会員の皆様へ(2006年5月のご挨拶)

コンピュータ事始め(PC98全盛期)

目次

 牡丹の花に想う
 個人の情報発信が活発に
 わたしは、ここにいます
 曼荼羅の周辺の仏たち
 負の情報発信
 8ビットパソコン用OS CP/M
 PC9801 VM21
 緑電子のハードディスク
 ワープロソフト 「一太郎」
 Turbo Pascal パスカル言語
 PC9801 FS2
 PC9801 AP3
 PC9801 Xa13
 PC9821 Xa200
 終わりにあたって

牡丹の花に想う

今年も牡丹の花が咲く時期になりました。
 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」。
 牡丹の花は、低い位置に咲きます。
 どっしりとしたその姿は、まさに百花の王と言って差し支えありません。

 みなさま、お元気でお過ごしでしょうか。
 さて、最近の総務省の統計(http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/060413_2.html)によれば、ブログを1ヶ月に1回は更新している者が800万人を超えているとしています。
 この中には、当然、重複している数もあるとは思われますが、いずれにしても相当数に上っていることは、確かです。
 インターネット利用者数が7000万人を超えているとされていることから、大まかに言って10%の者が情報を発信する側にも回っているという事実は、深く、考えさせられるものがあります。
目次に戻る

個人の情報発信が活発に

 以前、私が南中野パソコン教室を開設した頃に次のように書きました。(1996年~)

1.企業における大型コンピュータからパソコンへのダウンサイジングは進行する。
2.WINDOWS 95の普及により企業(特に中小企業)におけるパソコンのネットワーク化(LAN)が促進される。
3.これまでもOA化により一部の社員にパソコンの利用が求められていたが、ネットワーク化の進展により全社員にパソコンの利用技術が求められる。
4.一般の企業においてもパソコンの利用技術に対する資格が優遇される。
5.インターネットを利用したホームページの作成需要が急速に高まる。
 特に広報手段だけでなく情報収集手段(通販も含めて)として活用される。
6.パソコンは家庭に急速に普及する。 
7.家庭におけるパソコンの普及により主婦や子どもの関心が高まる。
8.教育のためにパソコンと通信を使用したサービスが普及する。
9.女性や子どもが関心を持つことにより文字から画像や音楽へと興味の重心が移る。
10.人口の高齢化により互いに孤立している高齢者層が余暇の利用をパソコンに求める。
11.海外からの情報受信・発信のために英語を読み書きする能力が必要となる。
12.個人において情報の受信から発信へと興味や関心が拡大する。
13.個人で情報を発信するためには、文字はキーボードから、画像はスキャナーや画像作成ソフトを利用して作成することが必要となる。
14.大都市圏と地方との格差は、徐々に解消される。これは、現在でも新幹線やFAXの利用で解消されつつあるが電子ネットワークの普及で促進される。

 上記で最後、14番目の都市と地方の格差は、現時点では、解消されてはいませんが、その他の点は、すでに実現されてしまったか、または、現在、その途上にあります。
 特に12番目の「個人において情報の受信から発信へと興味や関心が拡大する」は、まさにブログやホームページを使っての情報発信を指していると考えられます。
 この文章を書いた当時は、ブログという形態は、未だ、存在せず、ホームページも個人で持つ者は、少なかったことを考えるとここまで情報発信が盛んになったのかと感心します。
目次に戻る

わたしは、ここにいます

では、人は、なぜ情報を発信したいのでしょう?
 ここでは、個人の情報発信を考えましょう。
 金銭的な理由では、ないようです。では、なぜ?

