2020年11月のご挨拶

批判の効用 (だけどね・なるほど)

目次

1.討論と批判
(1)批判は非難と違うの?
 2020年のアメリカ大統領選挙
 客観的な批判と主観的な非難
(2)批判を受けて怒るのはなぜ?
(3)学校で討論しないのはなぜ?
(4)学校で近代史がきちんと教えられない訳は?
(5)討論を冷静に行うには?
2.批判の効用
(1)気づかせてもらう
 乳幼児難開封性容器
(2)実験は良き批判者である
3.終わりにあたって

1.討論と批判

(1)批判は非難と違うの?

2020年のアメリカ大統領選挙

「2020年の11月3日に、アメリカの大統領選挙の投票が終わったのう。今回は、新型コロナの影響で、多くの州で郵便投票を認めたので、開票作業の終了には、時間がかかった。

その前の9/30の第1回公開討論会(オハイオ州)の評判は、さんざんだったな。共和党の現職トランプ大統領と民主党バイデン候補との討論会が討論と言えぬレベルで、互いに非難・中傷の応酬となったからだ。司会者も制御不能だったようだ」

「まったくね。しかも、その数日後、10/2にトランプ夫妻の新型コロナウイルス感染が判明して、トランプ氏が大統領専用ヘリコプターでワシントン近郊の軍の病院に入院するというおまけまで付いてきたものね。これには、バイデン氏だけでなく、世界中の人々が驚いた。と同時に、やっぱり感染したか、と思った方も多いでしょう。トランプ氏も、さすがに少しは、懲りて、新型コロナを軽視する姿勢を変えるかも、と考えた方もあったのではないですか。

ところが、どっこい。トランプ氏は、わずか、丸3日間の入院で症状が改善したとして、10/5に退院し、ホワイトハウスに戻ってきたのよ。さらに、『コロナを怖れるな。コロナに支配されるな』などと、早速、ツィートしている。これじゃ、懲りるどころか、かえって、自信を付けさせてしまったかもしれないわね。支持者からすれば、『倒れても おそるるなかれ すぐ起きる われらがトランプ』という感じ。もし、今回、再選されれば、『起き上がりトランプ人形』が売り出されるかも知れないわ」

「たしかに。ともちゃんの言う通りかもしれんな。トランプ氏は、入院する際、かなり血中酸素濃度が低下し、せき、鼻づまり、倦怠感、そして、高熱もあったようだ。車で30分程度の距離にある病院にヘリコプターで向かったのは、警備上の問題もあったろうが、緊急性も高かったためかも知れない。

トランプ大統領の治療では、米国で承認済みのレムデシベル、ステロイド系のデキサメタゾンだけでなく、開発中の抗ウイルス薬のカクテルも使われたという。当時考えられる最高の治療を受けられたと言って良いじゃろう。特に開発中の抗ウイルス薬の投与を受けたことは、世間を驚かせた。それほど具合が悪いのかという憶測も一時は、呼んだ」

「でも、劇的に症状がよくなって、退院する前日にも、車に乗って、病院から出てきて、そのまま、病院に戻るなど、少しでも、自分が元気である印象を報道陣や支持者に見せた。また、退院するや、Twitterでの発信につぐ発信、まさにツイッターの乱れ打ち。知力はともかく、トランプ氏の気力、体力には、ほとほと、感心させられるわね」

「そうだな。新聞などの紙媒体に頼っていた時代から、映画、ラジオ、テレビ、インターネット、SNSと、それぞれ新しい伝達手段の発達により、時代を下るごとに各媒体に応じた『見栄え・見映え』が大きく人々の心に影響を与えるようになった。これは、何も政治の世界だけでないぞ。今や、一般のわしらも、学校や社会で、常日頃、痛感していることでは、ないかな」

「なるほど。1961年(昭和36年)に第35代米国大統領に就任した『ジョン・F・ケネディ』氏の当選理由として、テレビ討論会での対立候補ニクソン氏(後の第37代大統領)の外見や身振りの印象が悪かったことが一因と言われているものね。大統領選挙のテレビ討論会は、このときが初めてだったのかな」

「ケネディ氏とテレビと言えば、年寄りの懐古談でともちゃんには、またかと叱られてしまいそうじゃが、1963年(昭和38年)11月に、そのケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたニュースが当時開通したばかりの日米間の衛星テレビ放送で伝えられたときの日本での衝撃を思い出す。事件後すぐに逮捕されたオズワルドが、わずか2日後、奇しくも、テレビ中継中にジャック・ルビーなる人物に射殺されてしまうなど事件の真相は、いまだに深い闇の中に沈んでいる」

