(1)アナログデータのデジタル化の進み具合
(2)アルバムの整理
(3)フィルムと現像の話
(4)ネガをスキャンする
(5)カラースライドのデジタル化
(6)写真のデジタル化の注意点
(7)終わりにあたって
「音楽CDについては、2003年2月の『カセットテープからCDを作成』でハードディスクへの保存を取り上げた。
続いて、2006年8月の今月のご挨拶では、『音楽や動画の再生と保存』と題して、音楽や動画の保存について、再度、取り上げている。
また、本や雑誌、スクラップなどの保存については、2013年10月の『私の小道具4』で、解説した。
具体的には、2006年から、すべての音楽CD と主なカセットテープ、パソコン関係の雑誌、テキスト等について、ぽつぽつと作業を進めている。
だが、2010年前後から、他の仕事もあり、忙しくなって続けられなくなった。
しかし、今、振り返ると、2006年当時、せめてカセットテープの残りについては、がんばって続ければ良かったと後悔しておるのじゃ。
2016年の今年になって試したところ、2006年当時、デジタル化しなかったカセットは、ほぼ、すべて、聞くに堪えないものになっておった。
おそらく、テープの磁性体の劣化や伸びが原因じゃろう。
下図のような、森昌子、八神純子、竹内まりやさんなどのカセットに含まれている一部の曲は、mora 等の音楽ダウンロードサイトで購入できた(できる)ものもあったが、入手できないものもあった。
この他、これは2003年当時に分かっていたことじゃが、父が撮影した『8ミリフィルム』は、コマ自体がベースのフィルムから、すべてバラバラにはがれ落ちてしまっていた」
「本や雑誌については、どうなの?」
「おお、ともちゃんかい。
関東・東北は、6月後半~7月の初めあたりは、暑かったが、その後、梅雨が長引いていて、すっきり晴れる日が減っていた。
しかし、8月に入る前ぐらいから、結構な暑さが続いているのう。
今のところ、パソコン関係の雑誌、たとえば、『日経バイト』、『日経Windows プロ』、『PC Japan』などは、PDF文書にして取り込んだ。
あと、昔の『るるぶ』とかもな。
本は、ごく一部の装丁がほずれてしまったものなど4,5冊取り込んだ程度じゃな」
「請求書とか領収書とかもね?」
「そうじゃな。
特に、紙に印刷しないで済むものは、PDF文書にして、保存するようにしている。
しかし、昔、スクラップしておった雑誌や新聞の切り抜きなどは、まだまだ、手つかずじゃ」
「写真のアルバムはたくさんあったでしょ?」
「そう。まさに、それが今回の記事のテーマじゃ」
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「デジカメが普及したあとも、会社の旅行のスナップやいろんなイベントの写真などは、デジタルデータではないわね。
まして、昔の写真は、アルバムに貼ってあるので、はがすだけでも面倒ね。
写真アルバムは、どのくらいあったの?」
「ま、40冊ぐらいはあったじゃろう。
大まかに見積もると、40冊×20ページ×4枚=3200枚程度の写真が貼られていた勘定になるかのう。
これ以外に、『ネガフィルム』、カラーのスライド(『リバーサル』)、そして、卒業アルバムに印刷されている画像じゃ。
上は、わしの高校の卒業アルバムの一ページ。(1960年代の終わりは、まだ、モノクロ写真が主流だったことが分かる)
分類してみると、
・ ポジ写真とネガがあるもの(両親や私が撮影したもの)、
・ ポジ写真のみのもの(他人からいただいた写真や卒業写真など)、
・ ネガしかないもの(両親や私が撮影したもので、ポジを作らなかった、または、ポジを他人に差し上げて手元に残していないもの)、
の3種類がある。
ポジとネガの重複を排除しても、5000枚を超えているな。
モノクロは、退色が進んでいるものもあり、ネガがあるものは、できるだけ、ネガから画像ファイルを作成した。
一方、カラーは、比較的、近年のもので、退色もそれほどひどくないため、ポジ写真から画像ファイルを作り、後日、特に大切な写真をネガから起こすことにした。
こうした後に、アルバムは、すべて処分した」
「ゲゲ、それは、大変だったわね」
「これでも少ない方かもしれんぞ。
わしの両親の写真は、戦後、撮影されたものしか残っておらん。
戦前のものは、空襲でみんな焼けてしまったからじゃな。
なので、戦前の写真から残っているご家庭なら、もっと多いかもしれん」
「ご両親の子供の頃の写真は、まったくないの?」