 それは、「わたしは、ここにいます」という一言に尽きるかと思われます。
 確かに本稿も含めて大した内容でないホームページやブログが多いことは、事実です。
 何かの役に立つか、という立場から見れば、あまり役には立ちそうもありませんね。
 特に、最近、Googleなどで検索した際にオリジナルの情報が見つからずにその情報を転載したブログの記事ばかりが上位に検索されることは、はなはだ、不便で不満でもあります。

 しかし、それでも、なお、このような情報発信は、人類という種の生存のために必要なことだと思われます。
 このように書くと大げさのように受け取られるかも知れませんが、私は、この現象が偶然のことだと思われないのです。
 人類は、繁栄してはいますが、その将来は、暗い影に覆われつつあります。このようなときだからこそ、知の集約が求められているのでしょう。
 その第1歩として「わたしは、ここにいます」という声が、ここ、かしこから挙がってきているのではないでしょうか。
目次に戻る

曼荼羅の周辺の仏たち

仏教には「曼荼羅(まんだら)」というものがあります。
 種々のものがありますが、真言密教では、「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」の2種が広く知られています。
 このうちの胎蔵界曼荼羅には、「大日如来」を中心とした多くの仏たちの姿がリアルに描かれています。
 中心にあるのは、「中台八葉院」と呼ばれているカテゴリーに属する四仏四菩薩で、いわば、仏様のスターです。
 しかし、曼荼羅の周辺にも多くの仏たちが描かれています。
 そのような仏たちは、中央の大日の光を浴びて輝いていますが、また、自らも光を放っています。
 我々は、ふだん、仏たちのスターを拝んでいますが、あまり拝まれないであろう周囲の仏たちも、みな、精一杯の光を放っているのです。
 人を仏たちと同一視することは、おそれ多いことのようでもありますが、私たちは、みな、中心のスターになることを目指して生まれてきてはいます。
 しかし、残念なことに自他その他様々な理由により全員がスターになることは、できません。
 「わたしは、ここにいます」というメッセージは、そのような人々(まさに中島みゆきさんの「地上の星」)の精一杯の声であり、光なのだと思います。
目次に戻る

負の情報発信

前項では、情報発信の光の面を取り上げました。
 ですが、マイナスの面にも目を配らないとバランスを失するでしょう。
 負の情報発信とは、コンピュータウイルスやワームの製作による情報発信です。
 ウイルスやワームの作者は、やはり、自らの力量を誇示するため、このような行為を続けているのでしょうか。
 光があれば、闇ができるように、負の情報発信をなくすことは、難しいでしょう・・・
目次に戻る

8ビットパソコン用OS CP/M

前置きの話が長くなりました。
 私とコンピュータとの関わりについて、引き続き書いていきましょう。
 前回の記事において職場では、PC9801を導入していったことを取り上げました。
 一方、私、個人としては、しばらくパソピアを使い続けていました。
 8ビットパソコン「パソピア」には、OSと呼べるものは、使われていませんでした。
 しかし、アメリカでは、すでにデジタルリサーチ社よりCP/Mという8ビット用OSが発売されていました。
 パソピア用のCP/Mを私が購入したのは、1982年9月のことです。下図。37800円也。

 


 東芝パソコンサロン渋谷店から購入しています。CP/Mのバージョンは、2.2でした。
 正直、CP/Mが何であるかを正確に理解していたとはいえないようです。
 CP/Mだけでは、特に何もできないことでがっかりしたように記憶していますから。

 最初のCP/M用のアプリケーションは、「MACRO80」というアスキーから発売されていたマイクロソフト社のアセンブラだったようです。
 ただ、アセンブラ(アセンブリー言語用コンパイラ)には、早々に降参してしまったようで何をしたのか、何をしようとしたのか、記録が残っていません。
 56000円というLAOXの領収書だけが手元に残っています(;´_`;)。

 米国ボーランド社のTurbo Pascalを入手したのは、この後でしょう。Ver3.01A(PASOPIA CP/M)用のものでした。
 Turbo Pascalは、インタプリタで逐次実行するBasic語とは異なり、コンパイラを搭載しており、極めて高速でした。

