となっても、微罪だからよい』などと安易にとらえる風潮があるならば、考え違いも甚だしく、猛省を促すべきです。
なお、愛媛県警は、この失敗を今後の貴重な教訓とすべく、ぜひ、捜査責任者を管内の警察の研修会にて、『しくじり先生』として、失敗の体験と反省点を語らせたら如何でしょうか? なまじな処分よりも、有効性が勝るでしょう。少なくとも、失敗の過程を十分に精査して、全国に発信していただきたい。転んでもただでは起きぬ、ところを見せて欲しいです。
警察庁や国家公安委員会も、大規模な警備やテロ対策だけを指揮・監督するだけの存在ではなく、全国に率先して、徹底する責務があるものと考えます。今回は、たまたま、全国に報道されましたが、報道されない事例も、埋もれているのではないでしょうか?
その後、読売新聞では、2019/8/12の本紙記事、2019/8/13の朝刊コラムに続き、愛媛県警の調査結果を受けて、2019/10/9の朝刊社説において、この問題を取り上げています。殺人やテロなどの重大事件ではない本件を大手新聞社が社説で取り上げて論じるというのは、なかなか、ないことと考えます。
同紙社説では、警察捜査に対する防犯カメラ等の映像の効果は、大きいと評価しつつ、映像のみに頼る誤認逮捕事件が全国で増えていることを踏まえ、今回の事件の愛媛県警の調査報告においても、
1. 自白が警察官が強要した疑いが残ること、
2. 逮捕状請求に至る警察内部のチェック体制が不十分であったこと、
3. 逮捕状請求の根拠が乏しいにもかかわらず、検察庁及び裁判所によるチェックが有効でなかったこと、
等について、警鐘を鳴らしています。
さらに、2019/10/16の本誌解説記事において、『映像過信 「裏付け捜査」怠る』という見出しで、紙面の半分を本件に割き、関係者の処分を行わないという警察の調査結果にも疑問を呈した上で、あらためて、事件の概要とその問題点を検証しています。ただ、これまで、明らかにされていない事実は、記載されていないように思われますが、『未確認飛行物体』ならぬ『未確認捜査実態』とでも書きたい記者の危機感は、伝わりました。(茶文字部分は、2019/11/9追記)
これらの一連の記事を読んで、感じた点を簡単に記します。
警察では、事件発生の受信から、捜査、被疑者の逮捕状請求までの『捜査マニュアル』が存在するのかどうか?
逮捕状請求時に捜査担当者が『捜査チェックリスト』のようなもので見落としをチェックできる体制があるのか?
上司が捜査担当者の行った捜査の正否をチェックするための検証方法と記録様式を定めているのか?
など、工場の品質管理で基礎的なこととして行われていることが、警察現場で実施されているのか、というような品質管理という観点での記事が今後は、望まれると考えます。
さらに言えば、警察を含めて、検察、裁判所等の法曹界において、品質管理や情報工学的な見方を行える人材や体制が必要でしょう。捜査資料や証拠のデジタル化、判決のデータベース化まで含めて考えると、法務省が取り組むべき諸問題が山積しています。早く、現代に追いつく努力が強く求められます。
上の緑字の部分は、2019/10/16に追記しました。
目力(目ぢから、目チカラ)は、俳優さんやモデルさんなどの目の迫力を指す言葉として使われる。
『女優の誰々さんは、目力が強い』と言う場合、視力が2.0 という訳ではない。(^_^;)
目の持つ威力は、古くは、『眼力』(がんりき)と言われていた。
ある種の超能力的な目の力を指すこともある。目には、そういう能力があると信ぜられていたのだろう。
邪馬台国の卑弥呼さんなども、眼力の強い目の持ち主だったのじゃろう。
イスラム教では、偶像崇拝が禁止されていて、すでにあった像は、顔や目を削ってしまうという行為も行われた。
現代でも、IS(イスラミックステート)による遺跡の破壊も記憶に新しい。
なお、20年ほど前は、道を歩く際、前から来るたちの悪い相手の顔を見ると『ガンを飛ばしたな』と因縁を付ける輩もいた。
今は、聞かなくなったセリフだ。
(うっかり、こんなセリフを親分が言うと、子分が『ガンを飛ばした、という言葉は、なになに・・』と余計な説明をする羽目になって大変だ)
ガンを飛ばすは、もはや死語だな。それに、若い方は、下を向いてスマホを見たりして歩く人が多いので、因縁の付けようがない。
ここでは、それとは、違った角度で眺めた『目力』だ。
「2年ほどの新聞記事だが、『見当たり捜査』を大阪府警が導入してから、38年経ったそうだ。
この間に確保された犯人は、4千人を超えたとのことだ。 (2016/8/24:産経新聞)」
「見当たり捜査、というのは、なんなのかしら?
