2017年5月のご挨拶

・コンピュータ事始め(日本語ワープロ)

目次

 (1) はじめに
  ワープロとワープロソフト
  そろばんから電卓、青焼きからコピー機へ
  ワープロの開発時の難題(漢字入力方法、印刷、文字コードなど)
  パソコンとスマホの日本語入力の比較
 (2) ワープロ以前
  手書き
  英文タイプライター
  和文タイプライター
  カナ文字タイプライター、ひらかなタイプライター
  ハングル、ふり漢字、キラキラネーム、国字
  8ビットコンピュータ(東芝パソピア)の日本語入力
 (3) ワープロの導入
 (4) ワープロの普及とパソコンへの移行
 (5) ワープロの功罪 
 (6) 市販のワープロソフトとワープロソフトを自作した人
 (7) 終わりにあたって

(1)はじめに

ワープロとワープロソフト

「2017年1月の第1回の『新・コンピュータ事始め』では、FAX を取り上げた。
 今回、第2回目は、日本語ワープロ(以下「ワープロ」とも書く)を取り上げよう。
 ワープロは、1980年代から1990年代まで、ざっと、20年ほど、日本で、盛んに使われたな」

「いわゆる、ワープロ専用機のことね。
 確か、もう生産していないって、聞いたけど」

「おお、ともちゃんかい。
 だいぶ暖かくなってきて、汗ばむくらいの日もあるのう。
 ともちゃんが言うように、ワープロの生産は、2000年頃に終了したとのことじゃ。
 東芝のワープロが世に出たのは、1978年じゃが、この年に注目してもらいたいんじゃ。
 1978年というのは、個人向けパソコン(当時は、『マイコン』と呼んでいた)が出始めた時期に一致している。
 それ以前は、コンピュータと言えば、大企業などの電子計算機室に鎮座している大型のものや小さくてもオフコンが主流じゃった。
 左図は、大型コンピュータのイメージ。
 (磁気テープ装置のイラストが見つからなかった。当時は、外部記憶装置の代表じゃったが)
 それらは、一般の個人が直接、触れられるものではなかったし、まして、家庭で利用できるものではなかった。
 しかし、1980年前後から、個人向けのコンピュータが各社から相次いで発売されて、大きな話題となったのじゃ」
「私の(マイ)コンピュータだったわけね。
 1980年頃から、コンピュータ関係の新製品が輩出された背景には、1960年~1970年代の研究開発があってのことは、分かるわ」
「ワープロについては、ウィキを始めとして、多くのサイトに網羅的な記事がある。
 なので、以下では、ワープロ以前や、ワープロとわしとの関わりなどについて、主として、触れていきたい。
 なお、ともちゃんが言うたように、ここでは、『ワープロ』は、『日本語ワープロ専用機』を指すことにする。
 パソコンで使う、マイクロソフトの『ワード』やジャストシステムの『一太郎』などは、『ワープロソフト』と呼ぶことにしよう」
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そろばんから電卓、青焼きからコピー機へ

「そもそも、『オフィスオートメーション』(OA)が盛んに唱えられるようになったのは、ワープロやパソコンが販売された頃じゃったな。
 ま、明治や大正時代は、筆書きの時代もあったが、次第に、鉛筆、万年筆に代わり、縦書きの帳簿から横書きの台帳等にかわっていった。
 1960年頃より、大企業では、基幹システムにコンピュータの導入も始まったが、中小企業には、縁が薄い話じゃった。
 一方、一般事務の分野では、手紙に代わり、電話が多用されるようになったことを除くと、青焼き(※)に代わりコピー機が導入されたり、そろばんが電卓になったりした。 
 ※青焼き:1920年にそれまでの鉄塩の感光性を利用した青写真(1842年に英国のハーシェルが発明)に代わりジアゾニウムの光化学反応を利用した『ジアゾ式複写機』が発明された。当初は、湿式であったが、その後、乾式のものが現れると、湿式のものを『青焼き』、乾式のものを『白焼き』と呼ぶようになった。
 更に、カーボントナーを用いたコピー機(1955年 米国ゼロックス社が開発)が普及し出すとそれを『白焼き』、ジアゾ式のものを『青焼き』と呼ぶようになったとある。 (この部分は、ウィキの『青焼き』による)
現在は、将来設計を『青写真』と呼ぶ程度でしかこの言葉は、使われなくなっているなあ。
 さて、そのワープロじゃ。
 東芝が世界で初めて、日本語ワードプロセッサー(JW-10)を市場に送り出したのが、1978年(昭和53年)のことだ。
 価格は、1台630万円だったとのこと。(ウィキによる)」

「へー。めっちゃ高いね。
 でも、『かな漢字変換』ができたことがすごいことだったんでしょ?」
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ワープロの開発時の難題(漢字入力方法、印刷、文字コードなど)

「そうじゃな。
 今では、当たり前のように使われている『かな漢字変換方式』じゃが、ここに至るまでの道筋は、容易なものではなかった。
 入力方法以外の問題としては、印刷、すなわち、プリンタの問題じゃ。
 字画の複雑な漢字をきれいに印刷することも難易度が高かった」