 下図は、5.25インチのPascal。8ビットパソコンで動作しました。



 当時のプログラムは、残念ながら残っていませんが、円周率の計算などをやっていたようです。
目次に戻る

PC9801 VM21

職場でのPC9801のプログラム開発のためには、9801を購入する必要がありました。
 最初の98機は、確か、9801VM21であったように記憶しています。
 コンピュータショップ「CROSS」という店で本体、ディスプレイ、プリンタ(ドットインパクトプリンタ:NEC VP-135K)及び「一太郎」を含めて、555,000円という価格でした。
 残念ながら正確な購入日が不明です。
 だいたい、1986年11月頃のことでしょう。
 ただ、少し疑問も残ります。というのは、職場でPC9801を導入したのが1983年ですから1986年までに3年間のブランクがあり、プログラムの移植のためにも、パソピアとVM21との間にもう一台の9801機があったような気もするのです。
 ここは、全く、記憶も記録もありません。もしかすると9801 M2(1984年11月発売)だったかも知れません。
 なお、VM21は、内蔵HDやCD-ROMドライブはなく、5.25インチのFD2台を内蔵し、CPUは、インテルの16ビット 8086互換のV30、10MHzでした。
目次に戻る

緑電子のハードディスク

当初、VM21は、内蔵5.25インチFD(2台)のみで利用していましたが、1989年7月12日に前回の記事でも紹介しましたように緑電子から発売の外付け用ハードディスク(20MB)を購入しました。
 これは、VM21のCバスにSCSIボードを介して接続されました。
目次に戻る

ワープロソフト 「一太郎」

 ワープロソフト「一太郎」との出会いは、前述のようにVM21と同時に購入したことに始まるようです。



 上図は、最初に購入した、一太郎 Ver2.0のフロッピー(5インチ2枚組)です。
 システムディスクには、MS-DOSが含まれていたと思います。
 一太郎の初代やそれ以前のバージョンには、触れる機会がなかったようです。
 その後、下図のように一太郎Ver3.0が発売になり、ワープロソフトといえば、「一太郎」という時代が始まりました。



 Ver3.0では、FDが5枚組になり辞書もLargeとSmallという2種類になりました。
 1987/7という手書きの文字が実行用ディスクに見えることからこれ以前にVer2.0からバージョンアップしたことがうかがえます。
目次に戻る

Turbo Pascal パスカル言語

VM21では、16ビットパソコン用OSのMS-DOSが利用できるようになり、PascalもMS-DOS用のものを購入しました。
 当初、プログラムは、パソピア用に書いたものを移植して使っていたようです。
 手元に円周率の計算結果が残っていました。
 1987年10月21日 円周率1000桁計算 398秒。VM21 10MHz。Pascal Ver3.0。
 1988年 8月15日 円周率1000桁計算 262秒。VM21 10MHz。Pascal Ver4.0。
 ちなみに
 1991年4月21日 円周率1000桁計算 230秒。VM21 10MHz。Pascal Ver6.0。
 とバージョンアップして計算速度が上がっており、また、この頃まで、私のところにVM21があったことが分かります。
 その後、
 円周率1000桁計算 64秒。FS2 20MHz。Pascal Ver6.0。
 円周率1000桁計算 5秒。 AP3 100MHz。Pascal Ver6.0。
 というようにCPUの高速化のため、飛躍的に計算速度が向上していったことが分かります。
 ただ、Pascal語は、以前お話ししました日本マイコンクラブ発行の「マイコンサーキューラ」でも取り上げられていて、人気の言語でしたが、私個人としては、どうも、Basic語より、今ひとつ、身につかずに終わってしまったように思います。
目次に戻る

PC9801 FS2

PC9801 FS2は、1992年8月24日という購入日が分かりました。これが私にとって2台目の9801でした。
 CPUは、インテルの80386SX 20MHz。
 今度は、西武パソコンプラザという池袋のショップで本体、ディスプレイ、拡張メモリ(EFS-4000)で333,102円という価格でした。
 プリンタは、依然としてドットインパクトプリンターを使っていたのかも知れません。
 途中でエプソンの最初の写真画質プリンタ「MJ-700V2C」を購入したはずですが、その日付は、不明です。 
 また、当時、通常のCPUの他に浮動小数点演算専用コプロセッサというものがあり、後日、それを装着したはずです。
 円周率の計算時間が230秒から64秒に大きく短縮しているのは、この影響もあるかも知れません。
目次に戻る

