吟行ってすごい
MOSAIC モザイク、最初のブラウザソフト
BEKKOAME(ベッコアメ)との出会い
NTTの「日本の新着情報」
ネットスケープ・ナビゲータとインターネットエクスプローラ
ウイルス対策ソフト ウイルスバスターとの出会い
ホームページの公開
ドメインの取得
終わりにあたって
上掲の写真は、どうやら「カワラケタケ」というキノコのようです。
拙宅のタイサンボクの切り株に生えていました。
さて、「ぎんこうってすごい」と打つと「銀行ってすごい」となりますが、ここは、「吟行」ですよ。
当教室の生徒さんで俳句の指導をされている方がいらっしゃます。
11月、その方々が台東区千束にあります「鷲(おおとり)神社(東京都台東区千束3丁目18番7号)」で行われた酉の市のために吟行をされます。
当日は、三の酉ですが、「なぜ、一の酉に行かれないのですか」と質問したところ、「三の酉は、最後の酉の市のため、荒れている」という趣旨のお話でした。
「荒れている」というのは、店の数も当然少なくなり、売り手の方もどうしても売らなくてはと気が高ぶっている、というような状況を指すようです。
一口で言えば、寒さが厳しくなり、物寂しい市場の様子が俳諧向きだとのことです。
ところで、吟行とは、広辞苑によりますと『作句・作歌などのため、同好者が野外や名所旧跡に出かけて行くこと』です。
俳句は、中高年の方だけでなく、黛まどかさんをはじめ、ヘップバーンなどの方々の活躍により、近年、若い作者やファンも増えて、ますます盛んになっています。
ですので、吟行という言葉は、知らなくても、一般のいわゆる俳句愛好家が連れだって吟行に行くと聞いても私たちは、特に不思議には感じないですね。
しかし、ハイキング、登山、その他のスポーツなどであれば、海外でも一般に行われていますが、「詩」を作るために同好の人たちが集いあって野外に出て行くということは、日本以外では寡聞にして聞いたことがありません。
「茶道」、「華道」、「禅」などに比べてちょっと地味な「吟行」という習慣を海外の(一般の)人が知ったならば、「ファンタジック!」とか「グレート!」とか言われそうな気は、します。(欧米のテレビ局が取材しないかな・・)
なので、「吟行」ってすごいでした。
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1995年(平成7年)の5月27日に「インターネット入門キット」(秀和システム刊 1995年5月20日初版)を購入しました。
この本の付録のFDには上掲の「MOSAIC(モザイク)」などのソフトウェアが同梱されていました。
その頃のOSは、まだ、Windows3.1で、インターネット接続をサポートしていなかったため、確か、2種類のソフトウェア、一つは、PPP接続を司るもの、もう一つは、今で言うブラウザソフトが必要だったような気がします。
このブラウザソフトとしてモザイクが使われていました。
下の写真は、「インターネット入門キット」の表紙です。「フロッピーディスク2枚付」とあります。
この本により、期間限定だったか、時間制限であったか、いずれかの方法で、インターネットに接続できました。
ただ、Windows3.1上で安定して通信することは、難しかった感がありました。
当時は、前回の記事で触れましたようにパソコン通信の全盛期でしたが、上述の本を初版の日から、まもなく、購入しているということは、インターネットブームの火がようやく日本にも広がってきたことを示していると思われます。
MOSAICは、Wikipedia(ウィキペディア)によれば、『NCSA Mosaicは、イリノイ大学の米国立スーパーコンピュータ応用研究所(National
Center for Supercomputing Applications、略称NCSA)に在籍していたマーク・アンドリーセンらによって、1993年に開発されたWebブラウザである』とありますように「インターネットエクスプローラ」や「ネットスケープナビゲータ」などのブラウザソフトの元祖とも言える存在でした。
HTML(ハイパーテキストマークアップランゲージ)を解釈して文字を表示するソフトは、その前にもあったようですが、モザイクの最大の特徴は、文字と同時に画像を表示することができる点で、このことがモザイクが世間に広く受け入れられた理由でした。
いずれにしても私のインターネットとの関わりは、この1995年5月まで遡るようです。
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「インターネット入門キット」の購入からしばらくして、私は、インターネットサービスプロバイダーを探しました。
1995年夏当時、個人で利用できるところは、極めて限られていました。
「ベッコアメ」以外では、Niftyのパソコン通信を使っていた関係から、富士通のカタログも取り寄せてみましたが、「ベッコアメ」よりも10倍以上高額だったと記憶しています。
ということで、この頃、個人でインターネットを利用するには、「ベッコアメ」しかなかったと言えるでしょう。
下記は、1995/7/10付けの(株)ベッコアメ・インターネットからの請求書です。
入会金1万円、年会費2万円というのは、破格の安値でした。
「ダイヤルアップIP接続サービス」の申込の正式な日付は、不明ですが、6月末~7月初めではなかったでしょうか。
ベッコアメへの連絡は、パソコン通信(BBSと称していました)を利用して行うシステムでしたね。
BBSの場合は、電話線を通じたネットワークのためセキュリティを保ちやすいということは、あったのでしょう。
1995/7/27にBBSを利用して最初のログイン名とパスワードを登録したという記録が残っています。