手当たり次第に捕まえるとか、場当たり的に捜査するのでは、ないよね?」
「指名手配犯の写真の特徴をよく記憶した専門の警察官が、町を歩いて、犯人を見つけるそうだ」
「すごいわね。
ベックの事件の被害者22名のうち、ベックを犯人でないと言った唯一の人なんかが適任かもね」
「他の都道府県の警察も次々と導入しているそうだ。
とは言え、今後、ベテラン刑事さん達は、次々と退職されていくじゃろう。
さらには、外国人もどんどんと増えていく。
そろそろ、自動見当たり捜査機が出てきてもいいのではないか」
「中国では、市街地に配置している監視カメラの映像をコンピューターにかけて、それを自動認識させているようね。
何でも、中国国民の一人一人の身分証のデータがコンピューターに蓄積されていて、それらを自由に公安当局などは、参照できるとのこと。
たしかに、ここまでいくと、SF映画のスーパー監視社会のようだけども」
「ま、日本では、そのまま、使う訳には、いかないだろう。
だが、指名手配されている犯人などの写真は、警察が把握されているのであるから、利用するのは、差し支えはあるまい。
グーグルのストリートビューのデータ収集車のようなイメージの車が市街地などを走ってデータを収集するのは、どうかなと、思っているんじゃ。
もちろん、最終的には、人間が確認して、刑事さんが確保する、というのは、言うまでもないがな」
「それができれば、目力カー、だね」
「病院の画像分析や踏切や道路や建物内外の監視カメラの映像も、24時間、365日、同じ精度で、解析・監視するのは、困難だ。
これからは、コンピューターによる自動振分けを行っていく方向で考えることが大切じゃろう」
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「高齢者が入院したりして環境が急変した際に、発症することがあるのが『せん妄』だ。
ベッドを水平から上半身を斜めに起こすように角度を変えてあげると改善することもある。
また、高齢者でなくても、長時間の全身麻酔による手術後に集中治療室などで発症するのは、『術後せん妄』と言われる。
術後せん妄は、集中治療室から出て、一般病室に移る頃には、消失する。
せん妄中の患者さんの目は、開いて、耳も聞こえるようだが、外からの問いかけに対しては、見当違いな応答をするか、または、応じない。
周りから見ると、患者さんが、別の世界に行ってしまったように感じられる」
「その別の世界に行っているというのは、あたし達が眠っているときに見る夢の世界とは、違うのかしら?」
「それは、違うようだ。
わしらの夢の特徴は、
・ 映像は、通常、モノクロで、パラパラ漫画のようだ。
・ あたりは、通常は、薄暗い。
・ 映像は、部分的には、はっきりしているが、全体は、ぼんやりしている。
・ 人の声は、聞こえると感じることもあるが、皮膚感覚、臭覚などは、まずない。
・ 目を覚ますと、断片的にしか、場面を思い出すことができないし、長く覚えていることは、ない。
・ 夢だったことは、目を覚ました瞬間に納得できる。
と、こんなところだろう。
絵で描くと、下図のようなイメージかのう。
「ちょっと、なーに、これ。
ねこおとこ、ねこおんなとお花見とは?」
「よく、CMなどで、『これはイメージです』的な注意書きがあるじゃろう。
それじゃよ。
わしもこういう夢は、見たことはないがの。
さて、こういう普通の夢に対して、術後せん妄は、こんな感じじゃったと言う人の話だ。
※ 一個人の感想であり、代表例とは限りません。
・ 映像は、カラー映画のように、なめらかで、はっきりしていて、臨場感がある。
・ 自分が見ている情景にぴったりあっている(と思われる)声や音がしっかりと聞こえる。