「そのときは、当時、副大統領だったジョンソン(Lyndon Baines Johnson)氏が第36代大統領となったのね」

「そうじゃ。大統領に変事があった場合は、そのように定められている。なので、今回、トランプ大統領が、たとえば、人工呼吸器を付けたり、意識が不明になったりしたら、その間は、ペンス副大統領が一時的に職務を引き継いだことじゃろう。ま、そのようなことがなくて良かったとは思う」

「10/22に行われた最終討論会(本来、最終は、3回目となる予定だったが、2回目の討論会の日程で両陣営の意見が合わなかった)の体裁は、一応、討論となったようね」

「一応な。トランプ氏も、さすがに、1回目の討論会の悪評に懲りて、特に前半は、支持者も驚くほど、抑制的で冷静に応じていたようだ。自陣の選挙参謀の意見を取り入れたのだろう。ただ、両候補とも、互いに持論を展開し、相手の主張を否定することに終始したのも事実だった。その意味では、討論は、形だけで、かみ合わない討論会となった。その後、両候補とも、激戦州を巡回して、自身への支持を訴えている。この記事がアップされる頃には、結果が確定しているかもしれないのう ※」
※ 選挙人の獲得数は、バイデン候補が306名、トランプ大統領が232名、となっています。(2020/11/21現在)
 開票作業は、終了しましたが、一部でトランプ支持派が再集計を求めたり、選挙の不正を訴えて裁判を起こしています。
 バイデン候補は、閣僚人事の選考を進めるなど、大統領就任を見据えて準備を加速しています。
 一方、トランプ大統領は、いまだ、敗北宣言を出していません。

※ 2020/12/14、アメリカでは、『選挙人』による投票が行われて、バイデン候補が過半数を獲得しました。これを受けて、共和党トップもバイデン候補が次期大統領に当選したと認める発言を行いました。トランプ大統領は、まだ、認めていませんが、事実上、トランプ大統領の再選の可能性は、なくなったものと思われます。
※ 2021/1/20(現地時間)、バイデン氏が第46代米国大統領に就任しました。
  トランプ前大統領は、直前まで、諦めていないようでしたが、トランプ支持派が連邦議会に乱入した事件で、トランプ氏のツイッター発言がデモ隊を議会に向かわせるように仕向けたと受け止められて、ツイッター社により、アカウントを永久停止されました。また、選挙人の投票結果を(形式的に)決定する議会上院の会議において、議長を務めるペンス副大統領に選挙結果に疑念があるとして、バイデン氏の当選を認めないように示唆した行為がペンス副大統領のみならず共和党の議員からも強く批判されました。
 トランプ氏の『アメリカ・ファースト』は、結果から考えると、『トランプ・ファースト』の色合いが強かったと言えるでしょう。
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客観的な批判と主観的な非難

「討論とは、相手の言説を批判すること、そして、相手がその批判に論理的に反論することを互いに繰り返して、初めて、成り立つと思うけど。ただ持論を声高に唱えて、相手の批判を否定するだけじゃ、討論ではなくて、闘論ね」

「まったくじゃな。論理的でない批判は、単なる相手への非難じゃろう。一方、批判は、相手の言説の全部または一部を否定することが多いが、それは、相手や相手の行為を全否定しているわけではない。これに対して、非難は、相手の行為が法律や道義、自身の心情などに反すると感じた場合に、その行為を追求するために行うものじゃ」

「つまり、批判は、『客観的』、非難は、批判より、『主観的』と言うことかしら」

「そうも言えるかな。たとえば、J.K.ローリングの『ハリーポッター』シリーズを例に挙げれば、ハリーの親友の『ハーマイオニー』は、ハリーの行動なり、考えを『批判』することが多いが、それは、概ね、客観的、かつ、論理的で、公正だ。(だが、ハーマイオニーの言うように、ハリーが行動したら、間違いなく、物語は、つまらなくなるじゃろう)

一方、同学年のいじめっ子『ドラコ・マルフォイ』のハリーへの敵対的な言動は、批判ではなくて、ハリーの行動、性格、生い立ちが気に入らないだけにするもので、『非難』と言えるじゃろう。

ここで、選挙後のトランプ大統領のふるまいは、まるで、いじめっ子のマルコ・ドラフォイのようだと多くの方が感じざるを得んじゃろう。バイデン候補の勝利が確実になった後も、国務長官をイスラエルに派遣するなど自身に優位な政策をドシドシ押し進めている」

「ははは、それは、あたっているかも。『名前を言ってはいけないあの人』(=ヴォルデモート)が復活した後も、魔法大臣『ファッジ』がその事実を認めたくないあまり、メディア(日刊魔法新聞だったかしら)に、うそ(フェイク)の情報(ハリーポッターやダンブルドア校長は、気がおかしい)を流したり、ダンブルドアを公職から遠ざけたりした。(『ハリーポッターと不死鳥の騎士団』)