「つまり、
 入力:漢字入力方式、
 出力:画数の多い漢字の印刷、
 がポイントだったということね」

「うん、ともちゃんの書き方にならうと、
 編集:コンピュータ内の文字コード(漢字コード)、
 表示:コンソールに代わるブラウン管式モニタ(CRT)、

 上の図:CRTが普及する以前のオフコンのコンソールタイプライタ
 保存:紙テープやカセットテープに代わるフロッピーディスクなどの記憶媒体、
 なども重要なポイントだったようだ」

「なるほど。
 文字コードか。
 たしかに、英文の場合は、せいぜい、制御文字(文字以外のプリンタなどを制御する文字)を含めても、1文字に7ビットを割り振れば、最大128文字まで、使えるので、パリティビットを付け足しても8ビット、すなわち、1バイトあれば、おつりが来るわ。
 だけど、漢字では、1文字に、少なくとも、2バイトを割り付けて、最大65536文字(256×256)ぐらいまで使えないと実用に耐えないもんね」

「そうじゃな。
 大まかに言うと、漢字コードは、Shift JIS ⇒ EUC-JP ⇒ UTF-8 のような流れで変化してきている。
 ちなみに、このHPの文字コードは、UTF-8 じゃ。
 当初、1バイト系の文字(半角英数字記号、半角カタカナ)と2バイト系の文字(全角英数字記号、全角カタカナ、ひらがな、漢字)を先頭の1バイトで区別できる『シフトJIS』コードが主流だった」
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パソコンとスマホの日本語入力の比較

「ふ~ん。
 あたしは、ワープロを使わなかったけど、今でも、パソコンやスマホの日本語入力機能は、必須ね」

「現在、パソコンでは、『JIS配列キーボード』と『かな漢字変換(ローマ字入力またはかな入力)』により日本語を入力することがほとんどじゃ。
 もとより、キーボードには、『親指シフト配列』の『OASYSキーボード』があるが、かなり少数派となっている。
 一方、スマホでは、少し状況が異なる。
 つまり、画面の物理的寸法による制約で、フルキーボードを表示できないというか、無理に表示させても、指の太さの関係で正確にタップできない。
 まあ、外付けのキーボードを利用する方法もあるし、Sony Xperia Z2などのタブレットでは、画面に表示されたQWERTY配列のキーボードからの入力も可能じゃがな。
 下図は、Xperia Z2の画面に表示させたフルキーボード。

 
 一方、『ケータイからスマホ(前編)』で解説したスマホの『super ATOK ULTIAS』では、漢字、ひらがな、カタカナを入力する際、 

 あ・か・さ・た・な・・のかなの先頭の文字をロングタップで続く、文字を表示させるか、
 または、そちらの方向に指をスライドさせて離すことによる入力方法じゃ。
 これは、どちらかというと、かな入力じゃな。
 実のところ、わしは、パソコンでは、未だに『かな入力』派なのだ。
 で、ケータイやスマホの入力方法は、ちょっと、カルチャーショックじゃった」

「えっ、それは、逆じゃないの。
 ローマ字入力の人が、あたしもその一人だけど、ショックを受けるのは分かるけどさ」

「それは、こんな意味じゃ。
 ケータイやスマホの入力では、『あ』行であれば、『い』以降は隠れていて、『あ』をタップ後、い・う・え・お、と順に繰り出してくる、その順番に慣れる必要がある。
 パソコンのかな入力では、あ・い・う・え・お、は、『あ』のキーから順に現れるのではなく、キーボードにそれぞれ独立した位置があるのでな。
 例外は、『わ』と『を』、『や』と『ゃ』、『ゆ』と『ゅ』、『よ』と『ょ』、『あ』と『ぁ』など同一の位置の文字をシフトキーで切り替えることかの」
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(2)ワープロ以前

手書き

「えー! 手書き?」

「そりゃ、どこの国の人たちも、最初は、文字を手で書いていたじゃろう。
 木や大地や石にだって書いた(というより刻んだというべきかな)こともあろう。
 いまの日本であれば、筆、鉛筆、万年筆、ボールペン、などの筆記用具が使われている」

「お習字、やったわね。
 うまくかけなかったけどさ」

「鉛筆というのは、便利なもので、筆のように水や墨を必要としない点が優れている。
 ただ、消しゴムで消せる点は便利だが、こすると読みづらくなるし、文字の色が薄いので、読み違いも起こりやすい。
 一方、万年筆は、その名の通り、水も墨も必要としないし、色もはっきりしているが、乾かないうちにこするとにじんでしまう」

「たしかに。
 その点、ボールペンは、万年筆の改良版ね」

「わしは、この頃、専ら、ボールペン、1mmの油性のものを使っているがの。
 ところで、後で紹介する本の中で、著者の梅棹忠夫氏が語っているように、鉛筆や万年筆で、書道から解放され、タイプライターによって、手書きから解放されたとな」

「1980年以降は、ワープロやパソコンだしね。
 なので、現代では、手書き、特に、筆文字にあこがれるところは、あるのでしょうね」 

「NHKの金曜ドラマ 『ツバキ文具店(鎌倉代書屋物語)』などを見ると、そんな気もしなくもないがのう。
 ま、ご自身で、筆をもって書いてごらんになれば、たちまち、現実に引き戻される人が多いと思う。
 なお、ワープロやパソコンの普及と同時に、用紙サイズの国際化が進んだことにより、日本独自規格のB5やB4などB版用紙の出番が少なくなった。
 本来であれば、こういった用紙にも触れる必要があろうが、あまりに本筋から外れすぎるので、またの機会としよう」
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英文タイプライター