「アルバムは、みな焼けてしまっていたが、母の小学校の卒業アルバムは、戦後、同級生の方からお借りして、父がカメラでそれを撮影したようだ。
それが何枚か残っていた。ただ、アルバムの写真を撮影したものなので、画質が粗いのが残念だ。
小学校の卒業式の記念写真(部分)に写る、恩師の小池先生とその右側が母。
あと、私の祖母が持っていた母親の娘の頃の写真が一枚だけ残っていた。
一方、父親の写真は、終戦後まもなくの頃の写真があった。
父は、前列左端。
写真の裏のメモを見ると、1946年4月12日、六櫻社(後の小西六写真工業→現在のコニカミノルタ))『自威運動会』とあった。
すると、終戦(1945年8月)の翌春のものか。
兵員帽をかぶっている方が少なくとも6人おり、運動会の名前も戦中のにおいを感じさせるものだな」
「ネガからの作成は、どんな作業になるの?」
「その話をする前に、フィルムと現像のむかしばなしをしておこう」
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「撮影後は、基本的に、すべて、暗室での作業になる。
撮影済みフィルムは、暗室で、現像液→定着液→水洗→乾燥、という工程を経て、ネガフィルムになるのじゃな。
写真屋さんに現像に出した場合は、フィルムが戻ってくるときに包装紙に保護されている。
古いものでは、紙ケースに、Negative Preserver と書かれていたものがあった。(下図)
中身は、下の図のような感じじゃ。
35mmフィルムが出る前の『ブローニーフィルム』というもののようだな。
ちなみに、ブローニーフィルムというのは、35mmフィルムのようにカートリッジに密閉されておらず、フィルムに光を遮るための黒紙が巻いてあるものとのこと。
また、フィルムの縁には、巻き取り用の歯車がかみ合う四角い孔がない。
子供の頃の記憶が曖昧だが、カメラにフィルムを装填するときも暗い場所でないといけなかったような気がする。
当時は、まだ、幼かったから、親父さんがやっていたので、よくは、覚えておらん。
いずれにせよ、白黒写真のネガは、明るい部分がより黒く、暗い部分がより透明に近いものになる。
これを簡単に白黒反転の状態と言っておる。
このネガを引き伸ばし機に入れて強い光を短時間当てて印画紙に焼き付けて現像してできあがったものが普通の(ポジティブ)写真じゃ。
この際、ネガを印画紙に密着させた(拡大しない)ものを『密着写真』と呼ぶ。
この密着は、サイズは小さいが、本来の白黒階調となっているため、どのような写真かが分かりやすい。
印画紙の現像も、引き伸ばし機で焼き付け→現像液→定着液→水洗→乾燥、という工程を経るのは、言うまでもない。
なお、カラー写真が一般に使われるようになったのは、東京オリンピック(1964年)前後じゃ。
その頃は、『天然色写真』とも呼ばれておったな。(天然色も死語感があるな)
それまでは、すべて、白黒(モノクロ)写真じゃったのだな。
「いつ頃まで、フィルムを使っていたのかしら?」
「正確には記憶していないが、パソコン教室を開設した1996年は、まだ、フィルムカメラを使っていたのは、覚えている。
当時使っていた最後の『フィルムカメラ』が残っていた。
コニカ(現在のコニカミノルタ)の35mmコンパクトカメラ 『Big Mini Neo』じゃった。
この頃は、フィルムの巻き上げが、自動になっていたのは、便利じゃったが、電池の消耗が激しかったのを覚えている。
Webで調べると(http://www.kenko-tokina.co.jp/konicaminolta/history/konica/1990/1993.html)、
これは、1993年発売のモデルと思われる。
また、一番最後に使ったカラーフィルムも残っていた。富士フイルムの『Super G ACE』じゃ。
ただ、この銘柄・品番からは、いつ頃のものかは、特定できんかった。
一方、デジカメの最初の機種がこれじゃ。
オリンパスの『CAMEDIA C-830L』(1998年11月発売)。
解像度は、130万画素。記憶媒体は、『スマートメディア』(8MB)だった。
スマートメディアの大きさと容量(8MB)の小ささにあらためてびっくり!。
各種メモリーカードの種類と大きさの比較じゃ。
なお、SDカードとマイクロSDカードの間に『mini SDカード』というものもあったが、手持ちにはない。
当時の記憶をたどると、このデジカメは、主として、ホームページの写真を撮るために使っていたようじゃ。
スマートメディアは、『FlashPath』(フラッシュパス)というアダプタを使うと、3.5インチフロッピードライブ装置で読み書きできる点が便利だったな。