こういうあたりは、物語の世界を超えて、近現代の病を見通しているわね。とても、子ども向けの小説とは、思えない普遍性があるわ。魔法界の純血主義は、現代の人種差別問題だし、ただ働きの『屋敷しもべ妖精』は、労働者の格差問題に通じる」

「ま、そもそも、『名前を言ってはいけないあの人』は、ユダヤ教で、神(ヤハウェ=エホバ)の名をみだりに唱えてはならぬ、というしきたりから、アイデアを得たのかも知れないのう。イスラム教では、預言者ムハンマド(=モハメット)の絵や像を作ることさえ禁じられている。畏れ多いと言うことなんじゃろう。

日本でも、戦前から戦中の一時期、天皇や天皇制について、書いたり、論じたりするのは、タブーとなっていたことを忘れては、いけない。天皇の写真をご真影と称して、学校や会社で祀って、皆で拝礼し、奉っていた。今では、信じられない人もおるじゃろう。そうしたことに反する言動を取れば、たちまち、不敬罪でつかまってしまう。一切の批判が封じられていく社会の恐ろしさを想像することが大切だな」

「批判を許さない空気は、まずは、権力者やその取り巻きがうその情報(フェイクニュース)を流すことで、国民の間にいつのまにか浸透していくのだからね。気をつけないと行けないわ。

そういう意味で、2020年秋、『日本学術会議』が推薦した新会員のうちの6名を菅総理が任命を拒否した問題も、軽く見ることは、できない。学術会議に投じられている税金をことさら強調したり、その成果が少ないという誤った情報を流したり、果ては、会議のあり方を根本的に見直したいなどと、日本学術会議自身の影響力を阻害したいという動きを加速しているように見える。

そもそも、なぜ任命しないのか、という素朴な疑問に答えない。国会でも『お答えを差し控える』答弁に終始しているのは、『もり・かけ・さくら問題』と一緒ね。蕎麦は、盛りそば、掛け蕎麦、あるいは、変わり蕎麦のさくら蕎麦のどれが好きなのかは、個人のプライバシーに関わることなので、お答えを差し控えたい、ということなのかしら」
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(2)批判を受けて怒るのはなぜ?

「批判は、少し、後回しにして、非難や注意を受けて、怒り出す人がいるのは、事実じゃ。特にわしのような年寄りの男性(=おじいさんだな)がスーパーのレジなどで店員さんに大声で怒鳴っているのを見ると、悲しくなるのう」

「アハハ。確かに。レジの順番を守らないなど、些細なことを注意されて、いきなり怒り出すおじいさんがいるわ。コロナ禍の今は、大声で怒鳴られるとそれだけで危険なので、対応する店員さんが気の毒だし、場合によっては、周囲のお客さんにも害が及ぶかも知れない。でも、非難されて、人が怒るのは、なぜでしょう?」

「目下の者に怒られた、侮辱されたなどと感じるからじゃろう。たいていは、その人全体が非難されたのではなく、その人の行為や持ち物や発言などが批判されただけなのに、その分析なしに脳が怒ってしまう」

「つまり、非難や批判がすぐに怒りという感情を呼び出してしまうということかしら」

「ま、本来、他人の非難や批判は、まず、相手の言うことが正しいのか、それとも理不尽なのかと、脳の前頭葉で論理的に分析されるはずじゃが、いきなり、感情をつかさどる部分に強く働いて、怒りという感情を生み出し、それが表情や行動に出てしまうのだろう。年寄りが怒りやすいのは、残念ながら、老化の一端で前頭葉の機能が低下しているとも言えるだろうな」

「お酒を飲んで酔っ払っているときに『怒り上戸』の人が出てくることがある。これは、『笑い上戸』に比べると、はた迷惑な存在で、残念なお酒だわね。どちらも、前頭葉の機能が多少麻痺している点は同じでも。ところで、男の方が女よりも怒りっぽいと思うけど、それは、なぜかしら?」

「そうさの。男の方が攻撃を受けたと感じた時、(敵を迎え撃つための)アドレナリンが分泌されやすいのではないかな。太古の昔からのオスの本能だろう」

「でも、批判と非難は、本来、違うのに一緒くたになってしまうのね」

「そうじゃな。(1)で取り上げたように批判は、自分の言説を捉えて、相手は、批判してくれるので、本来、ありがたいことじゃ。怒るよりも喜ぶべきものだな。しかし、おうおう、その批判を非難と混同して、怒りを抑えられない人がいる。

その原因には、生い立ちや経験も関係しているじゃろう。企業や官公庁で部下が多い(多かった)人ほど、そのようになる傾向があるかも知れない。部下に頭を下げられている期間が長い人ほど、初心を忘れがちになるものだからな。

さらに進むと、自分を批判する部下を遠ざけたり、左遷したりして、イエスマン達で周囲を固める図式だ。まさに、『忠言は耳に逆らう』のう。古今東西を問わず、また、組織の大小を問わず、観察される現象じゃろう。西洋で言えば、『裸の王様』、日本なら『側用人』現象だ。