「日本国語大辞典によれば、『英文タイプライターは、1874年(明治7年)にアメリカのレミントン商会により実用化された』とのことじゃ。
 文字(アルファベットや数字じゃが)を、正確に、きれいに、速く、書くための自動化(オートメーション)の第1歩が『英文タイプライター』じゃったわけだ。
 付け加えるまでもないが、欧米では、タイプした文書が正式なもので、手書きは、草稿の扱いじゃ。
 カーボン紙を挟むと複写がとれる。
 なお、すでに、本などの印刷は、グーテンベルク(1400年頃~1468年)の活版(活字を組む)印刷で実用化されていた。
 しかし、活字を拾う方法では、一般人が卓上で文章を作る手段には、なり得なかった。
 一方、欧文の場合、前述のように、使う文字種が少ないので、活版印刷にヒントを得て、『活字』を何らかの機構を介して紙に押し当てて印字するというアイデアは、浮かびやすかったんじゃないかと思う。
 実際、レミントン商会が販売を開始した商品以前に、様々な形態、機構のアイデアや試作品が現れたようじゃ。
 この間の歴史は、『タイプライター』(ウィキペディア)を参照してほしい」

「意外と最近のことなのね」

「おいおい、明治の初めじゃぞ。
 ともちゃんに、最近なんぞと言われるとな、なんだかな。
 電話の発明が1876年(明治9年)だから、ほぼ、同時期じゃ。
 また、平行して、電信(1897年 マルコーニによる英仏間の電信成功)技術も発達していった。
 商業取引や外交では、電信がとりわけ重視されたわけじゃが、人が打電したり、聞き取って紙に書き写していたんでは、効率が悪い。
 そこで、自動的に受信や送信することが求められたという背景を理解しておく必要があろうな。
 このためには、受信した電気信号により、自動的にタイプする機械や打電するデータをまとめて作成しておく機械が求められた。
 タイプライターは、手動式⇒電動式⇒電子式、というような変化をたどったようじゃ。
 左図は、電子式(だと思われる)もののイラストじゃ。
 なお、印字ヘッドに2つの文字を備えておき、シフトキーで切り替えて、印刷することで、キーの数を半減させたことは、大きい。
 このシフトキーによる工夫は、初期のタイプライターですでに実装されていたとのことじゃ。
 英字には、大文字と小文字があるじゃろう。この2つあることがシフトキーの発明のきっかけになったのではなかろうかと思う。
 わしは、英文タイプライターには、学生時代に触って、実際にタイプしたことはあったが、タイプライターは、我が家には、なかったのう。
 英文タイプライターが、ご家庭にある方は、ごく少なかったじゃろうな」

「タイプミスした場合は、どうするのかな?」

「1文字程度なら、通常のインクリボンに代えて白い修正リボンを介して間違った文字を重ねて印字後に正しい文字をタイプしてしのげたように思う。
 とは言え、記憶装置がないので、1行抜けてしまったような場合は、最初から、打ち直すか、後で切り貼りするなりしないといけなかった」

「電動タイプライターには、紙テープのさん孔装置がついているのがあったようね。
 2月にFAXを取り上げたときに出てきた『テレックス』と同じね」

「ウィキの写真などを見ると、電動式のものも紙テープさん孔装置は、ついておらんが、付いているものは、あったじゃろう。
 かのエジソンも電動式タイプライタを考案していたそうじゃ。
 タイピストが打ったデータを紙テープに印字しておき、まとめて、送受信するのが効率的であったろう」


「ウィキによると、
 キーのQWERTY配列は、もとより、シフト、キャリッジリターン(CR:改行)、ラインフィード(LF:行送り)、バックスペース(BS)、スペース、カーソルなど、タイプライターの用語や概念は、色濃く、今のコンピュータに継承されたことが分かるわね」
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和文タイプライター

「ここで言う『和文タイプライター』は、後述する『カナモジタイプライター』とは、異なり、漢字ひらがな交じりの文章を清書するための機械じゃ。
 ワープロやパソコンが導入される前は、契約書、申請書などの重要書類をタイプするとともにカーボン紙を挟むことにより、複写を取ることができた『和文タイプライター』は、必要なものじゃった。
 ある程度の規模の会社には、1台は、あり、和文タイプの訓練を受けた方が使っていたのを覚えている。
 素人が気軽に使えるものでは、なかったのう」

「なんか印刷機みたいのものなのかな。
 写真はないの?」

「触ってみたことは、あるんじゃが、写真は、撮らんかったな。
 ウィキで検索してみると、小型のものでも、活字は、1000から2000程度は、あったようじゃ。

 
 ※1942年の日本タイプライターの和文タイプライター(「これなあに」のサイトより転載。http://core.kyoto3.jp/)
 日本商工会議所などの検定試験が、かつて、行われており、1級から5級までがあったとのこと。
 日商検定試験は、昭和29年~62年まで行われていたとのことじゃから、和文タイプは、1987年以降、急速に姿を消したということじゃろう」

「機械を介してだけど、活字を一文字ずつ拾っては、紙面に打ち付けるというものなのね。
 なめらかに動作するのは、すごいわね。
 でも、活字の入った箱をひっくり返すと大変なことになりそう」