・ 体の移動や向きの変更、手で触った、あるいは、触られた感じなどの皮膚感覚がリアルである。
・ 自分が見ている情景と(第3者的に自分を)俯瞰する映像とが同時に脳裏に浮かぶ。
・ 覚めてから、見ていた内容が荒唐無稽であることは、理解できても、本当にあったような実感が残る。
・ 記憶が比較的長期間残る。
ということじゃった」
「人の声や見ている物が見える、というのは、周りにいる人の声や様子が分かる、と言うことではないのね?」
「違うそうだ。
目や耳から入る映像なり音の信号が、脳内で再構成されて、まったく違うものに変化して、ビデオのように再生されるのだろう。
イメージで例えるとこんな感じじゃないかな。
声や音は、描けないが、それらしい音や声があると思って欲しい。
病院の人物や機械の一部は、まるで本当のように再現される。
しかし、お医者さんや看護師さん達やその会話の内容は、実際のものとは、変わる。
また、患者が病院で警察官に叱られる、そんなあり得ない場面がリアルに映像化される。
警察官につかまれた手の感覚などもはっきりと感じられる。
視覚、味覚、音、触感などは、実際の刺激(たとえば、注射や血圧測定など)を元にまったく異なる内容に再構成される。
全体は、荒唐無稽な内容でも、個々には、つじつまが合うような筋書に沿って映像や音声が進行する。
おそらくは、患者さんの過去の経験や映画、テレビなどの場面などの記憶も援用されるのじゃろう」
「なるほど。
まさに、目が見るのではなく、脳が見るのね」
「患者さんによれば、実際の経験に基づく記憶と術後せん妄の記憶とは、脳内で、区別しにくいということだ。
ただ、論理的に分析すると、あり得ない映像、たとえば、自らの葬儀の様子などから、実体験でないと、ようやく判断できるとのことじゃ。
なので、医師は、術前に、術後せん妄の可能性がある場合は、患者さんやご家族にその説明をしておく必要があるだろう。
でないと、お互いに困ったトラブルの種となることもある」
「3DとかVRとか、言われているけど、もし、術後せん妄のような映像を自由に見せることができれば、究極のバーチャルリアリティね」
「お、確かに、そうじゃな。
現代のVRでも、立体映像だけを見せることにより、脳は、簡単にだませてしまう。
部屋の中であることは、分かっていても、深い峡谷に渡された細い吊り橋を渡っているかのごとく、恐怖を感じてしまう。
それをもっとリアルに近づけたものが術後せん妄なんだろうな。
ただ、『百見は一写に及ばず』の一連の記事とは異なり、脳内の映像を外部で観察・撮影することが(今のところ)できないところが違う」
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「前節の『術後せん妄』は、ごく限られた範囲の人しか体験されていないじゃろう。
追記したのは、40歳以上の日本人では、5%以上(潜在患者を含めて)が罹患可能性がある『緑内障』という眼の病気の話じゃ。
※上の統計は、40歳以上となっているが、若い方でも発症する。
特に、問題にしたいのは、自覚症状が少ないことにより、視野が欠けてしまう方がいる点だ。
一度、視野が欠けてしまうと、元に戻ることは、ないので、欠損が拡大して、失明に至ると、非常に深刻な問題となる。
実は、わしも、30代の頃に片眼に緑内障を発症したのに気づかず、治療を始めたときは、すでに視野の一部が欠けてしまっていた。
しかし、手術後、30年以上、点眼薬のみで、視野の欠損の拡大は、食い止めている。
緑内障は、早期発見して、治療を開始すれば、多くは、視野が欠けることはなく、視野が欠け始めていても、欠損の拡大を遅らせることができる。
なお、『緑内障』の原因や症状、治療については、『日本眼科学会』のHP等に、わかりやすい説明があるので、そちらをご覧くだされ」
「え!