こうなると、企業では、経営状態が良いときは、いいが、悪くなると、一気に経営が悪化して、倒産することもある。そうなってから、あいつの諫言を聞いておれば、良かった、やつを左遷するんじゃなかったと悔やんでも、時すでに遅しじゃな」

「トランプ大統領も、ずいぶんと閣僚や役所の高官の首を切ってきたものね。You are fired!と」

「そうだったな。大統領から面と向かって言われるならまだしも、トランプ氏が世間にツィッターで先に『あいつには、辞めてもらう予定だ』と流してしまうので、当事者は、腹が立ったろうな。とにも、かくにも話題の多い人だった。

ところで、学校での討論やその習慣に乏しい日本では、社会に出てから、初めて批判される経験を持つ方もいる。そこで人格を非難されたと錯覚して、萎縮してしまったり、なかには、引きこもってしまう人も出てくる。他人の説を『だけどね』と批判ばかりしていないで、たまには、『なるほど』と傾聴してみるのも必要かも知れないのう」

「そうね。ほめることも大切よね。ほめられた経験が多い人ほど、他人の批判に耳をかたむけられるようになるんじゃないかしら」
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(3)学校で討論しないのはなぜ?

「ここでは、(日本の)小学校から高校までを取り上げてみよう。わしらの時代は、討論(議論)の仕方を学んだり、実際に討論したりする時間は、なかったな。高校のクラブ活動に『弁論部』という謎のクラブがあったのは、覚えているんだが」

「今の教育課程でも、教科別に授業があるので、『討論』のように、どの教科に入るのか、定かでないものは、取り入れる時間がなかったんじゃないの。法律や議会、裁判などについては、小学校:社会科、中学校:現代社会、高校:公民の政治・経済などで学ぶわね」

「なるほど。しかし、『公民』という教科があるとは、そのお名前にあらためて驚くのう。『公地公民』(貴族や豪族の土地や住む住民もそれらの貴族達のもの(=私地私民)ではなくて、国家、当時は、イコール天皇のものである)は、『大化の改新』(645年)で宣言されたのじゃなかったかい。まるで、明治・大正時代の教科書のようじゃな」

「おじぃさんの言うように、ウィキペディアの『公民(教科)』によれば、『公民』は、古くは、1890年(明治23年)に実業補習学校において、職業教育に付随して経済・社会の仕組みを教えるために使われた用語だった。そのときは、『公民として心得ておくべき事』を学ぶというものだったという。その後、1931年(昭和6年)に、公民科として『憲政自治ノ本義ヲ明ニシ日常生活ニ適切ナル法制上経済上並ニ社会上ノ事項』を学ぶ目的で設けられた。

しかし、1937年(昭和12年)に改訂され、『我ガ国体及国憲ノ本義特ニ肇国ノ精神及憲法発布ノ由来ヲ知ラシメテ以テ我ガ国統治ノ根本観念ノ他国ト異ル所以』を目標とするように変わった。これは、1947年(昭和22年)まで続いたという。この改定時に『国体』と『日本国の統治は他の諸国と仕組みが違う』ことが主として追加された。本格的な戦時体制(1937年(昭和12年)に日中戦争始まる)になったことで、軍国主義に基づく国民教育の一層の強化が図られた結果でしょう。

戦後、公民の内容は、社会科(地理、歴史、政治経済)に含まれていたんだけど、社会科を公民科と地理歴史科に分割することが、1989年(平成元年)に告示され、1994年(平成6年)の高校1年生から実施されるようになったそうよ」

「まさに、歴史は、こうやって塗り替えられていくのかのう。学校で討論を公民の授業で取り上げるはずもないか。『公民』そのものが討論の、まないたにのりそうだからな。

ま、それは、ともかくとして、政治的に敏感な現代社会や近代史の問題を学校で扱うことが避けられてきたことは、確かじゃ。その代わり、他の教科、たとえば、国語、理科、英語などを討論形式で学ぶ時間は、あったかも(あるかも)しれない。いずれにせよ、社会に出れば、前述のように必要な能力でもある。特に、冷静に相手の言説を聞いた上で、批判する能力が必要だ」

「低学年では、批判と非難が区別できないでしょ。けんかになりそうなので、中学、高校での課題でしょう。批判力や討論力(弁論力)が必要なことは、国際機関の要職を中国や韓国などに抑えられつつあるという現実からも突きつけられているからね。正直、日本人の語学力の問題でもあるけれど、外国人と渡り合うのは、小さい頃からの経験も必要だと思う」

「そうじゃな。その際必要となるのは、学校や社会での上下関係を取り払うことかな。目上の人や上司、まして、政府の言説を批判するのは、けしからんという空気があるからのう。同級生同士でも、相手を批判するのは、目立つので、いやがる子どもさんが多い。和を乱す人を排除するムードが漂っているというか、むしろ、強くなってきているように感じる」
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(4)学校で近代史がきちんと教えられない訳は?