「和文タイプライターは、杉本京太氏により、1915年(大正4年)に発明された。(日本国語大辞典)
 ウィキで検索すると、杉本京太氏(1882年~1972年)は、その後、『日本タイプライター株式会社』(現 キャノンセミコンダクター)を設立し、『華文タイプライター』、『邦文モノタイプ』、『小型トーキー映写機』の開発を行った方じゃそうだ」

「大変な発明家だったのね」

「1985年に『日本の発明家十傑』に選ばれた。
 特許庁:https://www.jpo.go.jp/seido/rekishi/judai.htm、
 上記HPによれば、杉本氏以外の人々は、次の通り。
 豊田佐吉 (自動織機・木製人力機構)、
 御木本幸吉 (養殖真珠)
 高峰譲吉 (アドレナリン、タカジアスターゼ)
 池田菊苗 (グルタミン酸ナトリウム)
 鈴木梅太郎 (ビタミンA、B1)
 本多光太郎 (KS鋼、新KS鋼)
 八木秀次 (八木アンテナ、宇田アンテナ)
 丹羽保次郎 (NE式写真電送機(ファクシミリ))
 三島徳七 (MK鋼)、
 以上の9名の方々だ」 
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カナモジタイプライター、ひらかなタイプライター

「英文タイプライターや和文タイプライターと違って、『カナモジタイプライター』の実物は、見たり、触ったりしたことがないのじゃ」

「へー。
 英文タイプライターの文字がカタカナのものなのね?
 おじぃさんは、どうして、知ったのかしら」

「梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』(岩波書店:1979年7月第30刷(第1刷は1969年7月))に出てきていたのでな。
 同書については、2007年2月の『インターネット時代の知的生産の技術』について、取り上げている。
 氏は、英文タイプライターを使って、日本語をローマ字で書いていた時代があり、ローマ字の手紙を知人に送ったこともあったという。
 しかし、読みにくいと言われることが多かったという。
 梅棹氏も、その点は、強く意識していて、ローマ字に代わって、かな書きができるタイプライターがあると、よいと思ったそうじゃ。
 そんな頃、財団法人カナモジカイ、という団体を中心にして『カナモジタイプライター』が作られたことを知ったのじゃな」

「へー。
 カナモジカイ、というのは、そのものずばりで、すごい名前ね。
 この本によると、1960年頃には、カナモジタイプライターを販売している会社が、日本国内に10社ほどあったということね。
 アメリカ製、ドイツ製、イタリア製、スイス製などなど。
 梅棹先生は、ヘルメス社(スイス HERMES)のポータブルを購入したとあるわ。
 外国製品ばかり、ということは、英文タイプライターをカナモジ用に改造したということでしょうね」

「そうじゃろうな。
 英文タイプライターを国産するほどの国内需要がなかったろうから、勢い、工場や特許、ノウハウのある海外メーカーが作っていたと思う。
 同書にカナモジ運動の山下芳太郎氏が、初めて、アメリカのメーカーにカナモジタイプライターを注文して作らせたという話が載っている。
 この、『カナモジ運動』というのは、漢字を廃して、表記を、すべて、かな書きにしよう、という国民運動だった。
 なお、同様の発想に基づくローマ字運動は、明治の頃から始まったもので、すべて、ローマ字で書き表そうというものじゃった」

「ローマ字運動か、かなり大胆な発想よね」

「ま、非常に熱心な方は、いらっしゃったようじゃが、これまでの漢字やひらがな、カタカナを捨てて、ローマ字書きにするのは、多くの国民がついてこなかったのじゃろう。
 このローマ字運動は、物理学者で貴族院議員だった田中館愛橘博士とその弟子の田丸卓郎氏が有名だった。
 田丸氏の『ローマ字国字論』(1914年:岩波書店)は、梅棹氏も熱心に読んだとのことだ。
 氏も相当感化されたようで、戦後間もない頃に全文ローマ字書きの雑誌『Saiensu』を作ったが、3号まで出したところで、出版社が倒産して頓挫した。
 『わたし自身は、ローマ字を書きなれ、読みなれているから、べつに苦痛ではなかったが、なれない人にとっては、ローマ字は、日本語をかく文字としては、まさに、新字の一種にほかならなかったのである。少々不合理でも不便でも、いまの文字をすてて、あたらしい文字になれてやろうなどという人は、一部の篤志家をのぞいて、ほとんど、いなかったのである。すべての新字論がたどった運命のとおり、わたしのローマ字タイプライターも、壁にあたって、ついえた。』とある」

「なるほどね。納得するわね。
 この本によると、カナモジ運動は、ローマ字運動とは、べつに、第1次大戦後(1918年)、大阪の商工業界を中心に盛んになったということね。
 カナモジ運動は、元々、タイプライターと一緒に利用することも目指していたので、梅棹先生も、魅力を感じて、調べだしたとあるわ」

「それで、梅棹氏は、カナモジカイの代表である松坂忠則氏や実業界の大立て者である伊藤忠兵衛氏にも会われて、カナモジ運動の歴史やカナモジタイプライターの話などを熱心に聞いたようだ」

