(1)まえがき
(2)パソコン教室の準備
① 開講前~2002年頃のOS
② パソコンスクールに通う
③ ハードウェアの準備
④ ソフトウェアの準備
⑤ プリンタの接続
⑥ インターネットや電話、FAXの利用
⑦ 広告など
⑧ 新聞折り込みチラシの効果
(3)パソコン教室の開講~2001/11
① 1997/1~1997/2 Access 95、一太郎 7 などを追加
② 1997/9 インターネットサービスプロバイダー CNET東京北 受付開始
③ 1997/9 Office 97 などのコースを開始
④ 1997/12~1998/1 Visual dBase終了、一太郎、Corel DRAWなどがバージョンアップ
⑤ 1998/4 教室内LANを構築
⑥ 1998/7 教室内LANをサーバー・クライアント型に変更
⑦ 1998/10~1998/11 Windows 98 入門、一太郎 8 検定などを開講、一太郎 6.3 などは、終了
⑧ 1999/1~1999/2 一太郎9、Excel 97 VBAなどを開講
⑨ 1999/8~1999/9 ニフティサーブ入門 終了、独自ドメイン開始
⑩ 1999/10~1999/11 Office 2000 関係コース開講
⑪ 2000/2 Power Point 2000 を追加
⑫ 2000/9 フレッツISDNへの移行
⑬ 2001/1~2001/2 IT基礎パソコン入門などを追加
⑭ 2001/5 フレッツADSLへの移行、Lotus 1-2-3 の終了
⑮ 2001/6 パソコンの販売を始める
⑯ 2001/8 Office XP のコースを追加
⑰ 2001/11 受講料値下げ
(4)終わりにあたって
『マイクロソフト Office』(以下「Office」という)は、今では、すっかり、みなさまにおなじみですね。
Officeは、ワープロソフトの『Word』(ワード)や表計算ソフトの『Excel』(エクセル)などを1つのパッケージにした、マイクロソフト社のオフィススイート製品です。
※ ここのスイート Suite は、『一揃い』というような意味でしょう。
Officeを購入する側は、単体で購入するよりも、お買い得というメリットがあり、販売者も、まとめ販売ができるというメリットがあります。
ただし、『南中野パソコン教室』(以下「教室」という)(1996/9~2015/3)の開講時は、Excel 95、Access 95 などを単体で利用したようです。
なんと言っても、二十数年前のことで、わたしの記憶も曖昧です。
上掲の写真は、開講前の1996年8月の教室のパソコン2台、左側に1台(のごく一部)が写っています。
まだ、液晶のディスプレイは、使われておらず、ブラウン管形であることがわかります。
開講時の1996年9月のコース一覧の一部(OS欄を追加して、並び替えてあります)を下記に示しました。
コース名 | 概要 | OS | |
基礎知識 | パソコン基礎 | パソコンの基礎的な知識を学習。 | WIN95 |
キータッチ入門 | 日本語を含めてキーボードの操作を学習 | MS-DOS | |
MS-MS-DO S6.2入門 | MS-DOS 6.2の操作方法の基礎を学習。 | MS-DOS | |
WINDOWS 3.1入門 | WINDOWS 3.1の操作の基礎を学習。 | WIN3.1 | |
WINDOWS 95入門 | WINDOWS 95の操作の基礎を学習。 | WIN95 | |
ワープロ | 一太郎(Ver6.3)入門 | 日本を代表するワープロソフト。 一太郎Ver6.3の基礎的な使い方を学習。 |
WIN3.1 |
一太郎(Ver7)入門 | Windows 95に対応 一太郎Ver7の基礎的な使い方を学習。 |
WIN95 | |
表計算 | Lotus123(R5J)Ⅰ | 代表的な表計算ソフトのロータス123の基礎 | WIN95 |
同上 Ⅱ | その応用 | WIN95 | |
Excel 95 Ⅰ | 代表的な表計算ソフトのエクセルの基礎を学習 | WIN95 | |
同上 Ⅱ | その応用 | WIN95 | |
データベース | Visual dBASE入門 | 代表的なデータベースソフトのVisual dBASEの基礎を学習。 | WIN95 |
以下略 |
上の表のExcel 95 は、コース案内の紙の方では、エクセル(V7) と記載されています。同じものです。
また、上の表のワープロの欄には、Word 95 が含まれていませんね。
その訳は、ジャストシステムの『一太郎』(いちたろう)という、先行する強力なソフトが大きなシェアを持っていたからです。
ちなみに、この頃、教室の生徒さんに、
『あなたのパソコンは何ですか?』とお伺いすると、
『私のパソコンは一太郎です』と答える方が少なからず、いらっしゃいました。
一方、表計算では、やや、状況が異なってきていました。
一太郎同様にMS-DOSの時代に圧倒的なシェアを得た『Lotus 1-2-3』(ロータス ワン・ツウ・スリー)は、Windowsの時代に入り人気に陰りが出てきました。
これを受けて、教室では、並行して、Excel 95のコースも設けていたことが分かります。
※ Excel の当時の名称は、『Excel V7』となっていますが、その後、Excel 95 と称されるようになりました。
更に、データベース管理ソフトでは、MS-DOS の時代にdBASE の使用経験があったので、Windows対応の『Visual dBase』をコースに入れました。
しかし、dBase からの乗り換えユーザー以外には、取り付き難く思われ、1997/2には、『Access』(アクセス)もコースに追加しています。
ここで、一つの疑問が!