「学校で習う近代史は、なぜか、日清・日露戦争あたりから駆け足となる。これは、現在に至るまで、明治以降の朝鮮や中国への侵略から太平洋戦争に至るまでの経緯や責任について、ドイツのように深掘りされていないためね」

「NHKの『映像の世紀』で、ドイツのナチス党がまだ、小さな勢力だった頃、その党首のアドルフ・ヒトラーが、イタリアのムッソリーニのもとを訪ねている際のイタリアのニュース映画の映像が流れた。丸々と太ったムッソリーニと並んで、ヒトラーがバルコニーから市民の歓呼の声に応える姿は、おずおずとした感じに見えた。一度、後ろに下がってしまい、ムッソリーニに促されて、再び、並んで、遠慮がちに手を振っている。イタリア訪問当時、ヒトラーは、ムッソリーニがイタリア国民の人心を掌握した手段やその身振りに感銘を受けて、マネをするように学んだようだな」

「そうなのね。ナチス式の敬礼がムッソリーニの敬礼をアレンジしたものとは、番組を見るまで、知らなかったわ。

ドイツやイタリアを第2次世界大戦に引きずり込んだ責任は、ヒトラーやムッソリーニらにあることは、明らかなので、取り上げやすい。ナチスドイツがユダヤ人を大勢、強制収容して、虐殺したアウシュビッツ収容所などの映像も報道で取り上げられることも多い。でも、そういう番組を見て、いつも、思っちゃうの。『日本は、どうだったんだい?』とね。

日独伊三国同盟(『1940年(昭和15)9月、第二次大戦中の枢軸国であった日本・ドイツ・イタリア3国が締結した軍事同盟。日独伊防共協定(1937年(昭和12年))を発展させたもの。米英との対立激化を招き、太平洋戦争の一要因。』広辞苑第7版)の一角であり、アジアであれほどの災厄をもたらした国として、果たして、日本は、自国の責任でよ、原因と経緯を十分に検証し、組織や人間の責任を追及してきたと世界に胸を張って言えると思うの?」

「太平洋戦争については、いわゆる東京裁判(『ポツダム宣言受諾に基づき、太平洋戦争における日本の主要な戦争犯罪人に対して行われた裁判。裁判所は連合国軍最高司令官の命令で東京に設けられ、オーストラリアのウェッブ裁判長、アメリカのキーナン首席検察官らの下で東条英機ら28被告を起訴し25人に有罪判決を下した(3人は死亡等で訴訟中止)。1946年5月開廷、48年4月審理終了、同年11月に判決。』 広辞苑第7版)で、連合国側の責任追及は、終わった。

その後、連合国軍の占領下で、旧日本軍関係者が公職に就けないなどの制約は、あったものの、対日講和条約(『第二次世界大戦の終結と国交回復について日本と連合国との間に結ばれた条約。1951年9月サン‐フランシスコで調印、翌年4月28日発効、占領が終結。米ソ対立を背景に日米安全保障条約が同時に調印されたことなどから、連合国55カ国のうち初め48カ国だけが参加し、全面講和は成らなかった。のち中国国民政府(台湾)・インド・ビルマなどとも条約調印。サンフランシスコ講和条約』広辞苑第7版)の締結により、順次、その人達も復帰していった。

その後、東京裁判で罪を問われたA級戦犯らに国民が惑わされて起きた戦争だったというシナリオに基づき、『一億総ざんげ』して、アジア諸国民にお詫びする、という、あいまいな形でやり過ごしてきたと思う。もはや、戦後75年を過ぎて、1945年当時、10才の人も85才となり、生存している歴史の証言者は、極めて少なくなってしまった」

「あと何年かすると、『太平洋戦争はなかった!』などとフェイクニュースが流れるかも知れないわよ」

「上のようなまっとうな考え方を『自虐史観』と断じる向きがあるように、その類いのフェイクニュースは、すでに流れている。

太平洋戦争中の大本営発表が初期を除いて、戦果を過大に、敗北を過小または小戦果と言い換えて、報道機関に流していた。今、振り返れば、これらが、すでに、フェイクニュースだったな。大本営発表だけを見聞きしていると、日本軍は、勝ちまくって、アメリカのワシントンまでも攻めていきそうに感じられただろう。しかし、『ミッドウェイ海戦』で空母4隻と多くの艦載機、優秀な搭乗員を失うという大敗北を喫した頃には、大本営発表が誇大報道であることに気がついた人は、大勢いたと思われる。なお、気がつかない人達も、東京などへの空襲が本格化するようになり、いやでも分かったろう。