「伊藤忠兵衛さんという方は、たぶん、二代目の伊藤忠兵衛(1866年~1973年)さんね。
 初代は、伊藤商店を発展させて、伊藤忠商事、丸紅、という2つの総合商社の基礎を築いた方。二代目の忠兵衛さんは、それを発展させた。
 ウィキによると、『二代目忠兵衛はカタカナの使用を推進するカナモジ運動の草分けとしても知られ、1920年(大正9年)1月からカナモジカイの創立委員となり、日向利兵衛(東洋製糖)、片岡安、下村海南、平生釟三郎らとともにこの運動の有力メンバーとなり、1938年(昭和13年)10月には財団法人カナ文字会の理事となる。忠兵衛の影響もあって、伊藤忠・丸紅両社では戦前から戦後にかけて正式な社内文書にはカタカナが使われていた。
 こいつは、ビックリ。『伊藤忠』は、伊藤忠兵衛さんから来ていたとは。簡単な名前、に 2度ビックリ。
 でも、最近、いろんな会社で、社内公用語を英語にしようという動きが相次いでいるけど、それを彷彿させる話ね」

「梅棹氏は、同書では、直接、言及されていないが、商社などで相手先とやりとりする際に、電話では、記録が残らないので、テレックスなどを利用する。
 そうすると、必然的に、漢字は、困るわけで、カナタイプライターは、親和性があったと思われる。
 それにしても、忠兵衛氏のウィキのカナモジの説明には、驚いたのう」

「梅棹先生は、ローマ字にしろ、カナモジにしろ、目的は、日本語を速く、きれいに、読みやすく、しかも、複写がとれる方法で記述したいという欲求があったわけで、その模索の過程で、ローマ字タイプやカナモジタイプライターを使ってきたということよね」
「つまり、カナモジタイプライターは、当時の最先端の手段ということじゃ。
 まだ、コンピュータで日本語を扱える時代ではなかったからな。
 ただ、氏は、カナモジタイプライターのカタカナばかりの文章にも違和感を感じてはいたようじゃ
 『大正時代に発展したカナモジ運動が、なぜひらがなではなくカタカナを採用したのか、わたしにはよくわからない。そのころは、いまよりもはるかにカタカナをよくつかっていた。特に勅語とか、公文書などは、漢字とカタカナでかくのがふつうだった。そういうことと関係があるかもしれない』と述べている。
 この点は、わしが思うには、一つには、タイプライターとの親和性があるのではなかろうか。曲線が多いひらがなに比べて、直線が多いカタカナの活字の方が、印字した場合、目で読みやすいという長所があったのではなかろうかと思うのう」

「それで、梅棹先生は、ひらかなタイプライターに行き着いたということね。
 きっかけは、同書によれば、熱心なローマ字論者として知られていた、斉藤強三氏からの手紙を受け取って驚いたことね。
 斉藤氏は、ひらかな運動の方とタイアップして、ひらかなタイプライターを作らせた。
 『わたしは、ひらいてみて、ほんとうにおどろいた。その手紙は、横がきではあるけれど、まさに、わたしの夢みている「ひらかなタイプライター」でうってあるではないか』、
 『(ひらかなタイプライターを)つかってみると、わたしの予想どおり、まことによろしい。よみやすいし、これなら手紙をもらっても、ほとんど、抵抗なしによめるだろう。わたしは、日本語の筆記用具としてかなりの程度に満足できるものに、ようやくめぐりあったという気持ちになった。』とのことよ」

「うん。
 とは言え、時には、カタカナや英字を使いたい、ひらがなで、『たいぷらいたー』とか『こんびねーしょん』と書くのは、心理的抵抗があるとも書かれている。
 同感じゃな。
 氏の不満は、現在から眺めると、コンピュータやワープロで日本語が自由に利用できるようになったことにより、解消されたと思う。
 しかし、明治から昭和50年頃にかけて、日本語の表記方法について、大いなる運動があった。
 こういった運動は、『国粋的』と『合理的』という2つの面を持っていると思うが、そんな事実を知ってみるのも面白いことじゃ。 
 また、キーボードのかな配列については、梅棹氏は、同書執筆時、カナモジカイ式、電電公社式、旧日本海軍式、があり、研究と統一が望まれると話されている」
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ハングル、ふり漢字、キラキラネーム、国字

「脇道だけど、お隣の韓国では、漢字をなるべく使用しないで、ほぼ、ハングルだけになったわね。
 韓国のハングルは、『朝鮮固有の文字。李朝第四代の世宗によって制定され、一四四六年「訓民正音」として公布された。アルファベットのような表音文字でありながら、漢字の原理を取り入れ、母音字と子音字を組み合わせて音節単位に書くのが特徴で縦書きも横書きもできる。子音字は、口、歯、舌などの調音器官にかたどったものが基本となっている。制定当時は母音字11、子音字17の計28字であったが、現在では母音字10、子音字14の24字が用いられている。』(日本国語大辞典)
 1970年頃の漢字廃止政策により、ハングルだけの表記が新聞、雑誌、道路標識などに取り入れられている。
 だから、わたしたちが韓国に行っても、中国と違って、ハングルを知らないと、全然、分からないわけね。
 また、若い世代を中心にして、漢字を読めても書けない世代が増えているそうね」

「ちょっと、脇にそれたのう。
 ウィキの記述で、いまさらではあるが、ハングルは、ひらがなやカタカナと違って、漢字の一文字をハングル一文字で書くことができる、ことを知って驚いたな。
 日本語でたとえると、『にほん』を下図のような文字として、表す、ということだったんだな。(図の下は、本当のハングル文字)
 
 일  본
 これなら、ハングルでは、日本語の漢字とひらがなのように、漢字を使うと、文章の文字数を少なくできる、というメリットはない、というWebの説明も納得じゃ」