開講当時のコース一覧には、プレゼンテーション用ソフトの『Power Point』(パワーポイント)が入っていません。
※ マイクロソフトのPower Pointは、Power Point 95、から日本語版が発売されたとのことです。
『もともとアメリカ合衆国のForethought社によってMacintosh用のソフト "Presenter" として開発されたもの。
1987年にPower Point 1.0 がリリースされた後、会社ごとマイクロソフトによって買収された』(ウィキペディアによる)
これは、パソコンが普及する前を体験されていない若い方には、不思議がられる点かも知れません。
1979年~1995年頃は、多くの企業で、ワープロ(専用機)が使われている傍らで、パソコンは、発展途上でした。
ちなみに、1979年~1994年の16年間は、
・ 1979~1981年:8ビットCPU、Basic、カセットテープ/FD、
※ 1979/9 NECから日本最初の(完成品の)個人向け コンピュータ PC 8001 発売、
・ 1982年~1992年:16ビット~32ビットCPU、Disk BasicまたはDOS、FD/HD/CD-ROM、
・ 1993年~1994年:32ビットCPU、Windows 3.1、FD/HD/CD-ROM、
※ カセットテープ:1980年頃のごく初期のパソコンで記憶装置として利用された、
※ FD:フロッピーディスク装置:8インチ、5インチ、3.5インチ用、
※ HD:ハードディスク装置:1988年頃から外付けHD、内蔵用HDはじまる、
※ CD-ROM:読み取り専用光学ドライブ:内蔵用CD-ROMは、1989年頃から徐々に普及。
というような推移です。
その頃の企業等におけるパソコンの主な利用形態は、
・ 企業等が『Basic 言語』、『dBase言語』などにより独自に開発したシステムを稼働させる、
・ 一太郎やLotus 1-2-3などの市販ソフトを稼働させる、
という2つでしょう。
会議用には、得られたデータをワープロや一太郎、Lotus 1-2-3などで加工し、必要により、手作業で切り貼りして仕上げました。
切り貼り後の薄い影を消す修正液の使い方が上手な方を(冗談で)『一級切り貼り師』などと呼んでいた記憶もありますね。
最後に必要な部数をコピーして、会議で配布するという訳です。
脱線しますが、そもそも、日本では、『プレゼンテーション』(プレゼン)という観念になじみが薄かったことがあるでしょう。
少し、踏み込んでいえば、重要案件は、事前に関係者に根回し・承諾を得て、最後の締めが会議なんだという考えもあったでしょう。
日本の会議が退屈になり勝ちなのは、こうして、先に『結論』が出ている会議が多いためと考えられます。
更に、今も、こういう認識は、根強く残り、企業や官公庁などの意思決定が遅い原因にもなっていると思われます。
映画 『シン・ゴジラ』(東宝:総監督・脚本 庵野秀明、監督 樋口真嗣:2016年)の冒頭の会議シーンを思い出します。
一般に、数人~10人以下のミーティングのパフォーマンスが最も高く、人数が増えるにつれて、生産性が低下すると言われます。
日本の国会審議を見ると、分かる気がしますね。
閑話休題
1996年以降、ワープロに代わり、Windows パソコンが急速に普及したため、2000年2月、コースにPower Point 2000 を追加しました。
こうして、21世紀になって、Word、Excel、Access、Power Point、の4つの主要ソフトのコースが教室に揃ったことになります。
以下では、時計の針を約20年ほど巻き戻し、パソコン教室の開講前後から2001年頃までを振り返ってみたいと思います。
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「おじぃさん、今月のご挨拶を、2018年9月の『ニュースの鑑定』以来、さぼっていたわね。
それに、『DERIVE de ドライブ』も、2018年8月以降、更新が停まっているし・・」
「や、ともちゃんかい。済まなかったのう。
しばらく、別事で忙しかったものじゃからな。
さて、今月は、『南中野パソコン教室』(1996/9~2015/3)とマイクロソフト Officeを取り上げてみようと思う。
Officeの歴史などについては、ウィキペディアなどに詳しい記事が載っている。
1996年頃は、CPUが8ビットのパソコンの時代が終わっており、16ビットパソコンを経て、32ビットパソコンの時代になっておった。
前年の1995/12には、Windows 95が発売され、パソコン用OSがMS-DOS(以下「DOS」という)からWindowsへと移り変わる頃じゃった。
細かく言えば、Windows 95の前にWindows 3.1 (1993年)が発売されているが、広く普及する前に、Windows 95に変わっていったのう。
しかし、開講した時は、これらの3つのOSがいずれも現役で使われていた。
3つのOSの関係は、下図のようなイメージじゃ」
「えーと、上の図で見ると、Windows 3.1 は、DOSがないと動かなかったのね。
それで、DOSやWindows 3.1 って、どのくらいの期間、使われていたのかしら?」
「そうじゃな。
Windows 3.1は、当教室の『パソコン豆知識』のWindows 3.1の項を参照すると、1993年からリリースされたようだ。
従って、1995年12月のWindows 95までと考えると、新規パソコン用OSとしては、約3年程度じゃったな。
もっとも、その後も、3.1のまま使われ続けた製品も多いじゃろう。
それは、95の後継OS Windows 98(1998/8)、Windows 98 SE(セコンドエディション)の登場(1999/9)頃まで、続いたろうな。
このように仮定すると、3.1のパソコンが使われていた期間は、だいたい、1993年~1999年の約7年程度と思われるのう。
※ Windows のバージョン1~3までは、日本では、OS単体では、市販されていなかったようじゃ。
一方、前述のように、Windows 3.1 は、DOSがないと単体では、動かなかったので、Windows 95が登場するまで、DOSが使われていた。
日本で最初の16ビットパソコンは、NECのPC 9801の初代(1982年)なので、Windows 95の1995年まで約14年間がDOSの時代だったじゃろう。
また、3.1と同様に考えると、DOSの実質的な使用期間は、1982年~2000年の約20年程度と思われる」
※ 企業等により、NEC 9800シリーズの生産終了(2003年)後もBasicまたはDOSを利用しているケースもある。
これは、独自開発したシステムをWindows対応のソフトに移植するのに多くの時間と費用を要するからじゃ。
わしの手がけた(東芝パソピア→ NEC 9801→9801のDOS)Basicシステムを WindowsとAccessで再構築して稼働は、2005/6だったからな。
そういう状況で、9800シリーズ用の中古品や部品の需要は、生産終了後も根強く残った。
「DOSの時代は、ずいぶんと長かったんだ。
それで、一太郎やLotus 1-2-3 が大きなシェアを獲得したあとでは、他のソフトがシェアを獲得できなかったんでしょうね。
えーと、読者の方に代わって、聞くんだけど、DOS に似た名前で、DOS/V(ドスブイ)という言葉があったよね?」
「MS-DOSは、16ビットパソコン用のOSで、アメリカでは、PC-DOSと呼ばれていた。
デジタルリサーチ社の8ビットOSのCP/Mの後継のCP/M-16という候補もあったが、IBMのPC/ATがDOSを採用したことにより、その優位が確立した。
IBMは、PCの仕様(アーキテクチャ)を公開し、他社も部品や互換機を作れる環境を整えた。
一方、日本では、8ビットパソコン時代にOSの普及が遅れたため、世間的には、16ビットパソコン用OSへの理解が不足しておった。