1937年(昭和12年)の日中戦争に至るまで、『満州事変』(『1931年(昭和6)9月18日、奉天(今の瀋陽)北方の柳条湖の鉄道爆破事件を契機とする日本の中国東北侵略戦争。十五年戦争の第1段階。翌32年には、満州国を樹立。華北分離工作を経て、日中戦争へ発展。』)、

『上海事変』(『①(第1次)満州事変に関連して、上海とその郊外で行われた、日中両軍の戦闘。1932年(昭和7)1月28日に始まり、5月まで続いた。②(第2次)盧溝橋事件に関連して、上海で生じた日中両軍の戦闘。1937年8月13日に始まり、日中戦争の全面化に連なる。』広辞苑第7版)などと『事変』を率先して主導して、やがて、中国との全面戦争に至らしめたのは、日本軍であることは、明白だ。

最近、第1次上海事変の戦史『上海會戦記』が見つかったというNHKの報道があった。自衛隊金沢駐屯地の史料館「尚古館」から発見されたそうだ。研究者によれば、金沢の旧日本陸軍第9師団のものではないかという。そのなかで、中国軍が予め掘っていたクリークや水路で日本軍の戦車や兵隊が苦しんだことなどが正直に記載されている。また、砲弾の数が少なくなったことが心細いとか、鉄条網を突破するために、爆弾を抱えて3人の工兵が突っ込んだという記載もある。これは、内地向けには、『爆弾三勇士』として報道され、国民の士気を鼓舞した。

戦記の末尾で、「何故に事前の偵察を十分にしなかったか、何故に攻撃を急いだか、攻撃の重点は他にもっと適当な方面に向けられなかったか」という反省点が述べられている。偵察の軽視、攻撃目標の選択の不備、砲弾不足など、わずか三十数年前の日露戦争(の旅順要塞攻略戦など)の失敗を彷彿とさせる話であり、過去の失敗に学んでいない軍隊の上層部の頑迷・固陋さに、恐れ入る。
NHK https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_50.html
 フェイクに対抗するには、このような歴史的な資料や戦史を発掘し、保管し、広く研究者や世間に公開していくことが大切だ。事実の積み重ねでしか、真実は、伝えられないし、歴史的な検証に堪えられない」
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(5)討論を冷静に行うには?

「最初に出てきたアメリカの大統領選挙の公開討論会のように罵り合いに終始するのは、論外だと思うけど、現実には、冷静に議論するのは、難しい時もあるわね。どうしたら、感情的にならずに討論できるのかしら?」

「他人事と考えて、議論したらどうかな。たとえば、『塩と砂糖は、どっちが大事?』という議題について、『塩派』と『砂糖派』に分かれて議論する場合を考えてみよう。大抵の子どもさんは、塩や砂糖のいずれにも、肩入れするほどの感情は、特に持たないじゃろう。なので、冷静に、知識や推測を挙げて、討論できるのではないか」

「なるほど。自分に密接に関連しているほどカッカとしてしまうからね。そういう場合は、どうしたら、他人事と捉えられるのかしら?」

「うん。自分を弁護人だと考えて、討論の際、(自分がたまたま唱えた)説を、自分が弁護人として弁護していると受け止めたらどうかな。いくらか、客観的に考えられるのではないかな」

「その場合は、相手の批判の方が道理に合っていると感じられるときもあるでしょうね。自説にこだわる必要は、なくなるでしょう」

「そうじゃな。大統領選挙の討論会などは、別として、通常は、両者に有益な結果を得るために討論しているのだから、どちらも、一歩も譲らずに終始するのは、無駄だ。絶対的に片方が正しいと万人が認める場合は、いざしらず、相手の批判に謙虚に耳を傾けてみると、双方とも妥協の余地があることに気がつくのではないか。討論そのものが目的ではないのだからな」
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2.批判の効用

(1)気づかせてもらう

自分では、気がつかなかった点に、(批判を受けて)気づかせてもらうというのが、ご利益の一つです。こういう批判であれば、『ありがとう』という気持ちになるのでは、ないでしょうか。

乳幼児難開封性容器

「わしが若い頃の話だな。勤務先で、乳幼児難開封性容器(チャイルド・レジスタント・パッケージ:CRP)の安全基準が作られたことがあった。わが国独自のものではなく、国際規格の翻訳をベースに取扱説明書等の付帯事項を定めたものだ。当時は、基準を作る担当者と実施に移す担当者とは、別で、CRPの実施は、わしが担当して、進めることになったのだ」

「子どもさんが開けにくい容器のことね」

「うん、基準では、それだけでなく、ご年配の方が開けられる程度の難易度であることも同時に要求していた。ここでは、説明用に次のようにしてみよう。(実際のものとは異なります)
条件1:男女の幼児(□才~□才)に試して、幼児の85%が開始から○分間に開けられないこと、
条件2:男女の高齢者(□才~□才)に試して、高齢者の80%が開始から○分間に開けられること、
の2つの条件を満足する、というものだ」