ただ、読み書きの速度は、結構、遅く感じた。(フラッシュパスは、処分済みで、写真はない)
となると、HP用以外の写真は、依然として、前記のコニカ Big Mini Neoを使っていたと思われる。
そして、現在使用しているデジカメは、同じオリンパスの『μ7020』(2009年8月発売)。
記録媒体は、xDカード、容量は、2GB、じゃ。
このときに、フィルムカメラからデジカメに完全に移行したと思われる。
購入時期は、2009年11月だったので、移行時期は、2009年11月でよいじゃろう」
「フィルムには、ホント、長い間、お世話になったということね。
写真をいきなりデジタルで撮るようになったのは、まだ、ほんの10年足らずということだもん」
「脇道に入るが、わしが子供の頃、親父さんが趣味で写真の現像等を家庭でやっていたのを手伝ったことがあった。
上の写真に『写真室』と書いてあるのが分かるかのう。
これは、我が家のいわゆる『暗室』の扉の前に書いてあった文字じゃ。
すきまの多い木造家屋じゃったから、光が入らないように、小部屋の内側に黒紙や黒布を貼り付け、すきまから光が入らないにようにしていた。
だいぶ後の時代になると、35mmフィルムの現像を暗室なしで行える家庭用の器具が現れて、自宅で行ったこともあった。
とは言え、フィルムの現像に失敗すると、全くお手上げじゃ。
だから、フィルムの現像は、町の写真屋さんに依頼したのがほとんどじゃったと思うのう。
加えて、家庭用の装置を使うと、写真屋さんに依頼するより、当然ながら、現像液等の費用も割高についたんじゃと思う。
ところで、暗室で印画紙を現像液に浸している間に感光している部分は、どんどんと色が濃くなっていく。
なので、その様子を観察して、ちょうどよいところで、定着液につけないと、黒色が濃すぎたり、薄すぎたり、してしまう。
その際、暗室が真っ暗では何も分からないので、オレンジ色の電球をつけるのじゃが、この光は、印画紙の感光には、あまり影響を与えない。
カラー写真の現像は、家庭で行うのは難しく、家の改築もあって、暗室は、なくなった。この写真で偲ぶだけじゃ。
その後、大方の読者と同じように、モノクロもカラーも町の写真屋さんに現像から印画紙の焼き付けまでを依頼するようになったというわけじゃ」
「うへー、すごく長い脇道になっちゃったわね。
おじぃさんは、まるで、トットちゃんみたいに話出すと止まらないって感じ。
ところで、写真が茶色になっても、ネガさえあれば、元のような写真になるのかしら?」
「お嬢さん。
せめて、茶色ではなくて、セピア、と仰ってもらいたいものですな。
と、まあ、冗談はともかくとして、モノクロ写真が光や湿気に長い間さらされると、セピア色に変色する。
単純に考えると、黒いところが薄くなるだけと思われるが、印画紙の現像液に含まれる成分などが残るのでその変質により、赤っぽくなるそうじゃ。
実際の例をお目にかけよう。
60余年前の写真じゃ。写っているのは、わしじゃよ。
この写真のネガをスキャナーで読み込んでポジティブ写真に変換すると、
この写真のように、撮影した当時の状態に近づけることができる」
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「ネガをスキャンすると、『ほこり』や『糸くず』が付いて一緒にスキャンされてしまうことがある。
フィルムは、印画紙より小さいので、スキャンの際の解像度を高くして行うため、この点は、注意が必要じゃ。
もし、そこそこの品質のポジ写真が残っていれば、通常、このようなゴミなどの付着が少ないので、ポジからデジタル化した方がきれいにできる。
さて、懐かしついでに、もう何枚か、お目にかけよう。
写っている自動車は、もちろん我が家の物ではないぞ。
1950年代じゃろう。
道路の多くが未舗装で、雨が降ると、ぬかるんだ泥道になってしまう。
私は、長靴を履いていることが多かったようだ。
丸いちゃぶ台だった。
まだ、お箸が持てずにスプーンで食べていることが分かる。4~5才頃。
ジュウシマツを飼っていた頃。小学校3~4年生。
この写真は、私が使っていた子供用のカメラで撮ってもらった様な気がする。
長野県霧ヶ峰高原に家族旅行に行ったときのもの。小学校5年生の夏休み。
これらは、いずれも、ネガからスキャンしたものだ。
なお、ネガのスキャンは、『透過型』のフィルムスキャナー機能が付属するフラットベッドスキャナー、もしくは、『フィルムスキャナー』があれば、可能じゃ。