そんな中、ジャストシステムとマイクロソフトは、NEC 9800シリーズ用に一太郎 Ver1 にDOSをバンドルして発売したのじゃ。
Ver1は、1985年8月発売。(ジャストシステムの『一太郎ヒストリー』 http://www.ichitaro.com/history/による)
わしは、1986年5月発売のVer2から使うようになった。(下図)
上の図は、一太郎のVer2 の5.25インチFD の一部と印刷されている小さな文字を拡大したものじゃ。
DOSについて、マイクロソフトのコピーライトが記載されておる。
Ver2は、2枚組で、片方のシステムディスクでパソコンを起動すれば、DOSが読み込まれて、その後、一太郎が起動したと記憶しておるな。
なお、上の図では、はっきりしないと思うが、『NEC PC 9800シリーズ用』という文字も印刷されている。
この一太郎の爆発的なヒットにより、日本でも、DOSが普及するきっかけとなり、その後のパソコンの発展に大きく寄与した。
DOSは、NECが自社の9800シリーズのために元のDOSを変更したもので、日本語表示用の漢字ROMを持つなどの様々な条件があった。
さて、そうした中で、NEC以外のパソコンは、仕様が異なるため、DOSが動かず、日本語が扱えなかった。
そこで、1990年にDOS/V 仕様が策定され、基本的には、IBM互換機の構成を持つパソコンであれば、日本語を扱えるようになった。
なお、後述のように、Windows になっても違いが残り、しばらく、DOS/V機は、NEC 9800シリーズ以外のパソコンを指す意味にも使われた。
こうして、パソコンは、NECの9800シリーズ(とその互換機=Epson)とそれ以外のマシンに二分されていったのじゃな。
ソフト開発会社は、DOSまたはDOS/V用にソフトを開発すればよくなり、開発者にも、消費者にも、大きなメリットが生まれた。
ただ、初期のDOS/V機は、CPUやメモリーが貧弱だったため、漢字の表示速度は、9800シリーズに比して見劣りがした。
これにより、DOS/V 機登場後も、NECのシェアが大きかったが、ハードの性能向上や価格低下により、DOS/V機のシェアが徐々に増えた。
NECも初期の9800シリーズから、少しずつ仕様を変更し、9800シリーズは、2003年頃に受注を終了したそうじゃ。
こうして、DOS/VやWindowsの普及により、NEC PC 9800シリーズの優位性は、薄れていった。
そこで、NECは、並行して、PC/AT 互換機の流れを受け継ぐ新しいパソコンを『PC 98 NX シリーズ』として、1997年10月から発売した。
従って、1996年の教室開講時に新規導入したパソコンは、(NXシリーズは翌年発売なので)、9800シリーズとなる訳じゃな」
当時の Windows 95 のCDを下に示す。
NEC、PC 9800シリーズ対応、と印刷されている。
NEC PC 9821 Xa13 の出荷時の添付品じゃ。
その後、Windows 98(1998/8)、
上の写真は、Windows 98 のNEC 9800シリーズ対応のアップグレード版。
下の写真は、Windows 98用の『西暦2000年問題修正プログラム』
今では、懐かしい思い出にもなった『西暦2000年問題』の修正プログラム。
ちなみに、西暦2000年問題について、簡単に触れると、
2000年以前のプログラムには、日付の年を西暦2桁として利用しているものがあった。
これは、当時のコンピューターの記録容量が少ない中で、データの長さを少しでも減らそうという発想に基づくものだった。
しかし、2000年になると、その年部分が数値としては、ゼロ、文字としては、00 となってしまい、プログラムの誤動作が危惧された。
これを『西暦2000年問題』と呼ぶ。
そのため、プログラム、データフォーマットの修正やデータの変換等のシステムの改修作業が事前に行われた。
これを教訓に、日付の年は、西暦4桁で扱うようになった。
(と思っていたら、2018年5月21日の読売新聞の朝刊による既報のように、
『政府は、各省庁が運用する行政システムの日付データについて、和暦(元号)を使わず西暦に一本化する方針』、
とのことなので、2018年現在も、年を和暦で扱っている(びっくりポンな)プログラムやデータがあることが判明した。
西暦4桁なら、改暦が起きなければ、もはや、西暦1万年まで問題は起きぬが、和暦では、改元の度にシステムの改修が発生するのは、自明の理。
だいいち、和暦では、異なる元号にまたがる日付間の年数を計算するだけでも面倒この上ない)
ほぼ、無償で配布されたWindows 98 SE(1999/9)、
上の写真は、DOS/V機用のもの。(PC/AT 互換機対応と印字されている)
Windows 2000 (2000/2)
上の写真は、Windows 2000のアップグレード版。
少し、見づらいが、PC/AT互換機 対応と記載されている。(もう一枚のCDが9800シリーズ用)
不正利用防止のために正規品は、ホログラム加工を施している。
こうして、Windows 95からWindows 2000までは、NEC版とDOS/V版の2種類が発売された。
2001年11月に発売のWindows XP から、その違いがなくなったのじゃ。
※ 教室では、利用しなかったが、Windows Millennium (Me)(2000/9)も、1種類だけじゃった。
※ マイクロソフトのOSのWindows NT、2000 系列と一般消費者向けのWindows 1~3.1,95系列がXPで一つに統一された。
上の写真は、Windows XP Professional。
PC 9800シリーズ用などの記載は消えている。
XP から、インストール後にインターネットでの認証(Activation)を求められることになった。
インターネットでの認証に失敗したり、インターネットに接続出来ない場合は、電話での認証を受ける必要がある。
「DOS/V機用は、PC/AT互換機って、表示されているね。
そもそも、PC/AT というのは、何でしょう?」
「PC/ATとは、『はてなキーワード電子辞典』で検索すると、
『PC/ATアーキテクチャを採用したパソコンのこと。1984年に発売されたIBM社のPC/ATとソフトウェア的な互換性を持たせながら発展してきた・・・』とあることから、 すなわち、IBM社のパソコンの名前じゃった。(Personal Computer/Advanced Technology
の略。)
この辞典によると、アメリカでPCというと、PC/ATまたはその互換機を指すことが多く、Macは、入らないイメージだそうだ」
「日本では、PC= Personal Computer パソコンなので、アップル社のマッキントッシュ(Mac) なども含めて使われることが多いわね」
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「パソコン教室を開講する前、数ヶ月、わしもパソコンスクールに通った。
それまで、パソコンを15年近く使ってきて、基礎的な知識やプログラミングの経験などは、あったのじゃ。
また、一太郎やLotus 1-2-3 は、ある程度、使っていた。
しかし、Word、Excel や Access は、利用したことがなかった。
また、自分が使うのと人に教えるのとでは、やはり、違いがあるじゃろう。
そこで、新宿の某パソコンスクールに通ったのじゃ」
「インターネットで検索すると、今は、日本語学校のようね。
そもそも、パソコン教室は、減っているのかしら?」
「ともちゃんが検索してくれた学校が、かつて、学んだスクールかどうかは、分からないがのう・・。
パソコン教室は、少子化の影響やパソコンが家庭や企業に広く普及したこともあり、減っているだろうな。
とは言え、今でも、ご近所を通りかかった方に、パソコンを教えているかと聞かれることは、あるんじゃ。
スマホやタブレットなどの新しい機器の登場もあるから、そういった機器も含めれば、潜在的な需要は、あると思うがの。