PC9801 AP3

1994年12月9日に3台目のPC9801である、PC9801 AP3の見積もりを取っています。
 見積先は、(株)エーワンという千葉県のショップでした。
 AP3は、CPUとしてインテルの80486DX4 100MHzを組み込んでおり、FS2に比して、かなりの高速化が図られていました。
 なお、数値演算用コプロセッサは、80486からCPUに内蔵されるようになりました。
 ここで初めて、本格的な通信モデム(ソニー製SMD-280W)を購入しています。
 もっとも、パソピアの時代に音響カップラーより格段に速いという、半二重 1200BPSというモデムを購入していますので、一応、2台目ではありました。
 また、AP3は、購入時にロジテック社の内蔵HDを組み込んだ他、外付けのハードディスクを付けるなど使用範囲が拡大してきたことが分かります。
 (当時、ハードディスクを内蔵するかどうかは、オプションであるのが普通でした)
 この頃からOSをMS-DOSからWindows3.1に切り替えていったたように記憶しています。
 ご存じの方も多いでしょうが、翌年の1995年12月にマイクロソフト社よりWindows95が発売され、爆発的に普及していったのです。
 しかし、Windows3.1は、それほど大きなブームにならずになんとなく終わって(フェードアウト)しまいましたね。
 AP3は、1996年の本教室開設時にも、私のメインマシンとして活躍してくれました。
目次に戻る

PC9801 Xa13

教室開設当時の生徒用パソコンとして、PC9801 Xa13をリースで入れたのは、1996年のことでした。
 Xa13は、さすがに当初から1.6GBの内蔵HDを搭載、メモリ16MB(設置時に+8MB増設して24MB)、CD-ROMドライブ、3.5インチFD1台内蔵、CPUは、Pentium 133MHzでした。
 下図は、少し後の教室の様子。パソコンは、Xa13。ディスプレイもブラウン管です。

 

 開設時は、MS-DOSとWindows3.1またはWindows95のマルチブート環境にして使い分けていました。
 下図は、開設当時のチラシ。「パソコン通信」という文字が懐かしいですね。
 パソコン通信といえば、なんといってもニフティが大御所でした。
 最近、ニフティがパソコン通信サービスを終了したとのニュースがあり、まだ、あったのか、という驚きとともに一つの時代がひっそりと幕を下ろしたことを知りました。


目次に戻る

PC9821 Xa200

私にとって最後の9800シリーズとなりました。
 現在、手元に残っている唯一の9800シリーズでもあり、完動品です。
 Xa200の購入については、別の記事で書いているのでここでは、繰り返しません。
 当初、LANのサーバとしてWINDOWS/NT4.0をインストールして使用していました。
 なお、Windowsは、Windows3.1、95、98、NT、2000まで、DOS/V用とNEC用の二本立てでしたが、WINDOWS MeからNEC用は、なくなりました。
 これにより名実ともに日本のパソコンを牽引してきたPC9800シリーズの時代が終焉を迎えたと言えるでしょう。
 今では、「98」と言ってもWindows98と混同されるようになってしまいました・・



 上図は、Xa200。しっかりとした風格ある作りです。

 下図は、ソフトバンク発行の98シリーズ専用雑誌「Oh! PC」。
 ただPCといえば、NEC PC98のことでしたものね。
 「18年間ありがとう」の文字も見えます。2000年8月号をもって、休刊となりました。



※ 本節中、PC 9821/Xa200 の名称を PC 9801/Xa200 と誤って記載していましたので、訂正しました。(2018/12/11)
目次に戻る

終わりにあたって

ロータス123、dBXLなどの、MS-DOS上でのアプリケーションについてやパソコン通信、インターネットとの関わりなどについて、上記では、あまり触れることができませんでした。
 これらにつきましては、「コンピュータ事始め(MS-DOS)」として、取り上げましたので、是非ご覧ください。
 では、皆様、お元気でお過ごし下さい。
目次に戻る

前回のご挨拶に戻る今月のご挨拶に戻る次回のご挨拶に進む