スキャナーを透過型として使用すると、光が照射されて、フィルム等の透明度の高い物質を通り抜け、スキャナー内部で検知される仕組みじゃ。
表裏を間違うと、『裏焼き』といって、左右が反転した写真を作ってしまう場合があるので、注意が必要じゃ。
わしが使っているエプソンのスキャナー『GT-X770』では、ネガフィルムは、下の左側の図のようにセットする。
上の例では、『百度石』の文字があるので、裏焼きに気がつく。
しかし、このようなはっきりとした文字などがないと、間違いに気がつきにくい。
昔は、新聞でも、裏焼きの写真を掲載して、後日、訂正が載ることもあった。
これは、ネガからポジを作るのが暗室作業となるため、うっかりして、ネガを逆にしてしまったのじゃろう。
当時は、再度、ネガを反対にして、焼き付け、現像処理をしなければならなかったので、大事じゃ。
デジタルデータであれば、画像編集ソフト等で『左右反転』を選択すれば、修正は簡単じゃがな」
「なるほど。
ネガが見つからない場合は、退色を復元できないのかしら?」
「ネガが見つからない場合でも、スキャナーを『反射型』にしてポジティブ写真を読み取らせ、その際に『退色補正』を行うと、それなりに復元可能なことが多い。
モノクロ写真なら、たいていは、これでよくなる。
しかし、カラー写真は、モノクロよりも、変色が早く、青や黄色が失われやすい(赤は、比較的、失われにくい)。
このため、『退色補正』により、本来の色とかけ離れた色に補正されてしまうこともあるので、注意が必要じゃな」
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「カラーのスライドもあったよね?」
「うん。
いわゆる『Reversal(リバーサル)』と言われていたものじゃ。
35mmフィルムと同一の大きさじゃが、カラーが反転しておらず、ポジティブになっている。
リバーサルフィルムは、普通のカラーフィルムよりも価格が高かったように思う。
上のような枠(マウントという)が付いているので、スライド映写機(博物館行きじゃ)を使って、白い壁や専用の『映写幕』に映し出すことができる。
もちろん、これを元に印画紙に焼き付けて普通の写真を作ることもできる」
「スライド映写機って、プロジェクターの様なものね。
もう、映写機は残っていないの?」
「前述の8mm映写機などと一緒に処分してしまったな。
とは言っても、スライド写真も、ネガと同様に、スキャナーで透過型原稿として読み取らせることは、可能じゃ。
1970年(昭和45年)の『日本国際万国博覧会』(大阪万博)のものが残っていたので、2枚を下に掲げてみよう。
このスライドは、保管状態が悪かったので、スライド表面が汗をかいたようにスポット的に溶けてしまっていた。
下の写真のように、スライドが1枚1枚プラスチックのケースに整理されていて、更に、きちんとした紙箱にプラスチックケースが何枚も重ねて置かれていたので蒸れてしまったらしい。
次の2枚の写真に見られるオレンジ色の斑点は、そのようにしてできた変色のアトじゃ。
1970年4月29日~30日の様子。
ちなみに、下の写真は、『太陽の塔』の背面の黒い太陽の顔だ。
自身が行った訳ではなく、両親が見学に行って撮影した写真じゃ。
今は、大屋根やパビリオンのすべてが取り壊され、唯一、『太陽の塔』が『万博記念公園』(大阪府吹田市千里万博公園)に残るだけであることを思うと、まさに『夢の万博』じゃな」
「その万博記念公園のWebサイトを見ると、ホント、黒い太陽の顔もあったね。
http://www.expo70-park.jp 」
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「ま、『タイムマシン』は、作れんが、年寄りにとって、昔の写真は、タイムマシン じゃということが、最近、よく分かるようになった。
老爺心ながら若い方に言うておくと、両親の家の片付けなどで古い写真やアルバムを見つけてもすぐに捨てないことじゃ。
それをデジタル化(後に捨てれば良い)すれば、ご両親の介護が必要になったときに役立つ。
昔の記憶をよみがえらせる力があるのが写真じゃ」
「なるほどね。
アルバムの手書きのメモなども、残しておきたいよね」
「そいうものがあるときは、面倒でも、切り取って、写真と一緒にスキャンすれば、よい。
下の図のようにな。
車がビュンビュン通る中を平気で渡るおばさん。『先に止まった方が負けだよ』、
上の写真は、タイのバンコクの大通りの写真。(1984年)
※アルバムにメモが残っている場合は、写真を外す(はがす)前に、アルバムのページまたはその一部をスキャンしておくとよい。