さて、わしがスクールに通って、得たことを振り返ると次のようなことかのう。
・ 教科の内容 (これは、当然じゃな)、
・ 個別指導 (個人指導や一斉授業ではない、この指導方法は、非常に参考になった)、
・ コンピューター支援教育 (CAI:キータッチやパソコン基礎コースなどで取り入れた)
・ テキスト (Office 関係は、富士通のものであった)
・ 受講の管理 (コース毎に費用を徴収し、代わりに紙のカードを渡して、個々の受講日と教室の確認印を押す)、
・ 書見台(データホルダー) (A4程度の大きいテキストを立てかけるためにはしっかりとしたものが必要と分かった)、
・ 机上の明るさ (テキストを読むには、室内の照明だけでは不足しがちなことが分かった)
「Officeのテキストは、どうやって入手したの」
「下の写真の右側4つが2003年頃のFOM出版のテキストじゃ。
開講後、しばらくは、書店で販売されていなかったので、西新宿にあった富士通のパソコン教室に行って直接、分けてもらった。
その後、一般の書店でも販売されるようになり、近所のアサヒ堂書店を通じて購入していた。
さらに、アサヒ堂書店さんが閉店した後は、FOM出版に注文して入手するようになったな」
「既成のテキストがないものは、どうしたの?」
「1996年頃は、まだ、ソフト添付のマニュアルがあれば、良い方で、テキストとして使えるものがほとんどなかった。
Officeは、むしろ、例外じゃな。
DOSやWindows については、解説書があったが、そのままでは、テキストにはならなかった。
そこで、マニュアルや解説書を参考にして、MS-DOS 入門やWindows 3.1 入門、一太郎 6.3などは、自作した。
その他、CG(コーレルドロー、フォトペイント)、インターネット、ホームページ作成などもな」
「大変だったでしょ!」
「まあ、それは、そうじゃが、自分で作ると、いろいろ、勉強になった。
また、ソフトのマニュアルを作る方の苦労がよう分かった。
その一部は、『自作もの』に保存している。
ただ、画面のキャプチャ画像を入れていないものが多く、ほぼ、文章だけじゃ」
「受講券が下の図ね。
『受講証』という名前なんだ。
名刺の大きさなので、はがき印刷のソフトで作ったの?」
「あらためて、言われると、『受講券』ではなく、『受講証』にしたのは、なぜかと、わしも思うぞな。
おそらく、スクールで使われていた名前を使ったんじゃろう。
ま、察するところ、勤務先から費用が出ている生徒さんがコース終了後、勤務先に提出することを考慮して『証』としたのだろう。
表と裏に印字する必要があり、『カンタン!名刺 & CARDカードプリント Ver3.0』というソフトを使った。
Windows 3.1か95用じゃなかったかのう。
教室終了まで、同じソフトを利用できた。(Windows VISTAでは、稼働した)
カードの用紙は、『エーワン』さんの名刺カードを使った。
その後、個人指導の必要が出て、個人指導券や修了証(コースを終了したことを称する免状)なども作ったな」
「キータッチ入門では、ゲームのようなものが流行ったことがあったようね」
「タイピング練習用ソフトのことじゃな。
開講当時では、なかったかもしれんが、人気が出たのは、ソースネクストの『特打』じゃなかったかのう。(2018年現在も入手可能じゃ)
ゲーム感覚で『タッチタイプ』(『ブラインドタッチ』が差別的ということで今はこう記す)をマスターするためのものじゃった。
また、Windows 95入門は、『わか~る Windows 95』(TDKソフト)を使った。
いずれも、CAIソフトの範疇に入るものかのう」
「読者のみなさん、教室の写真で、ディスプレイの上にヘッドフォンが乗っかっているのが分かりますか?
あれは、CAI 用のものだったのですね」
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「当時は、自分のパソコンが1台しかなかったので、教室用にパソコン 3台をリースで導入した。
前述のように、いずれも、NEC PC 9821 Xa13 /K12 じゃった。
基本的なスペックは、次の通りじゃ。(http://121ware.com/support/product/data/spec/cpu/95110022-1.html
)
CPU:Pentium 133MHz、メモリー:16MB、
HD:1.2GB内蔵、光学ドライブ:CD-ROM(4倍速)、FD:3.5インチ×1台内蔵(3モード対応)、
通信:RS-232C、画面出力:D-SUB 25 PIN、プリンタ:パラレル、マウスポート、
拡張:Cバス×3、PCI×2、
なお、設置時に、メモリーを8MB増設した」
「OSは、添付されていたの?」
「Windows 95または3.1のいずれかを利用するようになっていた。
最初の起動時に、いずれかを選択すると、以降は、他を選択できない仕組みになっていたらしい。
教室では、DOSまたはWindows 95 用として、利用したと記憶している」
「Windows 3.1 の方は、おじぃさんのパソコンの方を使うことにした訳ね」
「たしか、そうじゃったと思う。
そのあたりは、もはや、記憶だけでなく、記録も曖昧じゃ」
「プリンタなども新規にいれた訳ね?」
「手持ちは、136桁のドットインパクトプリンターとエプソンの最初の写真画質のプリンターと言われた、『MJ-700V2C』があった。
新規に入れたのは、コピーやFAXを使うため、NECの『Ai 7000』(マルチナ)をリースで導入している。
これは、入れてみて分かったが、オーバースペックだった。(リース終了後に早期に返却)
※ 上図は、マルチナではないが、大体、こんな感じ。
小物では、プリンター切り替え器やそのためのプリンターケーブルなどかな」
「机や倚子も必要だったわね」
「うん、地元の文具店を通じて、購入した。
書見台は、コクヨ製のガッチリとした製品だった。
あとは、机上の明るさを補うための蛍光灯スタンドぐらいかな」
「会員証をラミネートするための小型のラミネート機械もあったでしょう」
「お、そうじゃな。
小型の手提げ金庫、印鑑なども。
消耗品では、領収書用紙、フロッピーディスク、コピー用紙など、さまざまなものがあったな」
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「OS以外のアプリケーションソフトは、どんなものを揃えたのかしら?」
「新規に購入したのは、
ワープロソフト:一太郎 Ver6.3 (Windows 95)、
表計算:Lotus 1-2-3 R5J (Windows 95)、
同上 :Lotus 1-2-3 R2.5J (MS-DOS)、
同上 :Excel 95 (Windows 95)、
上の写真は、Excel Ver7 のCD。このときは、Excel 95 とは、印刷されていなかった。
データベース:Access 95 (Windows 95)、
画像処理:Corel DRAW 5J (Windows 95)、
会計ソフト:小番頭 (Windows 95)、
キーボード練習用ソフト(Windows 95)、
わか~るWindows 95(Windows 95)、
などだった」
「年賀状のソフトもあったんじゃない?」
「筆自慢を使っていたので、それは、わしのパソコンに入っていた。
一太郎も、Windows 95 完全対応版として、『一太郎 Ver7』が1996/9に登場したので、導入したはずじゃ。
※ 一太郎 Ver7は、1996/9のコース案内で時期が未定となっているが、1997/2のコース案内では、開始している。
しかし、Excel 95以外のCDは、一太郎 Ver7を含めて処分してしまっているので、写真がない。
Lotus 1-2-3 98のCDは、残っていたので、あの特徴的な黄色のカラーリングの参考として下に示すことにしよう」