「だから、韓国で、ハングルだけにしても、不便というか、読みづらい、ということはなかったのね。
 また、私たちがハングルを見たときの、文字がたくさんある、と思うのは、ある意味錯覚で、1文字の中に子音と母音の字を組み合わせているためか。
 これなら、1つの文字の異なる形を独立して勘定すれば、多数あるけど、分解すると、大辞典で言う24字~という意味なのね」

「ま、上の説明は、こんなことかな、という推測じゃから、正確には、インターネットなどでハングルの字形の説明を調べて欲しいのう」

「えーと、しつこいようだけど、ハングルの入力や印刷は、どうなっているのでしょう?
 要素となる文字を組み合わせているのか、あらかじめ、作っておいたものを印刷するのかしら?」

「ハングルをキーボードから入力する方法をインターネットで見てみると、
 たとえば、日本語のかな入力で、『ぼ』は、『ほ』の後に『゛』(濁点)を追加入力すると一文字に合成されるように、ハングルも要素を入力して一つの文字として認識させるようじゃ。
 一方、ハングルの文字コードを調べて見ると、要素の組み合わせではなくて、異なった字に独立したコードを割り当てているので、最大で、1万程度になる。
 なので、印刷の場合は、漢字と同様に、その都度合成するのではなく、独立したフォントデータにより印字されると思われる」

「この間の『日本人のおなまえ』(NHK)を見ていたら、『中国では、時代や地域を一定とすれば。漢字の読みは、基本的には、一通りしかない。
 けれども、日本では、同じ漢字でも、様々な読み方をする場合が多い
』という趣旨のことを金田一秀穂先生が仰っていた。
 もちろん、中国から来た漢字であれば、音読み、訓読みの2通りは、あるでしょうが。
 番組では、『清水』(しみず)は、なぜ、しみず、と読むのかという説明には、驚いたわ。
 和語の『しみず』(きれいな水が湧くところ)という言葉が先にあり、そこに適切と思われる漢字を持ってきて当てはめた、という。
 まさに、 『ふり漢字』とでも言うべきものだそうね。このあたり、私たちのご先祖様の融通自在さが、面白いわ」

「『清水』も最初は、『しみず』とは、多くの人が読めなかったじゃろうが、時代とともに読めるようになった。
 ところで、2000年頃から、赤ちゃんの名前に盛んに使われるようになった『キラキラネーム』も、親が付けたい読みが先にあって、そこに漢字を割り当てたといえるものじゃな。
 その際、漢字の普通の音訓を無視して使った名前が、このように呼ばれているのじゃろう。
 一方、番組で紹介された名字の『東海林』が『しょうじ』と全国的に周知されたのは、歌手の『東海林太郎』さんの影響が大きいとのことじゃった。
 今でも、山形では、一般には、『東海林』は、『とうかいりん』と呼ばれていることなど、知らなんだ、という知識満載だったのう。
 ま、キラキラネームのお子さんも後世に名を残すようになれば、案外、その読みが定着するかもしれんのう。
 さて、漢字には、日本で作ってしまった文字もある。
 『畑』(はたけ)は、日本で作った漢字(国字)だそうだ。
 わしが昔、台湾に行ったとき、あなたの名前の『畑』は、中国には、ありません、と言われて、ビックリした。
 日本に帰って、調べると、たしかに、中国のはたけは、『畠』だった。
 ま、火に田で、はたけとしたかったご先祖の考えは、分かるが、『畠』も特に画数の多い文字ではなく、なぜ、新規に作ってしまったのか、疑問が残った。
 こんなことも、『日本人のおなまえ』で取り上げて欲しいのう」
※ 『畠』も国字の可能性が高いそうです。(2019/12/2 追記)
「国字は、成り立ちから基本的には、『音読み』がないけど、例外的に、あるものもあるのね。
 たとえば、働く(はたらく=訓読み)の音読みは、『どう』。
 ていうか、『有働』さん、あんたも国字だったんかい!」

「これも、驚いた。今回は、驚くことが多いのう。
 国字の正確な数は、不明じゃが、ウィキによると、1600程度と書かれていた」
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8ビットコンピュータ(東芝パソピア)の漢字入力

「1982年2月、わしが最初に買った8ビットパソコンの東芝『パソピア』は、4桁の漢字区点番号を入力して日本語を表示・処理・印刷できた。
 パソピアは、CPU 8ビット、4MHz、メモリーも64KB、外部記憶装置が5インチFD(256KB)×2枚。
 漢字は、コード表から探して入力する方法じゃった。
 下図は、パソピアの漢字コードを印刷して作った漢字区点番号表の一部じゃ。
 東芝の80桁のドットインパクトプリンターで印刷したものじゃ。
 全角文字は、半角文字に比して、縦横2倍(いわゆる4倍角)でしか印字できなかった。


 下図は、「あ」の部分の一部拡大。


 このようなコード表を引く方法では、会社名とか人名を入力することもなかなか手間がかかり、まして、文章を入力するのは、ほぼ不可能じゃったな。
 なので、あらかじめ定められている単語や数の少ない文字、たとえば、『型式確認証』とか『品目名』、『乳母車』は、漢字を使った。
 じゃが、多数あった会社名などは、半角カタカナで入力、処理するほかは、なかった。
 1987年頃には、PC 9801などの16ビットパソコンが現れて、MS-DOSを利用できるようになった。
 この頃になると、日本語入力機能をワープロソフトから切り離した『日本語入力フロントエンドプロセッサ』の概念が生み出された。
 たとえば、『一太郎』では、Ver.3.1 から、そのような機能が実装された」