この日から、私のインターネットの利用がスタートしました。
ベッコアメ・インターネットからは、後年、雑誌「KOPEITO」(人に優しいインターネット情報マガジン)も会員に頒布されました。
下は、その創刊号。
まだ、検索サイトが十分でなかったため、下記のような索引記事が重宝されました。
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「NTT Directory」の「日本の新着情報」というホームページ(1993年開設とのこと)がよく利用されました。
下記は、そのページの一部を印刷したものです。1995/8/9付けの日付となっています。
コクヨ株式会社のページなどが公開されています。
地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災などのニュースが時代を物語っています。
なお、2000年頃にNTT Directoryは、なくなりました。
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1995/12にWindows 95が発売になり、その上で動くブラウザソフトとして「ネットスケープ・ナビゲータ」という閲覧ソフトが好評を博するようになりました。
私も、確か、Ver2.0の時に購入した記憶が残っています。
しかし、ご承知のようにその後、マイクロソフト社より、「インターネットエクスプローラ」のVer3.0が1996/8に無償で公開され、また、Windows98以後は、OSに標準で添付されるようになると、急速にインターネットエクスプローラのシェアが拡大しました。
私もしばらくは、両者を併用していましたが、インターネットエクスプローラのVer4.0(1997/10)頃からインターネットエクスプローラのみを利用するようになっていきました。
「ネットスケープ・ナビゲータ」は、「ネットスケープ・コミュニケータ」と名称を変更して、バージョンアップを繰り返して、対抗しましたが、OSに無料で添付される「インターネットエクスプローラ」には抗しえずに、市場から急速に姿を消すことになりました。
現在では、ネットスケープの日本語版は、古くなっておりますが、その流れは、オープンソースのMozillaプロジェクトに受け継がれているようです。
インターネットエクスプローラは、ネットスケープとの「ブラウザ戦争」が一段落するとバージョンアップの間隔が広がってしまい、最近では、「Oprera(オペラ)」やその他のブラウザソフトの進出を許すようになりました。
そのためか最近、バージョン7(対象は、XP SP2と2003 SP1のみ)の日本語正式版がリリースされました。
ただし、インターネット・バンキングなどで利用する場合は、当該金融機関等のホームページでバージョン7が利用できることを確認してから、インストールしていただいた方が無難かと思います。
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当方で導入したウイルス対策ソフトは、株式会社リンク(「リンク」は、1996年に社名を「トレンドマイクロ」と改称しています)の「ウイルスバスター95」がどうやら最初のようです。
MS-DOS版も同梱されていました。下記は、ウイルスバスター95の修正のお知らせ。
当時は、フロッピーでウイルスパターンファイルが配布されるという、のんびりした時代でしたが、まもなく、パソコン通信またはインターネットからウイルスパターンファイルの配布が始まりました。当方では、最初の頃、なかなか、ダウンロードがうまくいかずに何回か問い合わせを行ったりしました。
この頃は、FD経由で感染するウイルスが中心でしたが、特定の日付にハードディスクを初期化してしまうなど悪質なものもありました。
また、エクセルやワードのファイルに感染するマクロウイルスというものが初めて出現し、日本でも流行したものとしては、「Excel.Laroux(エクセル・ラルー)」というウイルスが有名です。
当教室の生徒さんのFDのエクセルファイルが開けないので、画面をよく見ると「ウイルスに感染しています」というメッセージが出ていて、生徒さん共々、びっくりしたのは、今となっては、懐かしい思い出となりました。
下図は、トレンドマイクロから四半期毎に発行されていた「Hellow Trend」の一ページ。
「ウイルスバスター95」は、その後、ウイルスバスター97、98、2000、2001、2002、2003、2004、2005、2006と順次、バージョンアップされていき、現在、「ウイルスバスター2007」に至っています。
このようにウイルスバスターの歴史は、インターネットの歴史でもあるわけですね。
ウイルスバスターのアップデートの認証方法にも変遷がありました。
初期のFDでパターンファイルをアップデートする時代では、2台以上にインストールすることも原理的には、可能だったのですが、FDの配布では、そのうち、ウイルスの出現速度に対応できなくなりました。
そして、インターネットからダウンロードされるものがパターンファイルというデータだけではなくなり、プログラムのモジュールまでアップデートする必要が出てくると、どうしてもウイルスバスター本体も個別にインストールすることが必須となったようです。
この頃に認証キーなるものがシリアル番号と対で付与されるようになりました。
ところが、1社または1家で何台ものパソコンに使用されるようになってくるとシリアル番号と認証キーがバラバラでは、管理が複雑になっため、複数のライセンスをまとめる「お客様番号」が使用されるようになりました。