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「新規のパソコン3台とプリンタ2台(マルチナとエプソンのMJ-700 V2C)を接続して利用することにした」
「それで、プリンター切り替え器と中継用に余分のプリンタケーブルが必要になったのね。
ドットインパクトプリンターは、接続しなかった訳ね」
「元からあったパソコンの方にドットインパクトプリンターは、接続してあったと思う。
なお、Windows 95の時代は、まだ、USB は、現れていなかったので、プリンターケーブルは、パラレルケーブルというもので、太くて重い。
それが下の写真じゃ。
これは、1998年4月の教室内LAN構築後により、不要になったプリンタケーブル等の写真だな。
※ プリンタ切り替え器は、上の写真以外にもう1台あった。
全体は、下図のような、こんとんとした状態だったのじゃ。
図は、LAN導入以前の教室の3台のパソコンとプリンタ及びもう1台のパソコンとの接続などを示す。
ここで「PS」は、プリンタ切り替え器(1:4及び1:2の手動切り替え式)じゃ。
また、MULTINAは、マルチナ、EPSONは、MJ-700 の2つのプリンターだ。
なお、プリンターケーブルは、緑の線で表している。
4台のパソコン間のデータの交換やコピーは、FDで行い、赤い矢印で表している。
TAは、ISDN用のターミナルアダプタ、Mは、アナログモデムである。
FAXやインターネットの利用方法は、次項で説明しよう」
「げっ、ビックリなんとか状態だったわね」
「てんこ盛りではあったのう。
とは言え、機械的なプリンタ切り替え器は、当然ながら、正確に動作したので、不具合は、起きなかった。
印刷について、大きな問題は、生じなかったと思う」
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「今回、あらためて、前節の図を見て、首をひねった。
開講時に、ISDNを利用することにした記憶や記録は、あったが、実際、どのように接続しておったか忘れてしまったのじゃ」
「記録では、1996年6月に、会社用に、NTTのISDNの工事が行われたとあるわ」
「そうじゃ。
NTT関係の記録は、きちんと残してあった。
自宅用の電話とは、別に契約した。
ISDN(INSネット 64)のダブルチャネルを申し込んだので、会社用に2つの電話番号を使えた。
○○○○-××82:教室用電話、
○○○○-××84:同 FAX、
そこで、上のように決めた。(番号は、当時のもの)
ISDNでは、電話回線とは別に、インターネット利用のためのデータ通信も可能だったのじゃ」
「はてなキーワード電子辞典で『ISDN』を調べてみたわ。
『総合サービスディジタル網。Integrated Service Digital Networkの略。
各家庭に配線されている銅線電話回線を利用したデジタル通信サービス。
NTTは当初 INS(Information Network System net)と呼んでいたが、現在はTSSで国際的に定義されたISDNに名称を統一した。
電話線をデジタル回線化することで音声通話の安定性を向上するほか、FAXやデータ通信、ビデオテックス等を統合して扱えるようになることを目指した。
回線終端にはターミナルアダプタ(TA)と呼ばれる端末を接続し、TAにさらに電話機やG4 FAX、パソコンなどを接続して利用される。
(中略)
インターネットの普及期には(14Kbps程度の)アナログモデムと比較して安定した64Kbps通信ができることで優位に立った。
(後略)
ISDNは規格上、複数の「チャネル」を備えている。
主に情報を送受信する「Bチャネル(64kbps)」が2本と、副次的な情報を送受信する「Dチャネル(16kbps)」が2本である。
このため、1つのISDN回線で電話2回線分の通信、または電話とデータ通信などの同時利用が可能である』
「なるほど。
いつのまにか、ISDNの内容をとんと忘れてしまっていた。
こうやって、歴史は、消えていくのかのう。
ところが、電話等の配線について、手書きの図がでてきて、当時の接続状態が分かった。
書き直してみると、こんな感じだ。
上の図で、パソコンCとDの2台は、通信には、無関係じゃ。
パソコン Aは、ターミナルアダプタのデータ回線ポートに接続されている。
赤い破線で表した接続ケーブルは、いわゆる、パソコンのシリアルポートと接続するための『RS-232Cケーブル』じゃ。
ターミナルアダプタの電話回線ポートは、2つあり、一つは、マルチナのFAXボートに接続している。
これにより、マルチナで、FAXの送受信ができる。
もう一つの電荷回線のポートは、電話機とモデムの両方に接続されている」
「パソコン Aの方は、分かったけど、図の下の方のパソコン B とモデム、電話機の関係は、不明ね?」
「今となっては、推測の域を出ないが、電話機とモデムの片方ずつを利用していたのではないかな。
電話機を使用中は、パソコン Bからのモデムの利用はしない。
一方、パソコン Bでモデムを利用している際は、電話機の発信は、しない。
外部から着信の際は、いずれも、話し中となるということではないかな。
このモデムは、教室を始める前年の1995年の夏頃に購入したSONY製のSMD-280 だと思うが、具体的な配線の詳細は、不明じゃ」
「でも、パソコン A でインターネットの利用ができているのに、パソコン B でのモデムを利用したのは、何のためかしら?」
「インターネットを利用する他、FAXの発信に使っていた記憶がある。
パソコン B 内のワープロ文書などを紙に印刷したものをマルチナのFAX機能を使って送信せず、パソコン B からそのまま送信できた。
これにより、相手先のFAXに着信したときの画質が格段に良かったと思う」
「当時、上の図でいうと、パソコン C、同 Dでは、インターネットが利用できなかったのね?」
「そうじゃ。
複数のパソコンが同時にインターネット接続できるようになったのは、1998年7月に教室内LANをWindows NT Serverで再構築してからだ。
※ 『LANLANパソコン』の第7回の「Windows/NTのインストール」(1998/7/21)をご参照ください。
ただ、それまでの間、RS-232C切り替え器を使って、任意のパソコンでインターネットに接続切り替え出来るようにしていた可能性はあるのう」
「インターネット閲覧用の『インターネットエクスプローラ』は、Windows 95から利用できるようになったのね」
「細かくいうと、少し違う。
今月のご挨拶「コンピュータ事始め(インターネット)」(2006/12)に次のような記載がある。
『1995/12にWindows 95が発売になり、その上で動くブラウザソフトとして「ネットスケープ・ナビゲータ」という閲覧ソフトが好評を博するようになりました。
私も、確か、Ver2.0の時に購入した記憶が残っています。
しかし、ご承知のようにその後、マイクロソフト社より、「インターネットエクスプローラ」のVer3.0が1996/8に無償で公開され、また、Windows98以後は、OSに標準で添付されるようになると、急速にインターネットエクスプローラのシェアが拡大しました。』
ということなので、教室を始めた時は、すでに、インターネットエクスプローラ Ver3 が使えたということ自体は、正しいがの」
「メールは、どうなっていたのかしら?」
「メールソフトとして、アウトルックエクスプレスを利用するようになったのは、Windows 98 からではないかと思う。
というのは、このページの冒頭にリンクを張っている1996/9のコース案内には、メールのことが書かれていないからじゃ」
「確かに、コース一覧の、『パソコン通信入門』では、『CCT Win』を使っているし、『ニフティサーブ入門』もあるからね。
当時は、パソコン通信の方が、盛んだったのかも知れないわ」
「だいたい、1998年頃までは、パソコン通信の方が主流だったように思う。
今月のご挨拶『コンピュータ事始め(MS-DOS)』(2006/10)の中でも、