視野が欠けてきても、普通に見えるということなの?」
「視力検査では、異常が分からないことが多い。
わしも、視野が欠けている方の眼の視力は、30年以上前は、もう片方とほとんど変わらなかった。
片目で、少し離れた不規則な模様のある垂直な壁に目を向けて、他の位置にある模様が視野に入らないことで異常が分かる場合がある。
上の図では、幹側の紫色の部分が見えない個所じゃ。
ただし、目の焦点をその見えない部分に合わせてしまうと、普通に見えてしまう。
もし、気になる場合は、早めに眼科を受診して欲しいのう」
「視野が欠けた場合でも、眼の焦点を合わせると見えてしまうというのは、なぜなの?」
「ともちゃんも、よく知っているように、
網膜には、『黄斑』(目の網膜上の黄褐色のくぼみ。形や色の識別に最も鋭敏な部分。眼底のほぼ中央にありほとんど円錐細胞からなる。(日本国語大辞典))という鋭敏な部分がある。
その黄斑付近は、眼のもっとも見えやすい個所で、眼を向けて、焦点を合わせると、もっともよく、画像を検知できる場所なのじゃな。
緑内障の大きな原因である『高眼圧』などにより視神経がダメージを受けても、最後まで、残る個所でもある。
一方、それがあだになり、視野が欠けたことに、容易に気がつきにくい原因でもある」
「なるほど。
『灯台下暗し』的な感じ。
確か、網膜の見えないところが、『盲点』(光があたっても光覚を起こさない網膜の視神経乳頭の部分。発見したフランスの物理学者の名から、マリオットの盲点という。盲班ともいう。(日本国語大辞典))だったわね。
盲点は、眼以外の問題についても、『うっかり気がつかない・・・、○○が盲点だった』のように使われるわ」
「わしの場合も、当時、緑内障は、40歳以上の病気という常識が盲点になっていた。
現在では、若い人にも、緑内障の発症のリスクがあることは、眼科医には、広く認知されている。
また、簡単に、眼圧を測定できる器械が普及しているし、人間ドックなどでも、もれなく検査されているはずじゃ。
ただ、日本人の(40歳以上の)緑内障の90%が『正常眼圧緑内障』と言われるものだそうだ。
正常と言いながら、緑内障、という病気なのは、まるで、矛盾した病名だな。
眼圧が(統計的に)正常な値より低く、視野が欠けないと思っていると、それは、新しい盲点になってしまいかねない。
さて、盲点は、眼と脳とをつなぐ電線の接続ポイントだから、その部分に光が当たっても、検知できないのじゃ。
しかし、盲点は、誰の目にもあるのに関わらず、見えている画像に見えていない部分があることに気がつかない。
それは、脳が盲点以外の場所の画像情報から盲点の部分の画像を自動的に補っているからだ。
盲点と同様に、視野が欠けた場合も、その部分の画像は、脳が補っている」
「でも、欠損の範囲が広くなると、難しいのじゃない?」
「通常は、片目ずつで見ないで、両眼で見ているから、余計に気がつかない。
ただし、両眼で見る場合も、すべての部分を両眼で同時に見ているわけではない。
中心部分は、両眼で見ているが、周辺は、それぞれ、片目の視野にしか入っていない。
その例を、下の写真で説明する。
左眼の視野の一部が欠けている人は、左の窓際に置かれているテレビに気がつかずに足をぶつけることがあり得る。
それは、3枚の写真の内、下の写真の場面が右上の写真のように認識されるからだ。
※ 片眼で、正面を見れば、左上のように欠けて見える場面である。
もちろん、視野が欠けていない人でも、たまたま、見ていなくて、ぶつかることは、ある。
その違いは、視野が欠けている人は、その位置を見ていたつもりにもかかわらず、突然、TVが現れた(=眼で確認した)という驚きを感じる点じゃ。
一方、単にうっかりしていた人であれば、足がぶつかっても、TVが突然現れたようには、感じない。
脳の補正のすごいところは、上の図のように前後左右の風景だけでなく、過去の経験や知識からだけでも補正してしまうところじゃ」
「錯覚とか錯視などに似ているのね」
「おう、そうじゃな。
上の左側のような錯視図形は、たくさん、知られている。
脳の補正機能は、巧妙で強力なので、錯視図形を意識的に、本来、あるべき姿に見る(=脳で認識する)のは、非常な集中力を必要とする。
それは、たいてい、長く続けられない。
まさに、『目で見るのではない、脳が見るのだ』という証拠じゃな」
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更新日 2018/7/1 緑内障の記事を追記 2018/7/5、
誤認逮捕事件を追記 2018/8/28、野方署の誤認逮捕事件を追記 2018/12/22
愛媛県警松山東署の誤認逮捕事件を追記 2019/8/14
愛媛県警松山東署の誤認逮捕事件に追記 2019/10/16、2019/11/9
タイトルをわかりやすく補足 2020/2/14
タイトルをわかりやすく改訂:2020/10/12