そして、今では、お客様番号とパスワードという一般的なスタイルに変わり、「ウイルスバスター2007」に至って、1家で3台までのパソコンにインストールが認められるようになりました。(その代わりに更新手数料が値上げされるようです)
この背景には、ウイルス対策ソフトの日本市場がトレンドマイクロの他、マカフィー、ノートンの3社で長らく占められてきたものの、近年、ソースネクストの「ウイルス・セキュリティ」など新手の低価格ソフトの進出がめざましく、新たな戦国時代の様相を呈してきていることがあるでしょう。
そのほかの要因としては、マイクロソフトがOSにウイルス対策ソフトを添付するという噂がしきりとあるのも各社にとって不気味なところです。
現にWindows Updateから「悪意あるソフトの駆除ツール」が毎回、ダウンロードされています。
この他、マイクロソフト社のスパイウェア対策「Windows Defender」の正式版がリリースされ、WindowsXP SP2とWindows Server 2003 SP1の正規ユーザに無償で提供されるようになりました。(www.microsoft.com/japan/athome/security/spyware/software/default.mspx)
このようにユーザにとっては、選択肢が広がることは、歓迎です。ただし、本当は、ウイルスが作られなくなることが理想ですが・・
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1996年9月から「南中野パソコン教室」を主催するようになり、インターネット上にホームページを置くことになりました。
当初は、ベッコアメの個人ユーザに用意されている領域を使ってホームページを公開しました。
ホームページの作成にあたっては、当初、ホームページ作成ソフトがなかったため、HTMLを書き下すという方法で書いたものです。
IBM社の「ホームページビルダー」のお世話になったのは、1997年3月のVer2ぐらいからかと思います。
残念ながら、この当時のホームページ(www.bekkoame.ne.jp/~waraikko/)の内容は、手元には残っていませんので、正確にいつから公開したのかが不明ですが、インターネット上のアーカイブス(http://www.archive.org)に残る最古のものとして下記のものがありました。
Welcome to the Tokyo PAX's Home!
笑いっ子をクリックして下さい!!
これ以降の内容は、略しますが、「更新日:1998年11月12日」とありました。
これは、ドメインを取得する以前のものに間違いはありません。
なお、1997年8月以降の「お知らせ」は、現在の当教室のホームページの「お知らせ(過去分)」に残してありますので、その内容を見ることができます。
『97/8/31: CGのDRAW(7J)及びPHOTO-PAINT(7J)の開講日は、テキスト準備のため、当初予定の9月から10月に延期いたします。
・ 一太郎8は、予定どおり9月初旬より開講いたします』というお知らせが当方に現存する最古のものとなっています。
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ベッコアメのホスティングサービスを利用した独自ドメインの運用を開始したのは、1999年8月1日でした。
それに先立ち、社団法人日本ネットワークインフォメーションセンター(JPNIC)宛にベッコアメを通じてドメインの申請を行いました。
1999年7月9日に同センターよりドメインが許可された旨の通知がありました。
紙の許可証のようなものがあるのかとベッコアメに問い合わせをしたところ、特にないというので、驚いたことを覚えています。
なお、2000年9月にインターネットの接続方法をフレッツISDNに変更した際、ベッコアメがフレッツに対応していなかった(現在では、対応している)ため、他のプロバイダーに乗り換えてしまったのですが、ドメインだけは、依然としてベッコアメに委託しています。
「ベッコアメ」は、今は、「GMOインターネット」が運営するようになりましたが、サービスの名称は、「ベッコアメ」のままです。
ドメインを乗り換えない理由は、引っ越しが面倒だという他に、ベッコアメが私にとって「インターネット」との出会いを作ってくれたという感傷的な理由もあるかもしれません。
この記事を書いている途中で検索してみるとベッコアメインターネットの当時の社長、「尾崎憲一」氏も第2の人生でご活躍とのこと。よかった。
1995年頃にインターネットを始めた方や現在、インターネットで活躍されている方のほとんどは、ベッコアメにお世話になったのではないでしょうか?
日本のインターネットの土壌を開拓したベッコアメと尾崎氏に感謝!感謝!です。
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今回の「コンピュータ事始め(インターネット)」で「コンピュータ事始め」のシリーズは、ひとまず、終わります。ご愛読を感謝いたします。
なお、下記にこれまでの「コンピュータ事始め」のシリーズへのリンクを記載しましたので、よろしければ、他の記事もご笑覧ください。
コンピュータ事始め(HP 25ミニ)
コンピュータ事始め(東芝パソピア)
コンピュータ事始め(NEC PC9801)
コンピュータ事始め(PC98全盛期)
コンピュータ事始め(MS-DOS)
今年もあと残すところひと月となりました。風邪など引かれぬよう、お元気でお過ごし下さい。
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