『ニフティを利用するためには、CCTの後は、ニフティから頒布されたニフティマネージャを使っていました。ニフティマネージャは、Windows版も出ましたので、インターネットが普及するまでは、そうですね。だいたい1998年頃までは、パソコン通信の方が主流だったのではないでしょうか。』
と書いておるからな」
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「開講前に、新聞に折り込み広告を入れた。
原稿は、わしが作り、懇意にしていた吉田コンピュートサービスに印刷をお願いした。
できあがったチラシを地元の朝日新聞と読売新聞の集配所に持ち込んで折り込んでもらった」
「反響は、あった?」
「残念じゃが、ほとんど、なかったのう。
反省点は、次の通りじゃ。
・ 多色刷りは、単価が高い割に効果が薄い、
・ 片面印刷で、裏が白紙は、無駄が多い、
・ 用紙のサイズがA4サイズと小さい、
・ 紙面に具体的なコース内容や教材費等の料金を書くべき、
・ 折り込み日は、月曜日に指定すべきじゃった、
※ チラシの種類が月曜日は、少ないので、月曜がお勧め。
そこで、気を取り直して、原稿を作り変えた。
・ 紙の色を明るい黄色、インクを黒と赤の2色刷りとして、効果をあまり減らさず、目立たせた、
・ 用紙の表裏に印刷した、
・ 用紙サイズをA3版と大きくした、
・ 無駄なイラストを省き、内容を詳しく、かつ、具体的に記載した、
・ 月曜日の朝刊の折り込みで販売店に依頼した、
これにより、ようやく、反響が返ってくるようになった」(※チラシの効果:2019/10/16 追記参照)
「それ以外には、何か広告を出したの?」
「うん。
一度は、新聞の3行広告のようなものを出してみたが、これは、まったく効果がなかったので、以後は、止めた。
自分の行動を省みれば、ふだん、よほどの必要がなければ、新聞の3行広告のような小さなところに目が行かない。
また、町内の回覧板の広告の訪問販売に応じたが、どうも、インチキ商法だったようで、実際には、使われなかったようだ。
これに懲りて、電柱広告やバスの案内アナウンス、道路の地図広告などの依頼は、すべて断った」
「そうすると、他の広告手段は、何だったのかしら?」
「そうじゃな。
一つは、NTTのタウンページだな。
事業用の電話を利用している会社は、基本部分は、無料なので助かった。
二つ目は、道路を歩いている方が自由にチラシを取れるように、道路沿いにつるして置いた箱かな。
上の箱の写真で、チラシやイラスト等は、だいぶ、後のものだが、基本は、同じじゃ。
原始的な方法だが、気軽にチラシを手に取ってもらえるため、効果は、大きかった。
雨の日や夜は、取り外して、家の中に取り込む必要があるのが面倒ではあった。
三つ目は、月並みじゃが、看板だ。
上の写真は、1997年頃の看板。(道路沿いの垣根のあたりに設置していた)
四つ目は、駐車スペースを作ったこと。(2002/12)
その際、垣根際にあった看板を敷地の奥に移動した。
そして、最後は、やはり、クチコミかな。
有り難いことに、わしの知り合いや受講した生徒さんからのご紹介で、お問い合わせやご入会いただくようになった。
そこで、途中で、受講者紹介サービスというものも、取り入れた。
あとは、時間を見つけて、近隣のお宅を中心に、自分で、ポストにチラシを投函して回ったことかのう」
「インターネットでの広報は、どうだったの?」
「そうじゃな。
1997/9 からCNET東京北の代理店となって、インターネット接続のサービスを行うようになった。
たいていは、近隣のお宅であったが、なかには、郊外のお宅に伺うこともあった。
その頃は、ダイヤルアップ接続によるインターネット接続であった。
そうこうして、インターネットに接続出来る人が増えてくると、HPをご覧になって、お問い合わせをいただくこともあった。
ただ、それは、Windows XP 以降の時代の話じゃ。
ちなみに、2002/6 から、NTT東日本の代理店の「INSソリューション」と契約して、フレッツISDNやフレッツADSLの受付も行うようになった。
インターネットサービスプロバイダーの WAKWAK、OCN、の受付もやった。
これは、その後、光電話、フレッツ光ネクスト、Bフレッツにも広がっていった」
「それは、よかったじゃない」
「教室と兼ねていたので、そこそこ、忙しい時期もあった。
また、新規パソコンや買い換えのご注文もいただくこともできた。
ただ、2009年のWindows 7 前後から、量販店等でパソコン購入と同時にインターネット接続も申し込みされる方が増えた。
そのため、出番は、激減した」
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読売新聞の2019年10月16日朝刊記事にチラシの効果について、概略次のような興味深い記事が掲載されていた。
『読売新聞社本社は、15日に消費者の購買動機とチラシ等の関係について、「カインズ」(小売り)、「クイーンズ伊勢丹」(小売り)、「万田酵素」(通信販売)、の協力を得て、調査結果を公表した。たとえば、ホームセンターを展開する「カインズ」の関東地方の同規模の8店舗では、
1. チラシ+ネット広告
2. チラシのみ
3. ネットのみ
4. なし
の4つの場合について、広告を打ったその週と前の週、翌週を比較した。
1.のチラシ+ネットでは、その週/前の週≒3.5倍、
2.のチラシでは、その週/前の週≒2.3倍、
3.のネットでは、その週/前の週≒0.8倍、となった。
クイーンズ伊勢丹でも似た傾向が見られた』という。
また、広告費用と効果の比率を見るとき、
『広告費を100としたとき、
チラシ+ネットは、76、のチラシは、132となり、チラシの投資効率が大きいことが分かった』という。
さらに、広告の持続効果については、万田酵素で、チラシ、新聞、テレビ、ネットの4つの場合について、電話注文の受付時の調査を行ったところ、『広告から購買までの期間が、チラシが1ヶ月以上経ってからが51&、だったのに対して、ネットは、38%、テレビは、27%を上回っていた』という。
この調査は、新聞社の発表なので、多少割り引いて考えるとして、私の乏しい経験とも一致している。
特にチラシの効果が長く続くのは、実感している。電話で教室にお問い合わせをいただいたり、直接、来訪されたりした方の中には、半年、あるいは、Ⅰ年以上前のチラシを手に持っていらっしゃる方も結構おられた。
開講後、半年となる1997年2月のコース案内がこちらです。
Access 95、一太郎 7 が追加されています。
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1997年9月 インターネットサービスプロバイダー『CNET東京北』の代理店となりました。
同社とのインターネットの接続契約やそれに伴うパソコンの設定工事を受け付けるようになりました。
ダイヤルアップ接続またはISDN利用でした。
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Lotus 1-2-3 97のコースを開始しました。
また、Excel 97、Word 97、Access 97のコースも開始しました。
上の写真は、Excel 97 のCD。95からのバージョンアップ版。
上の写真は、Wordl 97 のCD。通常版。
日本と韓国でのみ発売された Word 98のCD。通常版
上の写真は、Access 97 のCD。95からのバージョンアップ版。
一太郎もVer 8が発売となり、一太郎 Ver7 を終了し、一太郎 8 のコースを開始しました。
※ 一太郎 Ver6.3 は、そのまま、継続しています。
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1998年1月のコース案内は、こちらでご覧になれます。
データベース管理ソフトの『Visual dBase』を終了しました。