そうしてスキャンした画像から、当該の写真用のメモ部分を画像編集ソフト(ペイントでも可能)を使って、コピー・貼り付け、すれば上図のようになる。
※2016年8月の『リオデジャネイロ・オリンピック』の日本選手の活躍に触発され、52年前の1964年の東京オリンピックで私が撮影した写真を数枚追加しました。
1964年の東京オリンピックのマラソン。 円谷幸吉選手か?。
場所は、東京の甲州街道と思われる。
1964年10月のオリンピック開催中の国立競技場
燃えさかる聖火をともす聖火台と満員の観客席、はためく万国旗。高い塔は、照明灯。
1964年10月 東京オリンピック開催中の国立競技場のゲートとへんぽんと翻るオリンピック旗。
写真の左手は、主賓席。その奥、左側に『野見宿禰』(のみのすくね)、右側に『勝利の女神』(ニケ)のレリーフが飾られている。
なお、次の3つは、重要じゃ。
・ 撮影日(最も重要。年月または年だけでも推定して保存しておきたい)、
・ 場所(案外分からなくなる)
・ 被写体(人物名、建物名、植物名、イベント名など)
これらをファイル名等に含めて保存することが肝心じゃ」
「でも、撮影日の推定は、難しいこともあるでしょう?」
「そこなんじゃな。
そこと言っても井戸の底ではないぞ、とま、このセリフは、何回目かのう。
ポジ写真しかないときは、被写体の年齢、服装、背景などから、見当をつけるしかない。
ネガがある場合、包装袋に写真屋さんの受付日などが書いてあれば、しめたものじゃ。
また、包装紙に印刷されているキャンペーンガールさんが誰かが分かると多少の手助けになるじゃろう。
ちなみに、富士フイルムのTV CMの女優さんは、ウィキペディアによれば、
樹木希林、加賀まりこ(1960年代中期)、山口百恵(1970年中-後期)、岡田奈々(1970年代中-後期)、
岸本加世子(1980年代)、南野陽子(1986-1988)、井森美幸(1989-1990)、観月ありさ(1991-1998)、
沢口靖子(1996-1998)、田中麗奈(1998-2003)、などの方々じゃ。
ただし、ネガの包装袋とTV CMの人物や時期が同じかは、不明じゃ。
包装袋は、CMとは別の、『猫』とか『少女』とか下の図のような『キャラクター』ものもあるからな。
希少なのは、南野陽子さんのもの。
手持ちの中では、観月ありさ、さんのものが最も多かった。
衣装や髪型なども時期により異なっていた。
田中麗奈さんのものは、手持ちの中では、新しいものじゃ。
中身の写真は、南中野パソコン教室開設(1996年)以降の写真だったので、少なくとも1998年~2003年のものとなる。
古いものは、包装紙がなくなっているものも多い。
※岸本加世子さんや樹木希林さんのものがあったかどうかは不明じゃ。
前述のように、2009年11月以降は、デジカメに移行したので、そもそも、ネガがなくなった。
ネガの包装紙のデザインについて、好事家の方がまとめられているかと思ったが、ぴったりのWebページを見つけられなかった」
「そこいくと、デジカメやスマホで撮った写真の整理は簡単ね」
「日付や場所(ジオタグをOnにした場合)は、手間いらずで、画像ファイルに含まれて保存される。
しかし、被写体は、年月が経つと不明になることが多い。
人物は、自分以外は、何処のどなた様なのかが分からなくなる。特に赤ちゃんの写真は、後日、クエスチョンとなる可能性大。
また、イベントも、そもそも、何のイベントかが不明になる。
なお、デジタルならではの問題もあるぞ。
気軽に撮りためることができる反面、スマホでは、デジカメと違って、パソコン等に一々、保存し直さない方も多いじゃろう。
となると、スマホ本体、もしくは、バックアップ用のSDカードが壊れた場合は、全てを失ってしまう。
大量に収納できる分、失うものも大きい。
大切な写真は、パソコンやクラウドサービスなどを利用して別にバックアップしておくことが必要じゃな」
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今回もご覧いただきありがとうございました。
すでに、暦の上では、秋になったとは言え、残暑厳しい毎日です。
どうぞ、皆様、ご自愛くださいますようお願い申し上げます。
では、次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
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更新日 2016/8/22、目次追加 2018/9/17