「えーと、それは、つまり、一太郎以外のアプリケーションを実行する際も、一太郎の日本語入力(ATOK)を使えるようになったわけね。
 なるほど、そのおかげで、MS-DOS上で動作するBasic言語で作成した社内向けシステムで、ATOKを利用できたということか」

「そういうことじゃ。
 当時、一太郎を購入すると、MS-DOSが同梱されていた時代じゃったからのう。
 パソピアで作ったプログラムを移植して、データを移行するのは、大変じゃったが、メリットは、大きかった。
 ※『コンピュータ事始め(NEC PC 9801)』(2006年4月)参照。
 まるで、夢のような話じゃ。
 しかし、ハードディスクがない時代に、2枚のフロッピーにMS-DOSとATOK、辞書、社内システムのデータ等を入れると一杯になり、苦労した記憶がある」
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(3)ワープロの導入

「日本語ワープロの開発や歴史については、下記のようなページがあるので、詳細は、これらを見て欲しい。
 ・ コンピュータ博物館 http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/
 ・ ワードプロセッサ ウィキペディア
 ・ 東芝未来科学館 http://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/ichigoki/1978word_pro/index_j.htm
 ・ ワープロ20年を振り返る(アスキー 1999年) http://ascii.jp/elem/000/000/314/314262/
 ・ JW-10 東芝のワープロ初号機 ウィキペディア
 ・ 日本語ワードプロセッサの研究開発とその社会的影響(PDF文書) 森 健一 本田財団
 ここでは、勤務先にワープロを導入する際の思い出などを書き残しておこうと思う」

「おじぃさんのパソコンは、いつ頃からワープロソフトを入れて使うようになったの?」

「ワープロとしても利用するようになったのは、NECの16ビットコンピュータである、PC 9801が出てからじゃな。
 PC 9801と一太郎との組み合わせでワープロとして利用できるようになった」

「なるほど。
 『コンピュータ事始め(PC98全盛期)』(2006年5月)では、一太郎のバージョン2.0から使い出したとあるわ」

「よう覚えているな。
 こっちは、書いたことをすっかり忘れそうになっておった。
 5インチFD2枚組とある。(左図)
 バージョン3.1から、MS-DOSが同梱されるようになった。(1987年頃)
 わしが、パソピアの次に購入した、PC-9801 VM 21で使っていたと思われるのう。
 一太郎 イコール パソコン、パソコン イコール 一太郎、という時代が続いたな」

「お勤め先では、PC 9801を複数入れたのではないのね」
「そうなんじゃな。
 一つには、まだ、パソコンというものが、世の中に受け入れられていなかった、
 もう一つは、価格面じゃろうな。
 急速にワープロの価格が低下してきて、個人や会社も、こぞってワープロを導入しようとしたのじゃ」

「いろんな会社から発売されたようね」

「そう。いろいろな愛称がついていたな。
 シャープの書院、
 NECの文豪、
 東芝のルポ、
 カシオのワード、
 富士通のOASYS、
 キャノンのキャノワード、
 ソニーのプロデュース、
 その他、日立の製品もあった。
 個人用のものは、プリンタ内蔵式が人気があった。
 一方、企業向けは、プリンタを外付けにすることにより、プリンタを大型化して、A3サイズまでの印刷に利用できるものも出た」

「まさに、百花繚乱ね」

「勤務先に導入するまでは、社内的には、ほぼ、手書きの文書が使われていたのじゃな。
 前に述べた、和文タイプライターは、あったが、使える人は、ごく限られていたし、どうしてもタイプする必要があるものだけに絞っていたからな。
 今、手元には、ワープロ導入時の起案文書は、ないのじゃが、導入理由、つまり、ワープロを入れると、どんなメリットがあるか、という説明には、苦しんだのう」

「実際に使った人にしか伝えられないでしょうね」

「そういうことじゃ。
 これまであった機械が新しくなった場合は、理解されやすいが、パソコンやワープロのような全く新しい製品の場合は、難しい。
 こういうことにも詳しかった Yさんと二人で相談しながら理由を考えた。
 メリットとして、
 ・ 過去のデータの再利用、
 ・ テンプレートを使うことにより文書の標準化、
 ・ ペーパーレス化、
 などを並べたような気がする」

「いつ頃、導入されたの?」

「それがはっきりと記憶していないんじゃ。
 たしか、製品は、キャノンのキャノワード、3.5インチFD 2枚が入ったと思う。
 まだ、ハードディスクが搭載されていなかったろう。
 1990年前後かな。
 当時は、総務部、業務部などに1台ずつ、計 3台入ったと記憶している」
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(4)ワープロの普及とパソコンへの移行

「その後、一人一台までは、いかないものの、3人に1台程度は、ワープロを使えるようになった。
 次第に、ワープロが空いていないのが不便になっていった」

「それで、どうしたの?」

「ワープロを部署ごとではなく、置き場所をいくつかにまとめて、空いているワープロをどの部所の人でも使えるようにしたんだと思う。
 ただ、ワープロを導入したことにより、あまりよくない現象も出たように思う。
 たとえば、
 ・ 手書きと異なり、何回でも修正できるので、文書の作成時間が延びる傾向があった、
 ・ テンプレート(ひな形)を利用する方法が身につかない方が多かった、
 ・ 過去文書を呼び出しても、独自に修正しがちなので、必ずしも作業時間が短くならなかった、
 ・ 試し印刷をするので、むだな紙の需要が増えた、
 ・ スタンドアローンで、かつ、フロッピーベースなので、文書の個人化が進んでしまった、
 などだろう」