Access 95、97 は、継続しています。
コーレルドロー (5J)などがバージョンアップし、7J になりました。
同時に、自作ものコーナーにアップしているテキストも差し替えました。
「インターネット入門」は、新しいインターネットエクスプローラ Ver4.0に対応しました。
同様に「ホームページ作成入門Ⅱ」は、IBMホームページビルダが3にバージョンアップしたことに伴い変更します。
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教室内にLANを構築しました。
詳細は、『LANLANパソコン』の『ASAHIパソコンを読んで』(1998/4/12)を参照下さい。
Windows 95 ベースのピア・ツウ・ピア 型ネットワークでした。
通信プロトコルは、『NetBEUI』(ネットビューイ)というものです。
ファイル共有とプリンタ共有が目的でした。
MULTINAは、マルチナ、EPSONは、MJ-700 V2C の2台のプリンター。
TAは、ISDN用のターミナルアダプタ、Mは、アナログモデム。
プリンターケーブルを残しているが、念のためであり、利用しては、いなかった。
これにより、パソコン間で、データをやりとりする際にFD(フロッピーディスク)が不要となりました。
また、前述のように、余分なプリンタケーブルとプリンタ切り替え器がいらなくなり、配線が大分、すっきりしました。
「ニフティサーブ入門」は、ニフティマネージャー バージョン4.5に対応しました。
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Windows NT Server 4.0をサーバーにインストールして、LANを再構築しました。
サーバー機は、周辺機器の移設やマルチブートを考慮し、導入したのは、NECのPC 9821 / Xa200 としました。
このマシンは、いわゆる、NEC 9800シリーズです。
※ 結果的に、このXa200が私のNEC 9800シリーズの最後のマシンとなりました。
詳細は、『Windows NTのインストール』(1998/7/21)、『パソコン事始め(PC 98全盛期)』2006/5)をご覧ください。
それぞれのパソコンから、同時にインターネットに接続出来るようになりました。
このため、サーバーに『PROXY 97』をインストールして、サービスとして稼働しておく必要がありました。
また、主要なデータをサーバーに集約して保存して、各クライアントから参照して利用しました。
これにより、データのバックアップ体制を強化するとともにセキュリティを向上させました。
MULTINAは、マルチナ、EPSONは、MJ-700 の2つのプリンター。
TAは、ISDN用のターミナルアダプタ、Mは、アナログモデム。
※ 『プリントサーバー』を利用して、新しいプリンタ(PM-2000C)をネットワークに接続したのは、2002/12のことです。
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「Windows 98入門」を開講しました。
上の写真は、1998年頃の筆者。左側には、マルチナの一部が写っている。
「一太郎 8 検定/3級」、「Windows 95 LAN入門」を開講しました。
「MS-DOS入門」、「Windows 3.1入門」、「Lotus 1-2-3 (R5J)」、「パソコン通信入門」、「一太郎 6.3」を終了しました。
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「一太郎 9入門」、開講します。
「三四郎 8入門」、ジャストシステムの表計算ソフトです。
「花子 9 入門」、ジャストシステムの図形描画ソフトです。(1999/3)
「Excel 97 VBA」、内容はVBA入門です。(1999/8より)
「ホームページ作成入門Ⅱ」は、IBMホームページビルダー2000に対応します。
同時に使用するテキストを教室オリジナルのものから市販の書籍に変更します。
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「ニフティサーブ入門」を終了しました。
独自ドメインを取得しました。
詳細は、今月のご挨拶『コンピュータ事始め(インターネット)』(2006/12)に掲載しています。
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Word 2000、Excel 2000、Access 2000 の各コースを始めました。
上の写真は、Office 2000 Standard のCD。97からのアップグレード版。
上の写真は、Office 2000 Professional のCD。97からのアップグレード版。
Windows 95 入門を終了しました。(Windows 98入門は、継続)
パソコン基礎知識は、終了しました。(Windows 98入門を利用願います)
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Power Point 2000 コースが加わりました。
これで、Word、Excel、Access、を含めて、Officeの主要なアプリケーションがコースに揃いました。
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開講以来、ISDN回線を利用してダイヤルアップ接続でインターネットを利用していましたが、フレッツISDNに移行しました。
サーバーには、「Proxy 97」(その後、「Proxy 2000」にバージョンアップ)をインストールしてサーバー経由で各クライアントは、インターネットに接続しました。
Proxy のようなソフトを使わなくても、現在であれば、ISDN ルータという手段もあり、そちらの方が手軽です。
当時は、そのようなものはなく、TAもMN128の初代という時代であったので、プロキシソフトの手を借りていたわけです。
フレッツISDNに変更しても、ハード及びソフトの構成は、変わりません。
変わったことは、まず、料金が固定制であること(当時 4500円、その後値下げされた)。
また、専用の電話番号が用意されるので、ダイヤルアップ時のビジー状態がなくなることです。
詳細は、『フレッツISDNへの移行』(2000/9/13)をご覧ください。
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「IT基礎パソコン入門」コースを開始しました。(テキストの文字も大きく、ご年配の方向け)
「Word & Excel2000」コースを2月から開講します。
本コースでは、ワード 2000及びエクセル2000の基礎を速習します。
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メタル製の電話回線を利用するブロードバンドサービスが『フレッツADSL』です。
2001年5月にフレッツISDNからフレッツADSLに移行し、ADSLモデム(ブリッジタイプ)と有線ルータを利用したインターネット接続になりました。
ADSLモデム
上の写真で、左側が保安器からの電話線のモジュラージャック。
右側がスプリッタ。中央の白い短い電話線で両者を接続している。
黒い電話線は、電話機への配線。もう一つ、右側に延びている電話線(写真では明らかではないが)がADSLモデムへの配線である。
当方のようにISDNを利用していた人は、アナログ回線に戻す必要がありました。
なお、その際に電話番号が変わるケースもあり、当方も、このケースでした。
NTTの局内工事のみで済みました。
電話の方は、スプリッタを介して接続するだけで、すぐに利用が完了しました。
すなわち、電話局から工事直前に電話があり、30分程度後に再度電話があり、この時点で電話の受信を確認できました。
しかし、発信ができません!?