「なるほど。だけど、条件1、2を満たす製品でも、最大15%の幼児が開けられてしまうものもあるということね」

「そうだな。その点には、わしも気がついていた。だが、先輩のSさんから、『それ(の実施)は、難しいよ』と言われたのだ。具体的には、説明がなかったがのう。わしは、Sさんの言葉を聞いて緊張した。Sさんは、余人に優れた先見力、判断力をもっていることを知っていたのでな。

そのため、わしは、検査機関の担当者と、まずは、下打合せをしてみたんじゃ。そこで、指摘されたのが、『テストのための幼児を集めるのが難しい』、『テストで幼児が特定のCRPの開け方を覚えてしまい、後日、そのCRPを開けて、事故があったとき、誰がどのように責任を取るのか?』という2つの問題点だった。

1つ目の幼児を集めるのが難しいことは、なんとなく想像が付くが、2番目のテストの、いわば、副作用の責任という点は、考えていなかったというのが正直なところじゃった」

「そうなると、子どもさんなどを使わないような代替え検査をするしかないわね」

「うん。理論的には、そうなるのう。とは言え、基準に書かれていない検査方法なり、基準値なりを、別途、定める必要が出てくる。もはや、それは、新しい基準を作ることになってしまう。すでに国際規格がある以上、海外諸国の了解を取り付ける必要もあり、まず、不可能と考えられる。

ただ、わしは、基準の元になった海外、例えば、アメリカの基準による検査では、幼児をどのように集めたのかと、疑問に思って伺ってみると、孤児院などの幼児でテストしたという話だった。これなら、孤児院の責任者の同意があれば可能だ。もし、一般の保育園、幼稚園の幼児でテストするとすれば、園の責任者だけでなく、個別の幼児の保護者の同意も必要じゃろう。大勢の幼児毎に親の同意を取り付けて回るのは、現実的ではないからのう」

「なるほど。他には、問題は、なかったの?」

「これだけ出てくれば、十分だと思うがのう。こういった打合せ結果をSさんに話したんだ。すると、Sさんから、『CRPの対象は、医薬品やその他の薬などが入れられることが多い。だが、医薬品などは、厚生省の所管だ。(当時の勤務先は、 通産省の所管だったので)実施に当たっては、通産省から厚生省に協議を申し出る必要があるだろう。多分、役所は、嫌がるだろう』と指摘されたのだ。まあ、通産省所管の物質を入れる容器ならば、できるだろうが、となると、対象となるCRPの数量が限られてきて、無理して実施してみても、お客さんがない可能性が高い」

「まさに、八方塞がりね」

「そうだな。結局、事業の実施は、見送らざるを得なかった。まあ、過去に『炭酸飲料瓶詰』という実施に至らなかった品目(農林水産省所管)があったので、その例にならったということだ。そうなったあとで考えると、Sさんが最初に『それ(の実施)は、難しいよ』と言ったのは、すべて、お見通しの上のことだったと思い、あらためて、Sさんの先見力と判断力に感心した」

「でも、事業の実施という意味では、失敗した訳よね」

「そうだな。しかし、行わないという選択も重要な選択肢の一つで大切だと思う。何でも、進めれば良いということではない。昨今、日本企業による海外企業を買収してみたものの、経営に行き詰まり、数年後に売却するケースが目立つ。売却時には、買収時より、損をすることが多いだろう。登山などでも悪天候などでは、引き返す勇気が必要だと言われるな。

たとえば、『八甲田山の第5連隊の悲劇』(東北の八甲田山系を訓練場として、第8師団の第4旅団に属していた、青森の第5連隊と弘前の第31連隊が雪中行軍を競わされた末に、指揮官の判断ミスや装備の不十分さなどに折からの悪天候が加わり、青森の第5連隊の約200名が凍死した事件(1902年(明治35年)1月~)を指す。)、このとき、青森の第5連隊は、天候の悪化を知って、途中で、首脳陣が進軍すべきか否かを協議していた。しかし、数名の下士官が進軍を進言したのを見て、大隊長が協議を打ち切り、命令一下、やみくもに進んで大きな犠牲を払う結果となった」
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(2)実験は良き批判者である

「科学では、特にガリレオ・ガリレイ以降、よく計画された「実験」が既存の説の立証や反駁に利用されるようになった。さらに、思考実験を含めて、それらにより、新しい理論に導かれることもあった。このように実験は、理論にとって、師であり、また、友として、良き批判者となったのだな。まさに、『批判』こそ、科学を進化させた原動力の一つであることを思い知らされる」