「なるほど。
 でも、キーボードに慣れた効果はあったでしょう?」

「キーボードの扱いと『保存』という操作には、慣れたと思う。
 パソコンが本格的に導入されても、この2点には、驚かないで済んだと思う。
 心配された過去のワープロ文書は、変換ソフトでパソコンで使える一太郎やワード文書に変換できたというし。
 一方、罫線などが解除されたものもあったようだ」

「ワープロの生産は、終了したよね」

「生産が中止された2000年以降も、全国的には、使い続けている方もいらっしゃると思う。
 パソコン教室の生徒さんでも、ワープロからワードに変更した方がいたので、わしのところで、ワード文書に変換してあげた。
 使ったソフトは、『コンバートスター』であったかのう。
 (システムポート株式会社:http://www.systemport.co.jp/product/index.html)
 変換元と変換先をかなり自由に選択できた気がする。
 今見ると、変換元と変換先の対象機器を絞り込んだ『セレクト』と盛り込んだ『統合版』があるようじゃ。
 現在も販売されているところを見ると、それなりの需要があるということかのう」
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(5)ワープロの功罪

どんな製品にも言えるが、ワープロにも、功罪両面があったと思う。
 プラス面には、
 ・ 日本語入力技術の発展、
 ・ 画数の多い文字をきれいに印刷、表示するために、プリンタやCRTの進化、
 ・ 漢字を含めるとデータ量が英数字のみの倍以上となるため、フロッピーディスクなどの記録装置の大容量化、
 ・ 家庭・中小企業へのデジタル機器の進出の先駆けとなった、
 マイナス面としては、
 ・ 日本国内の利用に限定された製品であったことから市場規模が限られていた、
 ・ パソコンとほぼ同時期に発展したため、パソコンの需要を一時的にせよ、消費してしまった、
 ・ 各社のユーザ囲い込み策のために、データ互換性が乏しかった、
 ・ ネットワークへの対応が難しかった、
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(6)市販のワープロソフトとワープロソフトを自作した人

16ビットパソコンが普及するようになると、一太郎以外にも、様々なワープロソフトが現れた。
 『日経バイト』の1989年5月号の『日本語ワープロ、新展開へ』という見出しの記事によると、次のような製品が取り上げられていた。
 狭い意味のワープロ機能以外に表計算、データベース、図形処理機能を含んだ製品もある。
 IDOQ2  アスキー、
 親指君Ⅱ アスキー、
 HyperX 1.3  エイセル、
 オーロラエース Ver2.0  大塚商会
 新松  管理工学研究所、
 言図/言図絵巻  クレオ、
 創文  エー・アイ・ソフト
 EGWord 3.1  エルゴソフト、
 KOA-Techno Mate  高電社、
 一太郎 Ver4.0  ジャストシステム、
 duet  ジャストシステム
 デスクup  ダイナウェア、
 八方美人  ダイナウェア、
 コラージュ  デービーソフト
 Queen Ⅲ  日本マイコン販売、
 テラTOWNS 日本マイコン販売、
 Z WORD JG Ver2 ツァイト
 P1.EXE  デービーソフト、
 VJE-PEN Ver2  バックス、
 PRESBOX  リード・シックス、
 まだ、Wordは、現れていない。(Wordが広く日本で周知されるのは、1995年以降)
 さらに、ワープロソフトを自作してしまう個人の方も現れた。
 たとえば、日本マイコンクラブの会員誌『マイコンサーキューラ』(1989年9月)で紹介された弁理士の方は、『LTWORD』という自作のワープロソフトを公開されていた。
 これは、MS-DOS上のBasicで動作するプログラムで、一部、機械語を駆使した労作のようだった。
 特徴は、漢字入力方法が連想記憶式とでも言うべきものじゃった。
 たとえば、『本』⇒HN、『日』⇒DD、『は』⇒HA、『晴』⇒80、『天』⇒9、などと入力する。
 漢字一文字に英数字1~2桁を打つことにより漢字が現れるというものだ。
 最大の問題は、漢字を知らないと連想が思い浮かばないことだろう。
 この方以外にも、ワープロソフトを自作する方は、いらっしゃったようだ。
 個人の方も巻き込んだワープロソフトの華々しい競争は、2000年頃まで、続いたと思われる。
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(7)終わりにあたって

 今回もご覧いただきありがとうございました。
   日差しがまぶしく感じられる日も多くなってきましたが、どうぞ、皆様、ご自愛くださいますようお願い申し上げます。
   2017年4月で、Windows VISTA に対するマイクロソフト社の延長サポートが終了しました。
   また、本年後半の10月には、Office 2007 に対するサポートも終了します。

   インターネットに接続してお使いの方は、セキュリティが厳しい状態になりますので、最新版等への乗り換えをご検討ください。
   では、次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
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 更新日 2017/5/3、文章を微修正 2018/9/26、
「これなあに」のアドレスを修正 2019/8/8
『畠』が国字であることを追記 2019/12/2

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