ISDNの場合は、電話機の「ダイヤルの設定」が「トーン」であったがアナログ回線に戻すと「パルス」に変更しないといけないのでした。
ベンチマークテストを行い、大体、下り 1.2 Mbps程度は、出ることを確認しました。
フレッツADSLは、フレッツISDNと異なり、インターネットとの接続に電話番号を利用しません。
基本的にルータの設定が完了するとインターネットに接続できることになりました。
上は、リンクシスジャパンの有線ルーター『BEFSR11』、
なお、ADSLへの移行に伴い、FAXを会社用の電話と同じ番号としました。
※ 電話機をFAX付き電話機に交換しました。(ISDNの時のように電話とFAXを同時には、利用できません)
詳細は、『フレッツADSLへの移行』(2001/5/8)をご覧ください。
受講コースでは、表計算ソフトのLotus 1-2-3 、Windows 98 入門が終了しました。
ホームページ作成は、IBMのホームページビルダー Ver6 に対応しました。
「イーヤマ(IIyama)」製パソコン及びディスプレイの販売を開始しました。
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Office XP(Office 2002)のうち、Word 2002 と Excel 2002 の各コースを開始しました。
2001年末までに、Access、Power Point コースなどを追加します。
上の写真は、Office XP Professional 。
Windows XPと同様に、インストール後にインターネットにて認証を求められることになりました。
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「1996年9月に開講したパソコン教室じゃったが、その後、世の荒波を受けることになったのは仕方あるまい。
この受講料の値下げもその一つじゃな」
「それまでは、1回、90分で、2200円だったのにね。
それを、2001/11/1 から、1500円に値下げしているんだ。(『お知らせ(過去分)』)
なにか、直接のきっかけがあったのかしら?」
「近隣に2つも、パソコン教室ができたのが、それかのう。
特に1つは、わしのところから、ものすごく近かったが、それよりも問題だったのは、料金じゃな。
いずれも、1時間あたり約千円、ということをうたい文句にしていたからだ。
こちらは、1時間あたりに換算すると、1466円余りなので、単純に比較されると厳しかった」
「生徒さんが減ったりしたのかしら?」
「(当時)パソコンの学習は、生徒さんが若ければ、比較的短期間で終了してしまう宿命がある。
たとえば、教室のExcelのコースは、基礎が8回、応用が8回じゃった。
もし、生徒さんが毎週1回通えば、計16週なので、約4ヶ月弱で終了する。
もちろん、お若い方も、必ずしも、標準的な回数で終わない場合もある。
そういう場合は、適切な回数を延長して受講していただいていたがな。
とは言え、これにワード基礎 8回を追加しても、半年程度で終わりになる。
大手の教室とは違って、新しい生徒さんが次々と入ってくるわけではないので、苦しくなった」
「それで、結果的に、料金を下げることに」
「バブル景気が崩壊し始めたのが、1991年(平成3年)頃と言われている。
1996年(平成8年)の開講時、世の中がものすごく不景気になっているという実感は、なかったが・・。
しかし、翌年から、山一証券、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行などの大型の倒産が相次ぐ事態になっていた。
2000年(平成12年)に入ると、就職氷河期とも呼ばれる時代がやってきた。
当教室の受講料値下げは、その後、長く続くデフレ傾向が始まったことを表す一つの象徴に過ぎないのう」
「料金改定後のコース案内がこちらね。
コース案内(2001/10)
だいぶ、新しいコースが誕生したり、終了したりしている」
「そうじゃな。
教室は、この後も、2013年末の新規会員の募集停止後まで、続いていく。
2002年以降になると、若い学生の方などは、社会に出る前にパソコンに触れる機会が増えていき、若い受講者は減っていった。
一方、仕事のためではなく、趣味のためにパソコンの勉強をしたいという方も現れた。
これにより、コースも、Office 中心ではなく、インターネットやメール、写真編集、音楽、動画編集など多岐にわたるようになった。
このため、受講者の年齢構成も変わり、相対的に、中高年の方の割合が増えていった。
それにつれて、受講期間が長くなる傾向が高まった。
このようなことから、前述のように、 『パソコン教室の生徒さんの受講サイクルが短い・・』とは、一概に言えなくなった。
そのあたり、興味深いが、大分、長くなってしまったので、今回は、ここらあたりまでとしておこう。
(さもないと、新しい年が来てしまうからのう。)
後日、機会があれば、後半を振り返ることしよう。
いや、ともちゃんも、お疲れさんじゃった。良いお年をお迎え下され」
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今回もご覧いただきありがとうございました。
次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
※旧ドメインは、2017/6/1で閉鎖いたしました。お気に入り、スタートページ等の変更をお願い申し上げます。
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更新日 2018/12/8、リンク訂正 2018/12/9、
文章を加除訂正・画像を追加 2018/12/11~12/15、
一部文言を微修正 2019/1/6、タイトル画像を追加 2019/1/16
新聞折り込みチラシの効果を追記 2019/10/16
目次に番号を追加:2021/10/3