「なるほど。実験以外にも観察や観測もあるでしょう。でも、それは、当たり前のようにも思うけど」

「たしかにのう。『歴史をたどる物理学』(我孫子誠也著:東京教学社:1991年3月訂正31刷)の冒頭に自然科学という分野について、概ね、次のような記述があった。
(1)自然現象の中で比較的単純て普遍的な現象を扱う。
(2)現象の法則性をとらえて、原理的な立場から説明しようとする。
(3)現象を人為的に起こさせ、その現象を数量的に測定する。(実験の導入)
(4)ある理論に基づいて数式を立て、計算結果と実験結果を比較し、理論の当否を検討する。(理論と実験との比較・検討)
 同書によれば、『(1)や(2)のような特徴を持った見方は、古代ギリシアの自然哲学で見られる。(3)や(4)のような特徴は、アレキサンドリアの自然学にそのはしりが見られるが、方法として、確立するのは、17世紀、ガリレオやニュートンの出現を待たねばならなかった』ということだ。現代のともちゃんが(3)や(4)を当たり前のように感じるのは、当然だが、一気にそうなったわけでは、なかったのじゃな」

「身近な自然現象というのは、水や火や大気や大地や木や太陽や月などね。同書によれば、『万物は水から造られる』と言ったのは、『タレス(ターレス)』ということよ。タレスさんは、ギリシア数学の父ともたたえられている、前に『数値積分(1)(台形公式とベルヌイ数)』(DERIVE(デライブ) de ドライブの第52回)で触れている」

「ピラミッドの高さを比例の考え方を使って測定したという話で登場してもらったな。タレス(ターレスとも書く)は、『紀元前624頃~前546頃 古代ギリシャの哲学者。ミレトスの人。ギリシャ七賢人の一。イオニア自然哲学の創始者。万物の根源を水とした。また,幾何学・天文学・航海術などに通じ,日食を予言した。』(大辞林4.0))。『ミレトス』は、場所の名前で、下のあたりだ。左の水色の部分は、地中海で、右側は、現在は、トルコに属している」

(Googleマップ)
「タレスの弟子のアナクシマンドロス(『紀元前610頃~前546頃 古代ギリシャ,ミレトス学派の哲学者。タレスの弟子。万物がそこから生成しそこへと消滅する根源(アルケー)を,「無限定なもの(ト‐アペイロン)」として提示した。天文学の研究も行い,天球儀を作ったといわれる。』大辞林4.0)の考えは、後年の目に見えない原子・分子の考え方の芽とも考えられる、ということね」

「その他にも、『万物の根源は火である』(ヘラクレイトス:『紀元前五~六世紀のギリシャの哲学者。万物の根源を火と考え,万物は永遠に生成変化する(万物流転)が,その流動のうちに調和と理法があると説いた。生没年未詳。』)もいた。同書によれば、これらの考えは、観念的のようにも見えるが、身近にあった水の循環や火の燃焼のような現象を観察した結果をもとに考え出したという意味で、数学に基づいて、世界のモデルを導こうとした『ピタゴラス学派』とは、異なっていた」ということじゃ」

「ピタゴラスさんに、なんか、親しみを感じてしまうのは、『ピタゴラスイッチ』のせいかしら。それは、ともかくとして、ピタゴラスは、上の地図で言うと、サモス島の出身と伝わっている。大辞林によれば、『紀元前560頃~前480頃 ギリシャの哲学者・数学者。サモスの生まれ。南イタリアのクロトンで宗教的学派を創設。宇宙の根源は数であるとし,数学・天文学の発展に寄与した。ピタゴラスの定理などにその名が残る。ピュタゴラス。』と記載されているわ」

「以前にピタゴラス音階という話題でも、お名前が出てきたことがあるのう。『人物で読む 物理法則の事典』(米沢富美子 総監修:朝倉書店:2016年4月初版第2刷)の『ピタゴラス』の項によると、『サモス島に生まれて、数学や哲学の勉強(当時は、師について学ぶ)した後、師の勧めで、エジプトに渡ったという。エジプトでは、数学の他に、秘密主義、宗教、衣服や食事などの規則なども学んだ。あちこち旅した末に南イタリアのクロトンに自身の学んだことを教えるための教団を開いた。これが『ピタゴラス教団(学派)』と呼ばれることになった。有名なピタゴラスの定理も教団の生んだもので、ピタゴラス自身が発見したのかどうかは、定かではないという。この教団には、男性のみならず女性も入団が許されて、数学や音楽を学んでいた。』とある。

と、ま、ここまで、記載してきたが、とある事情で、今月は、ここまでとさせていただきたい。尻切れトンボで申し訳ない」
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3.終わりにあたって

今回もご覧いただきありがとうございました。

次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
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 作成日:2020/11/20
一部加筆:2020/11/21
一部加筆:2020/12/18
一部加筆:2021/1/30

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